身延で流した不思議な涙2017 | 「理香子」のブログ

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波瀾万丈な人生、何人もの霊能師との出会い。

そして、開眼。
霊能師として、修業中。

奮闘記を綴っています。




福井県敦賀市に出張中の親友が、土日の休暇を利用して、
「永平寺に御朱印を貰いに行って来ようと思ってるんだ」
と、電話で私に話してくれた。

「どういう心境の変化?」
「ホテルにいると清掃の音が響くし、折角近くまで来ているから」

日本海側には大雪警報が出ているらしい。

一緒に行くはずだった職場の同僚は、あまりの大雪に直前になってやめたそう。
「普通は行かないよ」

土曜日の日中、私の携帯に雪の永平寺と御朱印の写真が届いた。

日曜の朝の積雪は52センチだったらしい。
「今日はのんびり?」
「今日も行くよ。何処に行くか考えてるところ」
「ハマった?以前だったらゴロゴロしてるのに」
「心がすっきりしたんだ。それが気持ち良くて」

次の日は、滋賀県大津市の石山寺に行ってきたらしい。
寺の写真を見ると晴れた青空。

帰りの電車が雪の為大幅に遅れ、7時間掛かって戻って来たと言っていた。
「自分でも変わったと思うよ。以前なら雪の日は出掛けなかった。お寺にご縁があったのかな」

彼の「心がすっきりした」という気持ちは良く分かる。

メールで送られてきた御朱印の写真は、私の心に刻まれた不思議な体験を思い出させてくれた。

18年前、私は、日蓮宗総本山山梨県身延山久遠寺を初めて訪れた。

日蓮宗のお上人との出会いは、私が28歳。
何があっても大きな傘となり、守ってくれた父を亡くしたばかりだった。

まだ幼い子どもを抱え、言いようのない不安感に襲われ、病床に付く父へ「当病平癒」の願掛けした御札のお焚き上げをお願いする為だった。

願を掛けたら、叶っても叶わなくても、必ず御礼参りをしなければいけない。
願掛けをした人の思いが残ってしまう。

身延山で厳しい修行をされた尼僧のお上人。

それが切っ掛けとなり、子ども達がまだ幼い頃から家族で御宝前をお参りさせていただいていた。

毎年5月の身延山久遠寺への団体参拝は、年間行事の中でも大きなイベントだった。
子ども達もそれぞれ一度は、身延を訪れた。

私が身延への参拝に参加する事になったのは、僅か数日前。
急遽決まった。

元夫の心臓の不整脈カテーテル手術予定日が近づき、1人では不安だからついてきて欲しいとの希望からだった。
3歳の次女も一緒に連れて行った。

参拝時、行衣を着て行く必要があった。
お上人に名前、日付、信力増進、身体健全の祈願文を書いていただいた。そして、ひとつ目の御朱印を押していただいた。

途中、参拝した寺で、背中に2個目の御朱印を押してもらった。

身延山に到着。
バスを一旦降りて、久遠寺を周辺を散策した。
沢山の参拝者や観光客が来ていた。

すると、何故だろう…

涙が勝手にハラりハラりと流れ出した。
何を見ても、何を聞いても涙がひとりでに流れていた。

宿坊に着き、精進料理を運ぶ修行僧、お膳を下げ、料理を作って下さった宿坊の方々を見ても、涙が止まらなかった。

夜、皆で部屋で集まってお上人と団欒していても、やはり涙が流れた。

翌朝早朝、宿坊から久遠寺まで歩いて「朝のお勤め」に参拝。

大勢のご僧侶、修行僧による荘厳な読経、太鼓の音、鐘の音、天井の黒龍、全てのものに触れている間中、とめどなく涙が流れて仕方なかった。

泣きたかった訳ではなかったのに、2日間涙がただひたすら流れ続けた経験は、今までの人生であの一度だけ。

「私、辛かったんだ!」
子どもの頃からずっと良い子、良い妻、良き母でなければならなかった。

随分、自分の気持ちを抑えてきた。
それに気付かされた。

身延は空気が違っていた。

神が住む神聖な山だからこそ、
自覚がないまま素直な気持ちにさせられ、
自分でも忘れていた心の奥底にしまい込んでいた辛かった事や悲しかった事を、涙という形で洗い流す事が出来たのかも知れない。