日々誠実に 決意した娘

 年末、母の墓参り。冷えた朝の空気が心地よい。菱川慈子(よしこ)さん(67)=広島市安芸区=は墓前で手を合わせた。目を閉じて語り掛ける。人生の幕の閉じ方を見せてもらった。私、しゃんと生きるけん。ありがとう―。

 母正子さんは、おととし3月、94歳で亡くなった。安芸区の自宅。同居する慈子さんは早朝、寒さが気になって「風邪ひいてない?」と声を掛けた。だが、ベッドに横たわる母からの返事がない。

 帰らぬ人となっていた。ぬくもりがまだあった。安らかな表情。慈子さんは「母の姿を見て、ああよかった。お母さん、おめでとうねと思ったんです」と語る。

独身「先が不安」

 「あのとき、分かった。淡々と自分の生活を生きていけば、こんなふうに死ねるんだと」とも。「母は見本を見せてくれた。死ぬことへの不安が消えたんです」

 慈子さんは市内の女子校の英語教師だった。独身で実家から通勤していた。47歳のときに父を見送り、母と二人暮らしを続けた。定年退職する年に、母が脳梗塞で倒れた。

 それから自宅での介護の日々が始まった。弱っていく母の姿は将来の自分と重なった。

 独り身の私は、介護が必要になったとき、どうすればいいんだろう―。不安が膨らむ。孤立死のニュースは人ごととは思えなかった。老人ホームの資料をいくつも集めたが、先のイメージを描けずにいた。

 一方、母は家で過ごしたいという強い気持ちがあった。専業主婦として家族と50年以上の時を紡いだ場所で、しんどくても、できる限り自分のことは自分でしようとしていた。

 ずっと自分で食べた。ベッドから5、6歩のところにあるトイレにも自分で行った。亡くなる前、トイレに間に合わなくなってきても、おむつは拒んだ。「そんなもの、しなくていいです」。ぴしゃりと放った母の声が懐かしい。

脳梗塞 介護7年

 「最期まで自分を守り通した人でした」と、慈子さんは気丈な母を思い返す。家族のために尽くしてきた。仕事にのめり込む自分をいつも応援してくれた。「私も、母が母らしくあってくれることが支えでした」

 7年に及んだ介護。そばで支え、見つめてきた母の生き方の意味が、最期の瞬間、やっと分かった気がする。自分らしい暮らしの延長線上に、死は自然と訪れる。

 先の迷いが吹っ切れた。それが母の最後のプレゼント。「私も背伸びせず、日々を誠実に、着実に生きようと思います。その先に、過ごす場所も見えてくる。きっと自分にぴったりの最期が来る気がするんです」(平井敦子、写真も)=第1部おわり

将来の健康を懸念

 高齢になると何が不安になるのか。内閣府が2009年、60歳以上の人に「将来の不安」を尋ねたところ、約3500人が回答。「自分や配偶者の健康や病気」が77・8%で最も多く、「自分や配偶者に介護が必要になる」が52・8%で続いた。「頼れる人がいなくなり、一人きりの暮らしになる」との回答も2割あった。

 そうした不安はどうすれば解消するだろう。「ほかの人の老いる姿、死にゆく姿を見ることです」。「大往生」をテーマに全国各地で講演する京都市の医師、中村仁一さん(72)はそう語る。「お年寄りは何も役割がないと言いますが、そんなことはありません。不自由さと折り合いをつけながら老い、死ぬ姿を見てもらうことが、人として最後に残された重大な役割です」