昨日、慎吾ちゃんは鶴見の有名人キラキラ


とblogで書いたが




「生麦事件」



これも、学校で聞いたことがあるんじゃないかしら!?

頭があまり良くなかったあたくしも得意げ一応名前は聞いたことがあるし

その「生麦」は鶴見の生麦だと言うことは知ってるが

どんな事件だったかはあまり知らないダウン



その「生麦事件」を

生麦に住んでいる元酒屋さんの浅海さんが

地元であった生麦事件を調べ

自力で資料館まで造ったとアップ



そんな素晴らしい講師 浅海武夫 さんに

今日は教わりましたニコニコ


meso なブログ



横浜開港から3年後の1862年(文久2年)

 事件は、横浜からイギリス人4人が東海道を川崎大師に向かう途中に起こった。

貿易商人のリチャードソンの馬が、江戸から帰る途中だった島津久光(薩摩藩主の父)の400人の行列に入り込み、警護の侍に「無礼者」と刀で切りつけられて殺害されたのが発端で、他のイギリス人2人も負傷した。

 事件後、薩摩藩はイギリスから多額の賠償金を求められたが、拒否。このため、翌1863年に薩英戦争が勃発した。

 薩摩藩はイギリスの新兵器の威力に驚いてそれまでの強硬な攘夷論から一転、開国論に転じ、日本はこれ以降、近代化への道に大きくかじを切った。



と、何か難しいのであたし風に言うと


リチャードソンが、「大名行列だからどいた方がいい」と友達に言われたのにもかかわらず、聞かないで馬に乗って通ったら、馬馬が行列のほうに入ってしまい、侍に切られ 

逃げたが、もう助からない体で、追ってきた侍に「生麦事件の碑」がある場所で、とどめを刺されたとダウン


大事になると思い

薩摩藩たちは、急いで京都に帰ったが、イギリス側はほっとくわけがなく

幕府と薩摩藩に賠償金を要求¥

その金額がビックリの叫び


10万ポンド


今のお金にしたら



150億叫び(これ幕府分)



だったそう



幕府は仕方なく払ったが、薩摩藩は払わないで

「薩英戦争」になったそう爆弾


でも、あまりの武力の差があり

「このままではヤバイショック!」と

外国人が日本へ入ってくるのを嫌がっていた幕府も、そう言ってらんないと

どんどん開国していき、近代化になっていった



ということらしいにひひ分かった?

なので、「生麦事件」は近代国家成立の発端となった事件というらしく

教科書でも、重要というので出てくる


生麦にある浅海さんの

「生麦事件参考館」

は修学旅行などで全国から来るそうだアップ




meso なブログ

meso なブログ
この地図は、そのころの横浜の地図

まだ横浜駅付近は海だったそう目


まだまだ面白い記事や資料が沢山あるので

是非参考館にいらして下さいとのこと


今度「鶴見学」の方達と行くことになったので

またその時ににひひ



meso なブログ

浅海さん

今日はあまり体調が良くないと言ってらっしゃいましたが、沢山面白い話

ありがとうございました。

とっても分かりやすかったです。


すごく忙しい方で、全国講演してまわったり大学に行ったり

TVのお仕事もされてたり


とっても気さくな方でニコニコまた是非お会いしたいです

実はクリンネスJがあるサンプラスのすぐ近くに参考館はあるのでアップ

場所は知っています



みんなで行くの楽しみにしてます



また一つ

鶴見をお勉強しましたねニコニコ

興味がある方は是非行ってみてくださいねアップ

分からなかったら、mesoに聞きに来て下さいにひひ