第七章 調査班Z班 御笠 文子(上) | 田中利佳のブログ

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※第一章はこちら、黒ウサギのリストはこちらになります。




 第二班班長伊藤貴志、そして同行していた塚本恵がフランスから帰国したのは、その4日後のことだった。
 畑野と雪乃が再び扇キ山に呼び出されたのはそのまた二日後のことである。
 2班の部屋を開けると、そこには伊藤と恵、とそして。
「おっ。」
 畑野が少しびっくりした顔になっている。
「おーーーーっ!!!」
 雪乃の顔に思わず笑顔がはじけた。そしてまっすぐその大柄な女性の元へ握手を求めた。
「久しぶり。」
 女性はソファから立ち上がり、雪乃につられたように笑顔になった。
「あ?やっぱり知ってるんや。」
 恵が言った。恵はつい数週間前に紹介されたばかりだったのである。
「なんか、悪名ばかり一人歩きしててね。」
 髪をばっちり固め低めのお団子にまとめたその女性は、苦笑いを後ろの恵に向けた。
 と思ったら雪乃はぱっとその手を離した。そして…。
「ちょ!びっくりするやん!!」
 恵も思わず笑顔になった。雪乃が思いっきり抱きついてきたのである。
「ごめん、このおばちゃんがデカ過ぎて気がつかんかった。おかえりメグ。さびしかったわ」
「…ただいま。あんた、ど直球すぎて鼻血が出そうやわ…てかぐるじ~~~~」
 恵の顔が真っ赤になっている。
「仲いいんですね。」
 女性が伊藤に言った。
「同い年ですからね。」
 伊藤は言った。
 その後ろでは畑野がお茶を淹れている。



 彼女の名は、御笠 文子(みかさ あやこ)と言った。
 上層部も含め、誰もその正体を知らない。
 分かっているのは、彼女が調査班Z班の所属であるということ。
 これだけで、黒ウサギのメンバーを黙らせるには充分である。



「異端児。」
 伊藤は不意に口を開いた。
「イタンジィ?」
 漢字がパッ、と出てこなかった恵は口をあんぐり開けて首をかしげた。
「異端児、いたんじ。」
 伊藤は苦笑いになって漢字の説明を一通りして恵をようやく理解させた後、「Z班の通称。あだ名やな」
 そういえば調査班は実行犯分、つまり1班~4班の4つしか存在しないはずだ。各実行犯と対応していて、恵や雪乃も調査班2班の所属、ということになる。とはいえ、普段はわざわざこう名乗る機会もないのだが…。ともあれ、少なくともZ班、というのは、これまで存在すら聞いたことがなかったのだ。
「Z班はな。他の班との兼任は基本やらんねん。専属や」
 伊藤は言った。
「え?でもそれやったら、そのZ班いうのはどの実行犯のアレなん?えーっと」
 混乱し始めた恵に伊藤は笑って、「そうなるよな。実は俺もよう知らんねん。何せ新入りやからな、俺は。実行犯が他にあと三つあるっていうの知ったんも数年前やし。Z班の存在なんちゅうたらもっと最近や。」
「ふーん…」
「知ってるんは"Z班"という名前出しただけで上層部の三人ですら顔色がサッと変わるっちゅうんと、文子(あやこ)さんがZ班の窓口に立ってる、っちゅうこと。調査の腕は俺らより数段上やな。多分やけど…。ぶっちゃけ、俺らがここまで調べるんに大体2ヶ月ぐらいかかってるんやけど、あいつらやったらまぁ一ヶ月かからんと上げてくるやろな」
「…げぇ。」
 恵は本当にうへぇ、という顔になって、「てことはZ班は複数?」
「これも多分…やけど。」
「…で、上層部の下におる組織、ではない。」
「これも多分…。」
「じゃあ、何なん。」
「さぁ?」
 伊藤が首をかしげたところへ、
「そこまでにしてもらえるかしら?」
「!!」「ひゃあ!?」
 何ということだろう。いつの間に、御笠文子がそこにいた。しかもそこは、恵の座る椅子の真後ろだった。
「あんまり首を突っ込むと、ケガじゃ済まなくなるわよ。」
 御笠はニタァと笑いながら恵の首にぴったりとナイフを向けた。
「…!!」
(何ちゅうことや…!!全然気配なかったこのおばさん…!!!)
 恵の背筋が凍りついた。
「笑わせんなや、文子さん。そのナイフがパチモン(偽物)なん、バレバレやで?」
 伊藤の目が笑っていない。御笠から笑みが消えた。そして、
「ふん、つまんないの。もうちょっとこの子の肌触ってたかったんだけどなぁ。」
 と、恵のほおを自分のほおですりすりして(気持ち悪い…!)、ついとナイフをしまった。
「…!!!」
 恵の全身に悪寒が走った。
(食われるヤられる犯される…!!!)
「ついでに言うけど、そいつにべたべた触るんもやめてもらえるか?」
「…。」
「怪我じゃすまんことになるぞ?」
「…おーぉ。怖い怖い。なぁに?将来のお嫁さんがキズものになっちゃ困るって?」
「ご明察どうも。」
「…!あら、まぁ。」
 突然堂々と宣言されるとは思わなかった御笠はびっくりした顔で傍らの恵をみた。しかし。
「うぅあかんキモい…何やあれ…」
 残念ながら恵は今のやり取りを一切聞いていなかったようだ。必死になって自分の体から"何かあったかかった物"を振り払おうとしている。そしていつの間に傍らに座っていた御笠に気づくやいなや、あわてて伊藤の隣へ移動した。
「アッハッハッハ!!」
 御笠は思わず頭を抱え笑い出した。
「ムリムリムリムリ…」
 恵は伊藤に向かって首を振りながら必死に何か訴えている。



