「実情を知る」動き徐々に

 治療も点滴もしない。自宅で過ごす男性(83)の体調の変化を見守りながら、そっと寄り添った。男性は最期まで穏やかな日々を送った。

 「できることをあえてしない看護は初めてで、戸惑いの連続でした」。賀茂台地訪問看護ステーション(東広島市)の竹内千津子さん(35)。2011年11月、8年間の病院勤務をやめ、訪問看護の世界に飛び込んで「看護観」が百八十度変わった。

 男性は末期がんで腸閉塞(へいそく)になり、食べられなかった。高カロリー栄養剤の点滴が栄養を取る唯一の方法だったが、体は受け付けず嘔吐(おうと)を繰り返していた。「おなかが張って苦しい」と点滴を拒否した。

 生命維持に最低限必要な点滴をやめていいのか。脱水症状となりしんどい思いをさせるのではないか。病棟での最期は点滴や心電図を着けるのが当たり前。もっと何かすべきなんじゃないか―。病院の「常識」が頭から離れない。すぐには受け入れられなかった。

 でも杞憂(きゆう)だった。男性は日に日にやせていったが、苦しむことはなかった。妻や娘、孫に囲まれ、心安らかな時を紡いだ。1カ月後、静かに旅立った。

橋渡しに支障も

 男性のほかにも、病気を抱えながら家で生き生きと暮らす人たちに出会った。点滴を外して農作業に励んだり、春に訪れるウグイスを心待ちにしたり…。その人本来の姿が見えてきた。新鮮だった。そして気付いた。「病院では患者中心の看護を心掛けているつもりでしたが、医療者中心だったんです」

 在宅でどこまで支えられるのかも、病院時代は知らなかった。振り返って思う。入院患者の中には、ひと声掛ければ自宅での生活を選んだ人も多かったんじゃないか。今なら「家に帰れるんよ」と背中を押してあげられるのに―。

 団塊世代の高齢化に伴う「多死時代」を前に、国が力を入れる在宅医療。ただ送り出す病院の医師や看護師の多くは在宅での療養生活に接した経験がない。具体的なイメージが湧かないまま「こんな状態の人が家に帰れるわけない」と思い込み、病院から在宅への橋渡しがうまくいかないケースもある。

退院支援推進へ

 病院の医師や看護師にも、在宅医療の実際を知ってもらおう―。広島県は昨年秋、退院支援を促すモデル事業を始めた。退院前のケア会議などで、病棟の医師や看護師と在宅医、ケアマネジャーらが顔を合わせて話し合う。互いにできることを共有して、患者に最善のケアを提案するのが目的だ。

 県の事業に先んじて、安芸地区医師会(広島県海田町)は2010年、退院支援システム委員会を設立した。病院スタッフや在宅医、訪問看護師ら多職種で入退院時の課題の解決策を話し合う。家でみとったケースについて考える事例検討会も年3回開き、在宅療養の様子を病院スタッフに打ち返す。

 最近では病院も、入院中から、家でも扱いやすい医療器具や薬に変えるなど、自宅に帰る準備に力を注ぐ。

 医師会理事の魚谷啓(あきら)委員長(55)は「まず病院と在宅のスタッフが顔見知りになることが大切。何でも相談できる関係が、その人らしく生き、死ぬことを支えることにつながる」と語る。病院と在宅の壁を取り払おうとする挑戦が続いている。

取材して

 「そんな状態で家に帰すのは難しい」。病院の医師や看護師からよく聞く言葉だ。別の病院や施設を勧めるという。一方、訪問看護師は、体の状態がかなり悪くても「家に帰れる」と語る。ギャップが生まれる理由の一つには、病院スタッフは多忙で、退院後の療養生活を知る機会に恵まれないことがあるようだ。最期まで住み慣れた家で過ごしたい人は、在宅医療を支える医師や看護師にも相談してみては。具体的な道が見えるかもしれない。(余村泰樹)

クリック 広島県の退院支援モデル事業

 病院など25カ所を拠点施設に指定し、医師や看護師、ケアマネジャーたちが参加する退院前のケア会議を開催。在宅生活に移行する手だてを考える。入院患者が安心して自宅に帰れる仕組みづくりが目的で本年度スタート。県内全域を対象にした退院支援の体制づくりは全国で初めて。