個別の事象に遭遇し、物を考える際に様々なこととリンクさせて関連付けて考え、
理由を知ろうとすることと言うのは大切なことだと思いますが、
その際に一方向だけからだけ考えるのではなく、
二方向以上の複数の方向から考え、どちらから考えても結論が同じになるかどうかを気にする癖をつけると、
意見や思い込みに左右されにくく、より良い答えを導けると思います。

具体的には二方向と言うのは
・マクロな面からとミクロな面両方から考える
・自分の立場からと相手の立場から考える
・現在の立場と、将来の立場から考える
などが挙げられると思います。

例えば、仕事でうまくいかないことに遭遇した際、
自分の立場からのみ考えていると独りよがりな理屈となり、
考えれば考えるほど独善的になっていき、感情に支配されて大きなストレスを抱える羽目になる
などの経験をされたことがある方は多いと思います。

立場によって役割や意見が異なるのは当然だということを踏まえ、
ひとまず感情は置いておいて、一呼吸置いて冷静になって
相手の立場や第三者の立場に立って考える癖をつけると
人間関係はスムースに行きやすくなりますし、
よりよい解決策を見つけられる場合は多くなることでしょう。

また、自分的には論理を冷静に展開しているつもりの場合、
三段論法を繰り返し展開して論理展開している場合が多いと思います。

その際、数学の様にA=B B=C ゆえにA=Cという明確なものであればよいのですが、
現実には多くの場合、AニアリーイコールB BニアリーイコールCの状態でA=Cとしている場合が多々あり、
そこには「ずれ」が生じているわけですので自分的には「ニアリーイコール」だと思っていても
人によっては「ノットイコール」である場合もあり、必ずしもコンセンサスを得られない場合も出てきます。

それが故に意見の衝突が起こったり、トラブルが起こったりする場合が出てくるわけですので、
完全なイコールではない「ニアリーイコール」が間に入っている三段論法を用いていることを自覚し、
ミクロから考えてもマクロから考えても同じ結論になるかどうかを意識するようにすると
「ニアリーイコール」に含まれている「ずれ」をチェックできることにもつながると思います。
記憶力と理解力、暗記力・・・もちろん本来はそれぞれ別のものですが、
「あの人は何でも知っている」「あの人は博識だ」と呼ばれる人がいる場合、
多くの場合、その人はただ記憶力・暗記力が高い、あるいは記憶容量が大きいという訳ではないように思えます。

人間の頭脳をパソコンの様に
・CPU
・メモリ
・ハードディスク

で考えてみると、一般にイメージされる記憶力・暗記力や「物知り・博学」というのは
ハードディスク容量が大きいイメージを持たれがちな場合も多いですが、
実際はハードディスク容量よりも回転数とメモリによる部分が大きいような気がします。

人間の脳はハードディスクと違って記録したものをどんどん忘れて行くもので、
記憶容量が多いことよりも、「記憶したものをその場に応じて適切に取り出せる」事の方が重要だと思います。

いくらインプット量が多くても必要な場で瞬時にアウトプットできなければ宝の持ち腐れなわけで、
必要な場で必要に応じて情報や知識を関連付けて取り出し、役立てることが出来るように
取り出しやすい形=頭の中で様々なこととリンクさせ、整理されている形で保存されていることが大切なわけです。

家の中に1万冊の本があってどこに何があるか分からない、すぐに探せない状態よりも
机周りにどこに何があるか把握している100冊の本があって、
すぐに必要な情報を取り出せる状態の方が役立つのと同じで、
脳の中もそういった状態で記憶しておく方が良いように思えます。

昨今テレビでは雑学やクイズ流行りですが、雑学やクイズに強い人達は
単に知識をいっぱい持っているだけではなく、それを取り出せる状態で記憶していることに加え、
持っている知識を相互に関連付けて考える思考力も持っていると感じます。

机の周辺を整理整頓するのは簡単に出来ますが、脳の中を整理整頓して、
「記憶したものをその場に応じて適切に取り出せる」状態にするためにはどうすれば良いか・・・

脳や学習法の専門家でも何でもないので、あくまで私見にしか過ぎませんが、
・普段から物事を「関連付けて」考える癖をつける
⇒物事を単体で理解・記憶するのではなく、相互に関連付けられた状態で理解・思考する

