け〜ちゃんは旅立ちました | KENのブログ

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Every Kenjing
   出会いは大切です

け〜ちゃんを励まし応援していただいたブロ友さんにご報告です。
2023年12月22日夜中の1時48分
長く病と戦い乗り越えてきたけ〜ちゃんが旅立ちました
45歳でした

今まで力になっていただいたブロ友の皆様には感謝申し上げます

ここ↓↓↓↓からは自分の記録として過去を振り返ります
家族目線でリアルな部分や少しズレてる所もあると思います。リアルな話しが苦手なかたはここで終わりにしてください
長いので読みたい方だけ読んでくださいm(_ _)mペコリ

 振り返る

私達は出会った時からとても話しが合う
まぁ自然にいられる関係
という感じだったでしょうか

ぶっちゃけ
付き合おうという話しもなかったように思います

バツイチ同士の中年カップルだったので「籍もいれなくていーよね」とか言いながらいつも一緒にいた
そんな二人でした

私はその頃お店(床屋)も出したばかりでお客さんもまるっきり来ない
必死な貧乏オジサンでしたが
彼女はいつも「あなたなら大丈夫!」と
私を信じて付いてきてくれました

少しづつお店が軌道に乗り始めた頃、彼女に異変が・・・・・

乳がんでした。
リンパにも転移しているステージⅢB
2015年2月のことです

今思えば
再発や転移を繰り返した彼女が告知されて一番泣いたのは
その最初の告知の時だったように思います。

もう行けなくなるかもしれないからと
急いで京都旅行に行ったんだ!

二人きりの旅行はこれが最初で最後。

彼女には一人娘がいて
「究極の人見知りだから会わせるの怖い」
と言いながらの初対面
(嘘だろおい!)
ちゅーくらいに私をこき使いまくりの娘に彼女が安心していたのをよく覚えている

ここで呼び名
私→けーちゃん(紛らわしいが本物のけ〜ちゃんは私)
嫁さん→おかぁやん
娘→姫太郎(現20歳)

闘病が始まり
抗がん剤の副作用の激しかった彼女の家に居候するようになった
初めての抗がん剤はドセタキセルだったかな
まぁこれが結構な副作用で

とあるガン友さんは全然平気だったみたいだが
人によっても違うんだろう
朦朧とするおかぁやんと、とある約束をする
「カフェみたいなお家に住みたい」
「おーけーおーけー」
励ましの意味で軽く返事をして流してやった!!!
まぁとにかく明るい闘病を目指す我が家だったので
娘と着ぐるみを着て看病したこともあった

2週間で自慢の髪の毛が無くなった

闘病生活を数年過ごし

あることに不満が出てくる

「内縁の夫」

通院に付き添いながら
「ご主人」ではなく「彼氏さん」
と言われるオジサンでいいはずもなく
私から
「籍入れる!」
と言った

おかぁやんは喜んだが
病人子持ちに引け目があったのかすぐには返事はなかった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 入籍!

2017年12月17日入籍
三人は家族になりました
姫太郎は当時中学2年生

几帳面なおかぁやんとは違い
完全な男脳の姫太郎はなぜか私に似ているw



家族で会津旅行

この次の朝にはおかぁやん発熱

とにかくまぁ
よく熱を出してましたよ

お出かけは熱出す覚悟で行く!!!
みたいな

不便な家族ですが
とても楽しい家族です音譜

 カフェみたいなお家

何時ぞやの約束をひつこく突っつかれる私・・・・・


とあるYoutubeでマンションのリノベーションを見付ける


「これだー!」


早速マンション買ってー

リノベーション!


幸い不動産屋も建築業も私のまわりにはたくさんいるので

トントン拍子に進むのだった


ある程度を仲間にお願いして作ってもらい

おかぁやんと二人でDIY








毎週マンションに来ては二人で色々作った
楽しかった
いい想い出



 忘れかけた頃

2020年乳がん再発!


来たか!


顔付きの悪いガンと言われていたおかぁやんの乳がん

しかし

数年の経過観察から

「あれ

ガン治っちゃったんじゃね」


舐めていた

『顔付きの悪いガン』


数年かかって髪もサラサラに戻ってきたおかぁやんに非情な告知でした


手術後の説明では

摘出したが2ヶ所だけ筋肉に入り込んでる所あり


髪が抜けないという分子標的薬使用

しかし!

毎回色々がうまくいかないおかぁやんには試練がつきものです。

ガンには効くが体との相性が悪い

一時的に白血球が激減し緊急入院

かなり危ない数値だったと主治医に聞かされる

 精神疾患

この頃からおかぁやんの様子が変わってくる

再発のストレスから、過去の虐待やら色々な経験からなるフラッシュバック、様々な精神疾患に苦しむことになる


強い薬でその場凌ぎをする心療内科医(有名な医師)に壊されてしまったおかぁやんだった


アカシジアという症状で苦しんだおかぁやんだったが

セカンドオピニオンに救われる


名前を出していいかわからないが感謝の気持で書いてしまおう

「南飯能病院」

おかぁやんにとても時間をかけてくれた

そして

アカシジアから救ってくれた医師やスタッフの皆さんには

家族3人が救われたんだ!


ん?

アカシジアとは?


これがとても辛い症状らしい


とにかくジッとしてられない

動き回る

家の中でも歩き回る

聞くだけではわからないが、この症状で自死を選ぶ人もいるらしい


「南飯能病院」の主治医、スタッフの皆様には改めて感謝でしかなかった


 緊急入院!

