◼️今日われ生きてあり 神坂次郎著 新潮文庫


2024年07月06日にAmazonにて購入した

この本をペラペラ見ていて

あるページで目が止まったことは以前の

ブログで書きました。


今日はその本文を転記しようとしましたが、

現代語に修正してみました。ただね、

広辞苑では調べられなかった字があります

のでひらがなでふりがなを入れています。

広辞苑はすごく重たいけど、ないと困る代物。

で、あとは、祖父との過去のお話をします。



【弟へ

正しく強くしかも真実を失わない人間でありなさい。

偉い人間というのは決して社会的によい地位につく

人間のことではないのだよ。自分の思ったこと、

信じたことを正直に素直に実行できる人間が

本当に偉いのだよ。

周囲にどんな嘘や偽りがあったとしても、

決して心にないことをするものではない。

周囲に負ける男はみじめで卑怯な人間だ。


弟よ、軍人になろうとも、また、その他の道に

進もうとも出世を思う前に、今、兄の述べたことを

しっかりと考えるのだよ。


弟よ、田舎に育ったいい性格を絶対に

都会化するな。


知恵があり、気が利く人間に負けるな、

肚(はら)で勝つんだよ、それが、真の勝利だよ。】


↑の文章は、古典用語が少し含まれているので

現代用語に変えています。


意味を読み解けない文言は、肚=はらであり、

お腹や胃袋との意味があるそうです。

腹を括る=覚悟を決める

という言葉から考えると、腰を据えるの

腰もおんなじかな?とも考えられます。

ただ、この文章を読んでいると、祖父の

兄の話を思い出しました。


祖父は、私が祖父に戦争の話を聞くときは

必ず涙を流していました。


私が小学二年生だから、8歳のときから

かれこれ39年位前ですね。

学校の宿題であった戦争についての作文を

書くために祖父に話を聞いたあのとき、

B29のことを聞いたのですが、涙で声をつまらせ、

ほぼ、嗚咽していました。

何分待ったかな?おじいちゃんが泣いてしまって

話を聞けないかな?そうなると小学校の作文の

宿題が書けないよ…どうしようと悩んだ記憶が

あり、おじいちゃんにどういった言葉をかけて

いいのか悩んだ思い出があります。


長い時間、泣いていたおじいちゃん。

そのあと、孫であるりかにと話を

してくれるのですが、B29が飛んできて…。

だけしか話せずに終わりました。

聞かなければ、おじいちゃんを泣かすことに

ならなかったのかな?と心中では

思いましたが、それほでまでに辛いことが

あったのだろうなとおじいちゃんの気持ちが

収まるのを待った小学二年生の私でした。


大好きだった祖父の

涙で歪んだ顔は三回見ました。

おじいちゃんと一緒に写るおばあちゃんの

若かりし頃のコピープリント。

私たち家族には、それしかありません。

ゆきよちゃんがすべてのものを手にしています。

だけど大事なのは、おばあちゃん自身。

だから、私の両親は何も言いませんがね。

おじいちゃんには、一人血の繋がった兄が

いました。都城で通信の交換手をしていたらしいです。

また、父も知らなかったことを祖父は

私に教えてくれていた事実がありました。

証拠と言うべきものも見せてくれていました。

こういったことは、ゆきよちゃんは知らないです。

もちろん、我が弟と従兄弟の弟もです。


私だけが知っていました。

父親さえ知らなかったみたいで。

それについて、父とちょっとけんかになりました。


ゆきよちゃんだけでなく、我が弟くん、

いとこの弟は絶対に知らないこと、

りかおばちゃまの父親にさえ、話してないことを

おじいちゃんは私に話してくれてたということは

かわいがってくれていた証拠ですよね。


そうそう、すごく大きな人形のお祭りが

あるっていう話も聞きました。

おじいちゃんは、口数は少ないですが

私と私の母だけには信頼してくれていた

のでした。


人って、華やかでパフォーマンス派と

地味だけどいなくては困る派に大きく

分類できるかと思います。前者は割りと

適当な対応をする人も多く、だいたいきれいな

人は自分の魅力をわかっているから…ね。

たち悪いのもあったり…はぁ。

その尻拭いするのは地味派。はぁーっ…。


ちなみに、私と私の弟は一度足りとて

怒られた記憶は一切ないけれど、

京都育ちの従姉ゆきよちゃんは、

四六時中、好き勝手をしていたものだから

それはそれは祖父母からいつもいつも

怒られていたのでした。

なんで、いうことをきかないんだろう?

と、常々思ってはいましたがね。

でなければ、Facebookで私の旧姓を

使い、なりすましをしないでしょ?

経歴詐称もいいところ(笑)

男性の皆さま方、

くれぐれも美人にはご用心くださいね!(笑)


それにしても、なつかしい日々を思い出します。

母が祖母を買い物に連れていくため、

車の免許をとることを反対したおじいちゃん。

その祖父を説得して母が免許を取りました。

それからは、母と幼い私や弟が

祖父の家へ行く度に、祖母は決まって

その時間になるとモーニングに出掛けており、

母は祖母の台所と祖父母の寝室の掃除を

していました。

もちろん、頃合いを見計って帰宅する祖母。

その間、私は新聞を読みながら、お茶をすする

祖父の横で一緒に話をしたり、まったりしていたのを

覚えています。


また、あるときは、あくまきと甘味のある醤油が

送られてくると大喜びしていた私。

学校のお弁当にあくまきにきなこを

まぶしたものだけを詰め、

お昼に持っていった中学生時代の私。

クラスの男子までもが、なんだよそれ?と

聞くくらい。分けてあげると「うまい!

明日も持ってこいよな!」と言われたな(笑)

懐かしい思い出です。





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おばちゃま、開花しちゃいました?

~りかおばちゃまの日記~


 rikachima0925


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