6カ月のリハビリを経て退院したとき、会社の先輩のSさんが家に来て「すごい力を持った治療師がいるから会ってみないか」と言った。Sさんも何度もお世話になっていて、今回のリコのような症状も治しているらしい。

Sさんは真面目で慎重な人なので信用できる情報だと思ったし、そんな大事な話を持ってきてくれたことに感謝した。


治療師のMさんは当時の私と同じ32才の女性。まず何度か見てもらったが、「落ち込みがひどすぎるから治療が効かない」と言われた。

3回目くらいのときにとうとう「しばらく治療は休みましょう」ということになった。私の落ち込み方に少しあきれているようだった。自分ではそんな自覚はなかったのだが。当時の私には唯一の希望だったのでそれなりにショックだった。

その後Sさんがお見舞いに来た。きっと励ましてくれると思ったが、怒りに満ちた顔で終始私を睨みつけていた。

具体的に何を言われたかは忘れたが、こういうことだった。


大事なMさんの機嫌を損ねるなんて、なんてことをしてくれた。そんなことで落ち込んでいるからだめなんだ。これからたまにちゃんと明るくしているかチェックしに来るから、自分をMさんの代理と思って大事に接してくれ。


なんて人だろう。その後しばらくは我慢してSさんの定期訪問を受けたが、結局Mさんの治療は受けられなかった。

しばらくの間、私はSさんのこういう視線に傷ついたし、いま考えるとそれでも頭を下げて従うしかなかった自分はとても弱い存在だと思う。

Sさんとは長い付き合いだが、あの時期のSさんの言葉や視線は、もう二度と思い出したくない。


Sさんがこんなブログを見たらネガティブだとどんなに避難されるだろう。自分でも消し去りたい記憶だ。忘れっぽい人になりたい。
事故が起きた練習のとき、一緒に練習していたのは主にIさん、Mさん、Sさんの3人だった。

その日の練習内容の記憶から、病院では私の脳幹出血の原因になったのはIさんのアゴへの打撃だろうと推定され、道場の支部長に報告された。

スポーツ事故なので、Iさんの方も気の毒だ、気にしているだろうと思った。

でも、私がベッドの上で過ごすようになっても、Iさんは一向に会いに来なかった。

そして1年後に周りから促されて来た手紙には「怪我くらい覚悟の上だと思っていた」と書かれていた。

さらに、その手紙を一緒に読み、いたたまれない私の気持ちをわかってくれると思ったSさんとMさんは「Iさんは辛い中よく手紙を書いてくれた」とIさんをねぎらった。誰のことも理解できず狂いそうだった。

事故の後、お互いに「ごめんなさい」と言いたいと思ったのはそんなにキレイ事だったのだろうか。気持ちのやり場がなかった。

3人とも短い間だけど一緒に練習してきた仲間で、大好きだったし楽しかった。

でもあのときの3人のあの対応のことは、恨んでいる。消したくても心にグサッと深く刺さっていて消えてくれない。

たぶん、私の知り得ない事情もいろいろあったと思う。最初の頃、どこからか、私がIさんを訴えようとしているという噂が流れたらしかった。でもそれを訂正する場は私に与えられなかった。


どこで狂ってしまったのか、何を恨めばいいのか、どうしたら消化して楽になれるのか、わからない。
私は“病気や痛みの原因はその人の内面にある”という少しスピリチュアルな考え方をなんとなく信じている。

7年前の大事故以来、原因不明の痛みが徐々に悪化し、どこの病院でもわからず、最近では「この痛みから逃れるには死ぬしかないんだろうか。もう死んでしまおうか」としょっちゅう考えるほどになっている。

最近ふとしたことで、自分の中に黒々とした感情がたまっていることに気づいた。

事故以来、さまざまな人とのやりとりの中で受けてきた傷がある。事故の関係者だけではなく、友達、同僚、家族との間でもいろんなことがあった。もう二度と会いたくない、思い出したくない、と思って封印してきた。トラウマと言えばかっこいいけど、それは反面“恨み”になっているのかもしれない。

どうしたらこの人たちを許せるのか、どうしたら許したことになるのか、どうしたらこんな自分自身を許せるのかわからないけど、こんな気持ちを吐き出してみたいと思った。

あまり知り合いに話せる内容でもないし、知り合いの名前もたくさん出てくる。最近はブログという便利なものがあるから、ここなら誰に見てもらうでもなく、吐き出せるかもと思った。

目も痛いので、ゆっくりゆっくりだ。続けられるかもよくわからないけど。