放送部の顧問『鈴木儀十郎先生を偲ぶ会』。

先生が亡くなったのは、去年の6月だった。
お通夜は中学生の東京大会決勝、葬儀は高校の決勝。
ある意味、こんな日にであり、この日だから……であり。

お通夜が終わったあとにお線香をあげにいくのが精一杯だった。
それでも、放送部の大きな行事であったし、総合優勝の盾を持って先生のところに行けたので、私としては、ちゃんとお別れできたと思っていた。
問題は出席者の方で、連絡を担当したのは2年後輩だったため、それ以降の卒業生にしか連絡できなかった。
申し訳なく思った。
先生にお別れを言いたかった人はもっと大勢いたはず。
ちゃんと動けていれば……

 

絶対に偲ぶ会をやろうと思った。
その挨拶と同時に連絡ができなかったことを謝りたかった。

 

放送部は創部58年。
参加いただけた1番上の方は昭和35年卒業だ。
来ては頂けなかったけれど、何人もお電話を頂いてお話させて頂いた。

 

やろう!と動くのはできるのだけど……
細かいことができないのは高校時代からで(-_-)
本当に情けない限り。
どんちゃんとその同期の後輩たちが受付周りをすべてやってくれて、私の同期が会場設備をしてくれた。

 


あれ用意したよ、これ持ってきたよ、先生のお写真の周りにこれ置くよー。
足りないものはすぐに買いに走ってくれた、同期の副部長、マネージャー。
部長のあたしがだらしなくても、こうして部活が成り立っていたんだよなぁ……と思い出した。

 

50人近い参加者で『偲ぶ会』は始まった。


同期は15人中11人来てくれた。
何より一個下の後輩が7人中6人も来てくれた。
ずっと会えなかった先輩方、後輩たち。
お互い歳はとったけど、声が全然変わっていない。
話グセとか笑い方とか昔のまま。
そのことを言い合って笑っていた。

 

先生が創った放送部は58年、伝統をつないできた。
ここにいるみんなが「江戸川女子放送部」として大会に出て、同じように笑ったり、くやしい思いをしてきたのだ。

大学で先生のゼミだったみなさん。
放送部の中で居心地が悪かったですよね(>o<)
すみません。
でも、先生、すごく喜んだと思います。

奥様もいつまでもお元気でいてほしい。
近いうちにお宅に伺います。

 

2次会は同期9人でカラオケ。
お店の人が5人、4人で2部屋とってくれたけど、ギュウギュウと一つの部屋に入り込んだ。
「歌いたい人は勝手に隣の部屋で歌えー」
結局ひと部屋でこと足りた。
ただただ大声で話して笑った。
今更ながら、なんで放送部に入ったのか、なんて話で盛り上がった。
歌わなかったけど、防音でよかったね。

もう1軒いく?
いや、帰るか……
なんかすごく疲れた。
あぁ、そうだ、徹夜したんだった。
無料でプロジェクターを貸してくれるというので、最近の大会作品や活動の様子、合宿の様子を編集してDVDを作ったのだ。
ただ、パソコンを持参しなければならず……(/。\)
見ることができなかった。見せたかった。

 

60周年、絶対やろう!
今度は鈴木儀十郎先生ではなかった、卒業生にも声がかけられる。
で、きっとまた細かいことはみんながやってくれるんだ(^^;)
今の高校生たちも2年後は卒業生だ。
あたしがコーチになってからの卒業生たちには連絡とりやすいし、大勢集まれるといいな。

先生、放送部を作ってくれてありがとうございました。

 

さてと、もう夏休み。
合宿まで1ヶ月切った。

 

今の高校生たちに
「今週は卒業生の集まりがあってさ、久しぶりに後輩を味わうよ」
と言ったら、
「後輩の時代があったんですねぇ」と。

『偲ぶ会』では中堅どころだったよ。
そしてやはり……
先輩と話しをするときは立ち上がってしまうね。

 

開場は、錦糸町駅前のロッテホテルのバンケットルーム。
自然光がたっぷり入る気持ちのいい場所でした。

 

参加した同期全員で。

 

2コ上の先輩と、1コ上の先輩と一緒に。

あたしたちが1年生だったときの布陣。

 


 

同じ班だった。

 

 

お食事はバイキング、美味しかったです。

 


 

さすがロッテ、コアラのマーチの『コアラパンケーキ』が食べ放題♪