「というわけでね?今回は佐藤さんの頼みでここのお調べを手伝うことになった、ってワケ。ご挨拶おくれたわね、ごめんなさい。私は御笠(みかさ)。御笠 文子(みかさ あやこ)っていいます。アヤコでいいわ」
 御笠文子はそう言うと恵と握手した。
(キレイな標準語やな。関西の出やないわ、あれ…)
 とこれはとりあえずバレないように手を拭きながら思った恵の第一印象である。
「部署の性格上、Z班(ウチ)の業務は明かせないんだけど、黒ウサギの敵ではないからそれは安心して頂戴。実行(盗み)は出来ないけど、それ以外なら何でもこなせるわ。」
「…。」
 ここまで言い切れるとはたいした自信やな。伊藤は内心感心していた。
「"我々にとって
 心とは 奪うもの
 人とは 思いやるもの
 よって我々は
 人を愛さず 美しき物を愛さぬ者に罰を与えん
 人を愛し  美しき物を愛する者に出来うる限りの愛で応えん"」
「怪盗結社黒ウサギ憲章第一条の一項やな」
「私達Z班も、この一文の下に任務を全うしているわ」
 声こそ静かだったが、その目には力があった。
「…分かった。俺らに詮索する気はないからまぁ安心…言うか信用して、って言うしかないけど。」
 伊藤はちょいと両手を上げてこう言った。
「第一、そんなヒマないし。なぁ?」
 (あの目、他の実行犯(ヒト)たちにはないわ…)と思いながら、恵は伊藤を見た。
「うん。」
 伊藤も頷きつつ、「…で?ノックもせんと入ってきて。どないしたん」
 伊藤貴志、要はそこが気にくわなかったらしい。
「…色々、面白いことが分かったわよ」
 御笠の顔がニタァと笑った。



