河弘哲さん「ベスト・サウンドトラック」賞   2011年10月21日

英国・ケント「第4回国際映画制作者ワールドシネマ祭」 河弘哲さん「ベスト・サウンドトラック」賞

ドキュメンタリー映画「ヒロシマ・ピョンヤン」の音楽で

原っ葉さんのブログ(虹の橋)
「ヒロシマ・ピョンヤン」のワンシーン

朝鮮民主主義人民共和国で暮らす広島の被爆者を取り上げたドキュメンタリー映画「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」(2009年公開、伊藤孝司監督)で、エンディング曲「涙~ル~」などオリジナル曲18曲を手掛けた広島朝鮮歌舞団の河弘哲団長が、「第4回国際映画制作者ワールドシネマ祭」(英国/ケント)で、「ベスト・サウンドトラック」賞を受賞する快挙を成し遂げた。

映画は、第2次大戦下の広島で被爆し、現在は朝鮮に暮らす女性が、被爆者健康手帳の取得を求める姿を追うドキュメンタリー。フォトジャーナリストとして精力的に活動をしている伊藤氏がカメラを回し、映画史上初めて在朝被爆者を取り上げ、被爆の後遺症で苦しむ被爆者の姿、日本政府から見放された在朝被爆者たちの怒りや悲しみを記録する。激動の時代を生き抜いた在日朝鮮人の歴史や、隣国ながら国交がない現在の日朝関係をも映し出している。


「ヒロシマ・ピョンヤン」は、「最優秀ドキュメンタリー部門」と「ベスト・サウンドトラック」の2部門にノミネートされていたが、ドキュメンタリー部門は惜しくも受賞を逃した。伊藤監督は、「映画の内容に見事に合わせたすばらしい曲を、いくつも作ってくれた若き音楽家に感謝しています。この受賞によって、在朝被爆者の存在がより広く知られることを望んでいます」と河弘哲さんの受賞を心から祝福した。また、朝鮮対外文化連絡協会からも祝賀メッセージが寄せられた。

河弘哲さんの喜びの声

「監督の意図に沿った作曲をするのが、音楽家としての任務。しかしそれが一番大変な作業で、苦しかった。しかし、作品に登場するのは、私の知っている広島の同胞たちである。苦しいなどと言っている場合ではない。この同胞たちは、広島で被爆して、艱難辛苦の人生を歩んできた。少しでもいい音楽を作って、映像とともに、それを世界中の人に聴いてもらいたい! そんな気持ちで取り組んだ。しかし、映画祭の開催地は英国。朝鮮・アジア人の音楽を理解するのは難しいのでは、という不安もあった。民族の思い、民族の叫びを渾身の力で作りあげた曲が、このような素晴らしい評価を得たことが何よりうれしい」。


「国際映画製作者祭」のホームページで紹介

「国際映画制作者祭(国際フィルムメーカーフェスティバル)2011」のホームページに掲載された「ヒロシマ・ピョンヤン」の紹介文は次の通り(原文は英語)。

朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌に住む李桂先さん。彼女の指はすべて包帯で巻かれている。「私の指の皮膚は、はがれ続けているのです」と彼女は言う。

「軟膏を塗らず包帯をしないと、擦りむいたように出血するんですよ」

幼年時代から彼女は、指の問題だけでなく、さまざまな疾患にさいなまれてきた。桂先さんがそれらの病気の原因を知らされたのは、ようやく2004年になってのことだった。広島に住む母が平壌を訪れ桂先さんに会ったとき、娘のひどい病状を見て、原爆の残留放射線を浴びた事実を告げた。彼女の59年間の沈黙には、それなりの理由があった。

外部に閉ざされ接近しがたい国である国、朝鮮で主に撮影された本ドキュメンタリー映画で伊藤氏は、広島で被爆した朝鮮人の一人である李桂先さんに焦点を当て、彼女の怒りと哀しみを通して、日本政府がもたらした非人道的な状態を露呈させた。

「ヒロシマ・ピョンヤン」…。互いに遠く離れて暮らす母と娘は、互いの健康を気遣う。そして、映画は、予期せぬ結末で終わる。

広島朝鮮歌舞団の河弘哲団長 「世界の人々に認められた」



( 朴日粉 2011-10-21 12:08:35 )