搬送 高度医療のレールに

 住み慣れた自宅で最期を迎えたい―。多くの人が希望しながら、実現できる人はわずかだ。何が在宅でみとる際のハードルになっているのだろう。患者や家族を支える医師や看護師たちを追った。

 年間6千人近い救急搬送を受け入れる広島市民病院(広島市中区)。赤色灯を回した救急車から、心肺停止の患者が運び込まれる。待ち受ける医師や看護師に緊張が走る。すぐに点滴で血圧を上げる薬を投与。チューブを気管に入れて酸素を送る。

 高齢化が進み、広島市では搬送患者の2人に1人が60歳以上の高齢者だ。老化と持病で体が衰弱し、回復が難しいケースも少なくない。しかし、119番は「救命してほしい」という意思表示にほかならない。一刻を争う現場。医師らにとって「死は敗北」。高度医療を駆使した治療が即座に始まる。

 「苦しまない穏やかな最期を望んでいても、救急車を呼ぶと後には戻りにくい」。同病院救命救急センターの多田恵一センター長(65)は語る。

「できる限りを」

 「回復は難しい」と伝えても、大切な人を失いたくないと、家族の多くは「できるだけのことを」と望む。「やるべきこと」を進めるしかない。一度始めた医療行為の中止は、訴えられる恐れもあり、やめられない。

 “できる限りの治療”の結果、管につながれ、体がパンパンに腫れてしまう人も少なくない。急変からしばらくして、死にゆく現実をようやく受容できるようになった家族が「こんなはずじゃなかったのに」と思うことも多い。「そんなときはわれわれも精神的に消耗する」と多田センター長は苦悶(くもん)する。

 一方、多田センター長は「医療の限界を目の当たりにしてきた私でさえ、自分の母が生きられる選択を排除するのは難しかった」と11年前を振り返る。

 83歳の母は脳梗塞で倒れた。意識がなく、回復の見込みはなかった。胃に管を通して栄養を取る「胃ろう」をしなければ生きられない状態だった。「母を死に追いやる気がして」と、それまで懐疑的だった終末期の胃ろうを選択した。1カ月後に急変し、呼吸が停止。苦渋の思いで「蘇生は結構です」と伝えた。「お任せします」と言えば、人工呼吸器を着けられ、外せなくなると分かっていた。

 「『治療をやめてください』と言うことに家族は罪悪感を感じる。理屈じゃない」と多田センター長。「気持ちはお察しする。ただ、治療後の現実も知っておくべきです」

急変 捉え方に差

 在宅医療専門で、年間20人以上を自宅でみとる「ひふみクリニック」(中区)の樋口富美院長(46)は「家でみとりたいと思う人には、救急車は呼ばないよう、はっきり伝えている。まずはかかりつけ医の私や訪問看護師に連絡するようお願いしている」と話す。

 ただ、ハードルになるのは「急変」の捉え方。呼吸が止まった姿に動揺し、家族が救急車を呼ぶケースもまれにある。息遣いが不規則になったり、吐血したり…。医療者には予測される病状の変化でも、家族は「急変」と捉え、驚いてしまう。

 樋口院長はことあるごとに、今後起こりうる患者の体の変化を家族に説明し、不安を取り除こうと心を砕く。「最期の時をどこで迎えるかは本人や家族が決めること。もし家でと思うなら、どんなことが起きるかを理解し、覚悟を決める必要があるんです」

取材して

 救急車を呼ぶことは「どんなことをしてでも助けてください」という意思表示で、高度医療のレールに乗ることを意味する。それから死を受け入れられずに「医療任せ」を続けると、時に望まない悲惨な延命治療にたどり着くと思い知らされた。医療の進歩が生んだ厳しい現実を直視し、意識を転換させる時が来ている。私たちに求められているのは、死に向き合う覚悟ではないだろうか。(余村泰樹)

増え続ける高齢者搬送

 高齢者の救急搬送が増えている。広島市消防局が2012年に搬送した患者のうち60歳以上は2万5948人と56・4%を占める。4年前と比べ、80歳以上で2294人増の1・25倍、60~70代で1726人増の1・13倍。50代までがほぼ横ばいに推移している中で、全体の搬送数を押し上げている。今後さらに高齢化が進むため、市消防局は「高齢者の搬送数はもっと増える」とみている。