クラクフ 2日目~アウシュビッツ~ | すみっことかりんとうのグダンスク紀行

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三月から3ヶ月グダンスクへ留学します!

おはようございます。

今日は朝からばたばた...

3/31 2amからサマータイムということを知らずにアラームをかけてしまい、出発10分前に起きました...

ポーランドはまだ全然寒いのですが時間だけ早まり、日本との時差は7時間になりました😂

その後、グダンスクに帰る列車のチケットを買おうとしたら学割が使える二等車はもう一席しか空いていないと言われ...
一等車はなんと値段が3倍以上!!!
しかし、今日中に帰れるだけで有り難いです😢

何でも早め早め!という家訓を改めて実感しました😅


Krakow Glownyから約1時間半バスに乗り、アウシュビッツ収容所があるオシフィエンチムに着きました。
アウシュビッツという名前は、オシフィエンチムの発音が難しかったドイツ人がつけた名前だそうです。
日本人唯一であるガイドの中谷さんです。

地球の歩き方に載っている中谷さんに直接メールして、空いてる日を予約させて頂きました。


ポーランドがナチス・ドイツの支配下に置かれた1940年、アウシュビッツ収容所はポーランド人の政治犯を収容されるために作られました。
その後次第に、ユダヤ人、ソ連軍の捕虜をも収容し始め、規模が拡大されていきました。

こちらが収容所の入り口ゲートで
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれています。
収容される方たちはこの門をどのような気持ちでくぐられたのでしょうか。

文字をよく見てみると、ARBEITのBが上下逆さま(上の方が大きく膨らんでいる)になっていることがわかります。

これは作らされた方の、せめてもの抵抗の証ではないかと言われています。

収容所全体は二重の鉄格子で囲まれており、400Vの電流が流れていました。
この収容所から脱走に成功した者は、誰一人いなかったと言われています。


おびただしい数の靴に衝撃を受けました。
小さな子供の靴もたくさんありました。


また、被収容者の生活の様子も見ることができました。
朝4時半に起こされ、それぞれ炭鉱や畑、工場など様々な所に労働力として駆り出されたそうです。
ご飯は粗末なスープとパンのみ、トイレも1日二回という劣悪な環境でした。

3段の狭い木造ベットで、身を寄せあいながら寝たそうです。

「死の壁」
この壁の前で数千人が銃殺されました。

これはコルベ神父という方を称えたものです。
(16670はコルベ神父の囚人番号)

コルベ神父は1930年に宣教師として来崎された、大浦天主堂で布教活動を行われたポーランド人の神父様です。

その後、ポーランドに戻られ、1939年にナチスに批判的な態度を取ったとしてアウシュビッツ収容所に送られました。
その当時はユダヤ人だけでなく、ポーランドにおける有力な人物である政治家や神父様なども収容所に送られました。

1941年、妻子がいる1人の若い囚人が餓死刑に処せられることになった時、
「私はカトリック司祭であり、妻も子もいません」と身代わりを自ら申し出て、殉職されました。

代わりに助けられた方は終戦まで生き延びることができ、このお話は「キリスト教の愛の奇跡」と呼ばれています。


私達は中学の修学旅行で長崎に行きました。
その際、大浦天主堂でコルベ神父のお話を伺ったので、実際に神父様がいらっしゃった牢や記念碑を見ると、思いがこみ上げてきました。


そして、アウシュビッツ収容所から約2km離れた所にあるビルケナウ。
ビルケナウはアウシュビッツよりも更に大規模な収容所で、東京ドーム37個分の広さがあります。

「死の門」と呼ばれたゲート

線路は収容所の奥まで続いています...


窓もなく、息もするのがやっとな程の狭さの貨物車に、約70~80人が詰め込まれて運ばれてきました。

アンネの日記で有名な、アンネ・フランクはアムステルダムからビルケナウに到着するまで3日かかったといいます。

列車で到着した被収容者たちは、ここで軍医による選別を受けました。
(右手で指を指している人が軍医)

労働力とみなされない妊婦、女性、病人、老人、身長120cm以下の子供等は右、それ以外は左へと簡単に選別されました。

右に送られたら最後、待っていたのはガス室でした。

ガス室で使われたチクロンBという殺虫剤が入っていた空の缶の山
一缶で150人もの命が失われました。


アウシュビッツ収容所内には28棟の囚人棟がありましたが、こちらには300棟以上あり百数十万人の命が奪われました。

ドイツ軍がダイナマイトで破壊してしまったため、今は広大な草原になっています。


多くのユダヤ人の方も見学に訪れていらっしゃいました。
イスラエルの国旗をまとった方、キッパを被られている方...

同胞の身におきた事実に涙を流しながら向き合っている姿を見ると、胸が痛くなりました。


中谷さんは、なぜユダヤ人が迫害されることになったのか、そしてなぜそのような悲惨な出来事がポーランドで行われたのか、分かりやすく解説して下さいました。


実際に訪れてみると、1つの歴史上の出来事であっても見る角度、見る人の立場によって、全く違った意味合いを持つということを改めて感じました。


ドイツは現在難民を受け入れていますが、それもこのユダヤ人迫害という歴史に関係してると言います。

日本も、現在、南京大虐殺や徴用工の問題など様々な歴史上の問題と向き合っています。

日本という平和な国に暮らせている今だからこそ、このような過去の悲劇に向き合い、考え、そして後世に伝えていかなくてはいけないと思いました。

そして、生きるということは当たり前のことではないということを肝に命じて、1日1日を大切にしたいと思います。

ポーランドに留学に来たからには、絶対に訪れたいと思っていたので、大変意義深い1日となりました。