34年振りに触れた父の愛~亡き父と交信「霊能師、令和の母高橋久美子」 | 「理香子」のブログ

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波瀾万丈な人生、何人もの霊能師との出会い。

そして、開眼。
霊能師として、修業中。

奮闘記を綴っています。

  

2000年5月、離婚して8年目。

両親も早くに亡くなり、離婚により、兄妹からも縁切り。
子ども達とも疎遠。

一切、身寄りのない私は、
自分の進むべき方向 をご指南いただく為、
県内の霊能師 「令和の母」高橋久美子先生を
訪ねた。

その時、先生から言われた。
「もう、決まっているじゃない!それだけ沢山
修行僧を引き連れているんだから、私と同じ道
しかないでしょう」

そして、昨年の夏、開眼。
霊能師の仲間入りを果たし、修行中。
まだまだ、ヒヨコ。

分からないことだらけ。
先生は、その都度、丁寧に起きている現象の
意味や解釈を説明して下さった。

今回の先生からのメールは、
私が県内の日蓮宗の寺院にて行われている
「九識霊断法」
という占術に惹かれ、寺を訪れたことを
心配して下さったことがきっかけだった。

その住職にて、占術の結果が知らされた。

「お父さんは、まだ成仏出来ていない。
色情未練があって、さまよっている。」
確かに父は、不倫相手を残して亡くなった。

「でも、あなたは様々な困難があった人生なのに、精神力は物凄く強い。」
そうですよ!負けてたまるものか!

「お父さんの 供養をあなたがしていかないといけませんね。」

実は寺に来る前から、おかしな現象が起きていた。

前の晩、サイトで寺の写真を見ていた。

「うわっ!凄い!」
外の木々に沢山の霊が憑いていた。

翌日、駅でバスを降りる時、料金箱に入れた
整理券は「読取り不能」の表示。 
「誰かが迎えに来た」
と、分かった。

電車を降り、タクシーに乗り、心して寺に
向かった。

タクシーを降りて、寺をながめた。
「この寺は、空っぽだ。」
何故かそう感じた。

出迎えてくれた住職は、小柄な華奢な男性だったが、私には女性に見えた。

頭では、男性だと分かっていても、何故か女性なのだ。
寺に入っても、感じるのは沢山の女性の気配。

それに、住職は、親の愛情を知らない人だと
会話の中で感じた。
淡々と話し過ぎる。
親、特に女性に育てられていないと思った。

占術が終わり、トイレをお借りしたとき、
ふっくらした目のくりっとし た女性が、
私に近づいてきて、目の前で消えた。
この世の人ではなかったのだろう。

不可解なことが多い寺だった。

帰り道。

占術が終わり、タクシーで駅へ。
駅の椅子に座り、リュックのファスナーを
閉めようとしたとき、途中から閉まらなくなった。
どごも咬んでないのに。何故だろう?

