2人で歩いた闘病記 さようならの日(2008-4-3)

妻はこん睡状態です。
看護師さんは「話は聞こえていますから、お話してあげて下さい」。
皆んなで励ましの言葉をかけてやりましたが何の返事も返ってきません。
私はだんだんと心細くなりその場にいるのが辛くなってきました。

酸素吸入は鼻に管が入っています。
メモリがひとつ上がりました。
みんな何をどうして良いのかわかりません。
妻の父は都合で帰りましたが、妹達が揃って来てくれました。

大声で「さっちゃん!」「さっちゃん!」と呼んでくれましたが動いてはくれません。
その時いつものように患者会『きらら』の中川圭さんが来てくれました。

「幸子さん!中川がきましたよ。」
「わかる?」
「みんな来てくれとってよ」
「頑張るんよ・・・・・・・・」」
妻は大きく息をしました。
それはみんなへの『ありがとう』の感謝の気持ちだったに違いありません。

夕方には子供達3人が揃いました。
もちろん孫の結衣ちゃんもいます。
今夜は妻のお母さんと私が病院に泊まる事にしました。
それぞれに家で待機という事でひとまず帰ることになりました。
簡易ベットも準備してもらいましたが横にはなれません。
弁当も食べる元気がありません。
妻のベットを挟んでただ寄り添うばかりでした。

夜勤の看護師さんがしきりに血圧を測りにきてくれます。
その度に血圧は下がっていきます。
不安の高まる夜がきました。
お母さんと一緒に手から腕を揉んでやり体をさすってやりました。
苦しそうな息使いに唇を濡らしてやりました。

少し落ち着いたのでしょうか、、、、。
血圧が下がりません。
少し安心した私は弁当が食べられました。
そして子供達には安心の電話をしてやりました。
それは妻の最後のやさしさだったのです。

病状は急変しました。
妻は痛みの苦しみはなく静かです。
血圧がどんどん下がりだしました。

主治医の先生は言われました。
「家族の方に連絡して下さい。」

子供たちはほんとうにしません。
「うそじゃないんよ」
「うそじゃないんよ」

私の両親はもういません。
妻の『さっちゃん』が看取ってくれました。
二男は婚約者の両親を誘って来てくれました。

私は妻にもう一度約束しました。
この秋には立派な結婚式を挙げてもらうからね、、、。
孫の結衣ちゃんも目をさましています。

妻はいつも言っていました。
『子供達が宝だから』
『子供達が宝だから』
『おとうさん、おかあさんより早く逝きたくない』

私は妻の手を握って涙がとまりませんでした。
「どうしてこんなに早く逝ってしましの・・・・・・・・・」
妻は笑顔のまま多くの家族に見守られて天国へと旅だっていきました。
『ありがとう、、さっちゃん!』

その後妻は『鳩』になって私達を見守ってくれています。