在宅サービス 力を発揮

 福山市鞆町。潮風が香る港のそばの家。母にとって一番落ち着く場所だった。

 寂しいより自由がいいと、76歳で夫を亡くして20年余り、そこで一人暮らしを貫いた。おととし6月。夜、布団に入り、眠るように逝った。98歳だった。

 お母さん、よかったんよね―。藤井正枝さんの一人娘、明子さん(65)=広島市南区=は、心の中の母に語り掛ける。

呼び寄せを断る

 離れて暮らす母のことが、明子さんはずっと心配だった。96歳のとき家の前でつまずいて入院。身の回りのことをするのが難しくなってしまった。広島に呼び寄せようとしたが、母は首を縦に振らない。「母娘二人。心で支え合って、それぞれ頑張ろう。そんな感じだったんです」と明子さんは語る。

 近くにある「鞆の浦・さくらホーム」の小規模多機能型サービスを頼ることにした。昼間はホームに通い、家事の訪問サービスも利用した。「困ったらいつでもホームに泊まってもらうから」というスタッフの言葉も支えだった。

 明子さんも月に数回、母に会いに通った。亡くなる2日前は、これから暑くなるからと、冷房よけの紫色のカーディガンを買っていった。「いい色だねえ」。母は喜んで羽織った。ボタンを留めようとすると「私にさせて」と。ああ、これなら大丈夫。何でも自分でやりたがる、いつもの母だ―。弱る母を一人にしておけない気持ちをこらえ、広島に帰った。

 正枝さんも、娘の不安を察していた。亡くなる前夜も、様子を心配して訪れたホーム代表の羽田冨美江さん(56)に心の迷いを語った。「娘のためにも、広島に行った方がいいんやろか」「でももう少し、この家におりたい」

 「きちんと自分の意思が言える人だったから」。羽田さんは凛(りん)とした正枝さんを思い出す。体調が悪そうな日は自宅に帰していいのか迷って「夜だけでも、ホームに泊まろう」と促した。でも、いつも「家で寝ます」と返事した。

「支えきる」覚悟

 「一人で家で倒れてもいいと、正枝さんは腹をくくっていたと思う」と羽田さん。「だから私らも、覚悟を決めた」。そばに家族がいなくても、代わりに最期まで一人暮らしを支えきろうと。「来てください」と電話がかかると、深夜でも飛んでいった。

 ホームのケアマネジャー、石川裕子さん(36)は毎朝、出勤前に正枝さんの家を訪問し、安否を確かめていた。亡くなった朝も、預かっている鍵で玄関を開け、家に入った。布団の中の正枝さんは目を閉じたまま。とてもきれいな顔をしていた。

 「幸せじゃったよねえ」。ホームに集まるお年寄りたちの間では、今でも時折、正枝さんのことが話題に上る。「あの人みたいに逝きたいわあ」(平井敦子)

増え続ける独居高齢者

 高齢化、核家族化が進み、一人暮らしの高齢者の数は増え続けている。2010年には30年前の5倍以上になる479万千人に増加。国立社会保障・人口問題研究所は、30年に10年の1・5倍の717万3千人に膨らむと予測する。

 鞆の浦・さくらホーム代表の羽田冨美江さんは「一人暮らしを貫けば、自宅で一人で亡くなることもある。病院でも、看護師さんの巡回のはざまに亡くなることがある」と語る。「誰かとつながっていれば、亡くなった時にそばに誰もいなくても『孤立死』ではないと思います」