家に帰ると、トイレの水勢のメモリが
高から中に 下がった。
毎日、トイレを使う度に下がるメモリ。

それに、左肩から左手が痛くなった。

私は、父を亡くした28歳から、父の闘病平癒のお札のお焚き上げを頼んだのがきっかけで、
日蓮宗寺院とご縁をいただき、離婚まで約20年手をあわせてきた。

また、日蓮宗とご縁が出来たことをいつも親身にご相談に乗っていただいている市日蓮宗のお上人さまにご報告した。

お上人さまは、とても気さくな方。
この寺について、詳しく教えて下さった。

現住職は、津軽三味線の名奏者。
銀行員を辞め、後を継いだ。

女性の信者が800人いること。
沢山の女性の気配は、その為だ。

前住職は、里子制度で親のいない子ども達を
引き取っていたこと。
現住職は、里子に違いない。

そして、ネット記事から、
2021.4
前住職は、車のボンネットにしがみついた女性を振り落とそうと約1キロ走行、駆け付けた警察に現行犯逮捕されたこと。

日ごろから、私に目を掛けて下さっている
令和の母高橋久美子先生にも、 同じように
メールでご報告した。

先生から、返信がきた。
「津軽三味線をやっている男性は、気をつけて。色情因縁がある人だから。」

 令和の母のメール、日蓮宗お上人さまから
聞いた話、私の感じたことをまとめると
こういう結論になった。

悩みのある人は、ほぼ女性。
占術の金額は設置されておらず、安いお金で信者を集めている。

私がトイレで見かけた女性は、茨城県行方不明者名簿に掲載されていた。
既にこの世の人ではない。

ご宝前も、空っぽ。授かったお守りも空っぽ。
値段を安く設置して、儲け主義。

前住職逮捕時の写真から、
78歳前住職の頭の表面には沢山の女性や武将のようなものが憑いていた。

何があってもおかしくない寺だ。
深入りは、避けようと決めた。

翌日、他県在住の霊と戦う霊能師師匠に所用が
あり、電話を掛けた。

「俺、今、歯に膿がたまり、仕事を休んでいる。
あれっ、お前、女の人5人見えたぞ!
昔の八百屋でザルお金を入れていただろう。
寺は儲け主義だな。
武将のみたいな奴もいるぞ!7、8人の霊を
連れてきたようだな!
今回は、今までとは違って本気でやらないと、
人格 入れ替わるぞ!家中に塩を盛れ!
線香は切らすな!不動明王へ通え!」

寒気が凄い!
ヤバイところに行ったらしい。
何故行ったのか自分でも分からない。
精霊の誰か呼ばれたようだ。

リュックのファスナーが閉まらなかったのは、
霊が入りきれなかったようだ。
 
今回は、師匠を頼れない。
自分が、霊に負けないように頑張らねば!
人格乗っ取られてたまるものか!

今日まで、不動明王に通い、
「不動明王の真言」を唱えてきた。

そんな中、令和の母高橋久美子先生は、
ずっと私のことを心配してくれていたようだ。 

先生からメ-ルが届いた。

「こんばんは。お父さまと交信しました。
お父さんは、可愛い人ですね。
『あんたは、そのままで良いよ。 
俺に似て馬鹿なところがあるけど、
そこがまた可愛いところ。
だから馬鹿のままでいいけど、
もう、それ(体目的)と分かっている男
とは関わるな。
俺の事よりも、自分の事を心配しなさい。』

お父さんは、貴女が供養したら良いですよ。
他人に頼む必要はありません。
「お父さんも大変でしたね、
私はまだまだ現世で頑張らないといけから、
応援してください。」
お父さんの不倫のこと、色情未練のことは
許してあげて。寄り添ってください。
それが供養。」

お父ちゃんだ!

涙が止まらなかった。
父の前では私は子ども。
懐かしくて、甘えたくて、先生の気持ちが嬉しくて。

私は、いつもいい子でなければいけなかった。
兄や妹のように、我が儘を言えない子どもだった。いつも遠慮する子どもだった。

父の不倫の仲介も中学の時、頼まれた。
本心は嫌だったけど、父を困らせないように無理していた。

父のことは、大好きだった。

祖母の1回忌は、私達兄妹で執り行った。

その翌日、肝硬変で入院していた父は、
食道静脈瘤破裂の大量吐血で、いきなりこの世から居なくなった。

死に目に会えなかった。 
私が28歳の時だ。

まだ幼い子ども達の世話、通夜、告別式があり、悲しんでる暇はなかった。

葬儀が終わり、落ち着いた頃、大きな傘が無くなってしまったような気持ちになった。

祖母の介護、葬儀に続き、父の看護、葬儀。
私は、精神的不安定になった。
体重が激減したまま、子ども達を育てた。

現在、私にはかけがえのない恩人がいる。

いつも困ったとき、気に掛けて助けて下さる
霊能師の方々、日蓮宗お上人さま初め多く人達

私は幸せ者だ。

今回、父に触れることが出来るなんて夢にも思わなかった。

父は、向こうの世界で成長していると、先生が教えて下さった。

先生の気持ちが嬉しくて、有り難くて、また涙が頬を伝った。