・個別の事象から根本原理や法則性を考える癖をつける
⇒法則性があるものは自動的に関連付けて理解され・記憶されることになる

・主観や先入観、偏見に支配されるのではなく、客観的に観察するように心がける

・その人の「意見」と「事実」とを混同せず、事実とそれに対する意見とを別々に考える

・それぞれの事象に対して「何故」「どうして」と理由を考える癖をつける
※その際、理由づけが一方向だけからになっていないか、感情・思い込みに支配されていないか意識し、
多方向から(特に相反する立場から)も理由を考える癖をつける

・どうでもよいこと、考えても結論が出ないことに関しては「捨てる」「保留する」ということも必要

・様々なことに興味を持つ

・自分が知らないということを常々意識しておく

など様々な意識をしながら生きることでそれらが習慣となり、
無意識のうちに頭の中が整理されるというより断片的な知識ではなく、
様々なものが有機的に関連付けられて繋がり、検索能力が上がり、
必要な時に必要な情報・知識を関連付けて取り出せるようになるのかなと思います。

「数学的センス」というものがあるとすると、その要素は色々とあるでしょうが、
1つは数字・数式から図形的イメージをすぐに関連付けてイメージできるかどうかが挙げられると思います。

簡単な例では
2x+1=0という方程式の解というのは
y=2x+1という図形(グラフ)のy=0の場合のx軸座標(x切片)になるわけです。

数学が得意な人の共通点として、「方程式と図形をリンクして考えている」という点があげられると思います。
難解な問題でも図形を描いて図形と方程式とをリンクさせて考え、
根本となる理解をきちんとしておけば公式やパターンはそこからの論理的帰結に過ぎないため、
覚えていなくてもいつでも導き出すことが可能となります。

2次方程式の解の公式というのは超基本公式ですが、覚えている必要はなく、
2次関数のx切片を計算すれば良いだけです。(平方完成して解けば解の公式は導けます)

三角関数の分野などは公式やパターン数が多くて覚えるのが大変だという方もいますが、
弧度法を理解していて図形を書けばすぐに分かることなので、覚える必要はありません。

文系の高校生に苦手意識がもたれる教科と言えば物理と数学が挙げられますが、
高校物理ではほとんどの問題は問題を図形に書きあらわし、
その図形から方程式を必要数作った時点で問題の90%以上は解いている状態になります。

また、確率や統計も数字を見てグラフやベン図を思い描き、
数字・数式と図形を常にリンクして考えることが必要となってきます。

このリンクして捉える、関連付けて推測・思考するということは
数学や物理など理系教科の勉強の世界だけに限らず、
大人になって社会生活を営む上でも重要な思考過程になってくる場合が多いです。

人は表面に現れた様々な事象・経験から原理・原則・根本を推測・論理的に帰結し、
新たに遭遇する事象・経験に対し、
(それまでの経験や知識から推測・論理的帰結した)
原理・原則・根本から推測・論理的帰結した対応を行うわけです。

自分の経験・知識の中から原理・原則・根本を推測・論理的に帰結し、次に生かすという繰り返しにより、
様々な事象に対する対応力が上がっていくのを成長と呼ぶともいえるでしょう。

人生において起こる全ての事象は似たようなケースはあったとしても、
基本的にはケース・バイ・ケースで全く同じケースというのはないわけですので、
その過程を踏まない、あるいは論理的帰結になっておらず、
希望的観測・主観・思い込み・感覚などが強い推測を元に
新たなケースに対応することを繰り返していては、似たような失敗を繰り返すことになってしまいます。

逆に言うと、似たような失敗を繰り返すということは
経験や知識から原理・原則・根本を論理的に帰結出来ていない(個々の事象から公式を導けていない状態)か、
原理・原則・根本から個々の事象への対応を論理的に帰結できていない
(公式からそのパターンに対応する論理構築ができていない状態)ということにもなります。

せっかくの経験や新しい知識を役立つものにするためには、
それまでに得ていた知識や経験との関連付けをし、リンクさせて考え、
共通点や類似点、相違点などを踏まえることで、
それまでの経験・知識から導き出した原理・原則・根本との関連性の中で理解・吸収でき、
次から起こる事象への対応力・適応力となっていくことが必要となってきます。

それは数字・数式と図形をリンクして捉え、理解している原理・原則・根本から考えて
新たなパターンに対する答えを導き出すという過程と非常に似ているものです。