「盗み出した設計書、見せてもらいました。」
 御笠は言って、「情報量が多すぎて苦労したけど…。中にどえらいごついプロテクトがかかってるデータがあって。これかなーと思って外してみたら…これだったの。」
 プロジェクターの画像が切り替わった。
(何、これ…内部の鉄骨か何かやろか…)
 恵は首をかしげた。
「これ、シャンデリアのこの部分。外からは見えないんだけど…この鉄骨が中でシャンデリアを支えてる。言わば大黒柱といったところね。
 何故この鉄骨のページ"だけ"にプロテクトがかかっていたのか。拡大してみて…分かったわ」
 御笠はここで言葉を切って、そして続けた。
「この柱。仕掛けが施されててね。下の部品のここ。これを引くと…」
 御笠はマウスをかちりと動かした。
 下の部品が引っ張られる。すると…鉄骨が各パーツに分かれ、バラバラに分解されてしまった。
「この部品、支柱の全てのネジと連動しててね。ここを引くと、バラバラになってしまうの。つまり、シャンデリア本体がもろとも下へ落下することになる」
「下の人間は無事では済まんな?」
「そ。このシャンデリアは1.8t(トン)。ガラスのパーツだけでも1tは超える。生きては居られないわ。」
「…」
 伊藤は黙ってしまった。
「こんな仕掛け、普通にあるもんなん?」
 恵は素朴な疑問を口にした。
「いい質問ね、メグ。常識に照らし合わせるのはいいことよ。」
 御笠はにこりと言って、「ないわ。こんな物。このサイズはね、大き過ぎて世界にもあまりないんだけど。ここまで大きい物だと、組み立てるだけも十数人の人手がかかるの。もし組み立ててる途中で誰かがここを引っ張りでもしたらどうなる?事故よ。下手したら死亡事故。常識ある人ならこんな仕掛け作らないわ。」
「芸やる人ん中には常識ない人もおるけど…」
 伊藤は言って、「まぁ、ないわ。」
「じゃあ何で…?」
 と恵が御笠を見ると、
「さぁ?」
 今度は御笠がこの台詞を吐いた。
「このシャンデリアを触られたくないんやろ。たとえ、その人間が死んでも。クリスタルガラスが血で濡れても。」
 伊藤は吐き捨てるように言った。「これはガラス職人が作ったもんやないわ。あかんわこれは…」
「…。」
 御笠は真顔のまま沈黙した。その目は伊藤を見ている。
 恵も事態が動いていく瞬間を目の当たりにし、何も言葉が発せなかった。
 何かあるのだ。
 このシャンデリアの中、に。
 と、その時。
「よっしゃメグ。デートしよ!」
「はぁ?!」
 伊藤が突然言い出し恵は面食らった。
「次はフランスや!どうや。」
「タカさん、あんたなぁ…」
 冗談も大概にし、と言いそうになったが、「…あ、まさか…現物見に行く気?」
「うん。」
 伊藤はにこやかに言って、「文子さんのおかげでネタはそろったしな。あとは実物見たほうが早いわ。文子さん」
「はい。」
「すんませんがもう少しお付き合いいただけますか」
「えぇ、もちろん。ここでほっぽりだされてもモヤモヤしますし。」
 御笠は笑って、「大方、通訳をお願いしたい、ってところでしょ?」
「ええ。僕はフランス語なんて出来ませんから。」
「…でしょうね。」
「御笠さんはフランス語が話せるんですか?」
 恵は御笠を見た。
「えぇ。だから佐藤さんは私を指名したんだと思う。」
 御笠は言って、「…あの人のカンは当たるのよねぇ…」
(どこかで聞いたな。どこやったっけ。)
 恵ははて、と思ったが結局思い出せなかった。



 数週間後。
 恵は真新しい紺色の手帳を上にかざし、まじまじと眺めていた。
 それはパスポートだった。
 勿論、恵のものである。
 が、そこに印字されている名前は全くの別人。
(誰や、森田優子て…)


 黒ウサギには調査班Z班の他に、もう一つ隠れた部署が存在する。
 それが、実行犯第零班。
 とはいえ、Z班とは違い、その目的は皆に認知されている。
 それは、"偽造"。
 彼ら(…実はここも人数が分からないので、おそらく複数であろうという推測を元にこの単語を使うことにする)は実行犯からの依頼に基づき、、ありとあらゆる物を本物そっくりに偽造することができる。対象の物は主に宝石の模造品。絵画の贋作。今回の恵の偽造パスポートもそうだ。そして最も多いのが…鍵。ターゲットの保管されている金庫、部屋。建物。その鍵の複製。
 彼らは決して、黒ウサギの表舞台になど出てこない。
 しかし、零班なくして実行犯は活動出来得ない。
 だから、実行犯たちは皆、第零班に最高級の敬意を払うのである。



 恵はそのパスポートをぱたりと閉じ、机から立ち上がると、大きく伸びをした。
 眼下には飛行場。明日には私はあの飛行機のどれかに乗っているだろう。
(おかん、見てる…?あたし、フランスに行けるんやて。)
 そういや最近、首を吊った母の死体が夢に出てこなくなった。
(…あたしが生まれたとき、そのあたしがこんな犯罪者になるなんてあんた、想像もつかんかったやろね…)
 でも、忘れてしまった。母の顔。写真も持たずに家を出てきたから。
(でも…見とってくれるかな…?きっとあたしは死んでもそっちには行けん。行き先は地獄やからな。)
 これが地獄行きの片道切符や。これが。この、人生が。
 不眠不休で報告を書いていたため、猛烈な眠気が襲ってきた。恵はパソコンをぱたりと閉じるとメガネを外し、ベッドに倒れこみ…そのまま、眠ってしまった。