精神疾患に苦しむおかぁやん


再発後の分子標的薬も白血球減少の原因もわかり、順調に使えるようになる

原因は別に飲んでいた薬との相性だったようだ


この頃のおかぁやんは

ガン治療よりも精神疾患との戦いに必死だった

「家族に迷惑をかけてしまっている!」


この頃のおかぁやんは台所に立つことも負担になるくらい心を壊していた


そのおかげと言っていいのかわからないが

私は料理が上手になった!


分子標的薬の通院治療もどうにか終わった

2023年4月ころだったかな


喘息持ちのおかぁやんは毎年この時期に喘息の発作を起こす

過去には何度か救急車で運ばれたこともある



「最近また苦しくなってきた!」

安静期間です


分子標的薬が終わって約2ヶ月後のこと・・・・




そんなある日

仕事中に姫太郎から

「ママが苦しくて救急車で病院きた!」


喘息の処置はいつも1時間くらいで終わるので

「お迎え行けないからタクシーで帰っておいで」

と言ったのだが

4時間後二人はまだ病院だった


すぐに病院に向かったが

姫太郎がポツンと待合に座っている

「まだ出てこないの?」

頷く姫太郎


ん?

喘息じゃないのか?

少し頭をよぎった


 胸膜播種!

いつもの喘息の病院に搬送されたおかぁやんだったが

医師に呼ばれて頭が真っ白になる

「肺に水が2リットルたまっている」

「喘息ではない!」と


肺から抜いた水を検査した結果

ガン性の胸水の可能性が高いということだった

「ガンの主治医に診てもらったほうがいい!」


胸水を抜き終わったおかぁやんとやっと会えた

もうグッタリしている

「ガン性だって!」

「いよいよ来ちゃったか」

すぐに主治医のいる国際医療センターへ


検査の結果はすぐに出た


胸膜播種


分子標的薬を終えたばかり・・・・・


そして胸膜に飛び散った


ショックだったが取り乱さないよーに必死だった

2023年6月

 余命宣告

主治医との面談でサラッと

「何もしないと半年〜1年」

と余命宣告をうける


抜いたばかりの肺の水は、すぐに溜まっていく


この頃からおかぁやんは酸素を吸いながらの生活になります

移動は車椅子


胸水を抜く説明をうける

肺に水抜き用のドレンを繋ぎ水を抜く


私「あんたエアコンみたいだな!」

少し笑いが取れた!!!


水が抜けたら次に癒着術


胸水が溜まる所を抗がん剤入の接着剤で癒着させるということだ

チャンスは2回


おかぁやんの胸膜播種は思いの外進んでいた

水が止まらないので接着剤がなかなか癒着しない


この時私は病院に荷物を持参して訪れたが

高熱で会えないと言われた

普段でも面会の許されない病院だが更に厳重だ


その日の夜主治医から電話

「明日抗がん剤をやらせてくれ」ということなんだが


私「えっ体調大丈夫なんですか?高熱なんでしょ?」

主治医「もう抗がん剤で播種を抑えるしかない」

私「本人が望むなら!」


もう抗がん剤にかけよう


 退院する

なんと!!

抗がん剤が効く!!!


播種を抑え込んだのだ!


絶不調ながら退院

家に帰りたいと申し出たおかぁやん

しばらくは大変だった


朝ご飯はゆで卵やヨーグルト

お昼用に小さいおにぎりを数個枕元に


一週間もすると自力で動けるようになった

2023年7月


2〜3週間もするといつものおかぁやんだった

酸素は家でも手放せないがそれでも元気だ


この頃はよく夜のスーパーに散歩に行ったんだ

車椅子に酸素だが楽しい散歩


まわりの人はジロジロ見ているが、んなこたぁまるっきり関係ない

帰りには二人でコーヒーを飲みながらあれこれお話しをする


このお散歩は11月の頭くらいまではしていたかな


11月に入ったころからおかぁやんは

「頭痛がする」

とよく言うようになった


 中央値

抗がん剤は必ずいずれ効かなくなる

弱ったからだにまた次の抗がん剤


このルーティン


中央値をすぎれば転落の一途なのか

頭痛の原因がわかった


胸膜に播種したガンは髄膜に逃げた

髄膜播種

予後悪し


前の週に計った腫瘍マーカーは

『少し上がってきた』

だったが

この日の腫瘍マーカーは

『劇的に上がった』

だった


たった一週間

頭痛はもう激痛になっていた

2023年11月13日

緊急入院


おかぁやん

「もうどこにガンがあってもいいから早く体を楽にしてほしい!」


辛い


終活準備をし始めたおかぁやんだったが

ガンの進行が早かった


その日からおかぁやんの体は日を追うごとに変化していく


先週までスーパーで散歩をしていたのに


私と姫太郎は放心状態になった




面会の許されない病院なのでこっそり会いに行く


 家に帰りたい

熱烈に在宅を希望するおかぁやんだったが

どうやら主治医的にはそうではなかったようだ


主治医から

「早急にご主人と面談したい」

と申し出があった


床屋の私はお客樣に事情を話し早じまいして国際医療センターへ


いつもは面談室に最後に入ってくる主治医だったがこの日は一番最初に顔を見せた


「奥さまがどーしてもと言うので全力で家に帰します!」

「正直帰すのは反対ですが今を逃すと帰せなくなる!

もってあと数週間です!」


この時、おかぁやんのガンは髄膜、胸膜、腹膜、肝臓、骨、リンパ、腎臓に転移をしていた

11月28日のことです


強行で12月1日の退院が決まります

すぐにケアマネージャーに連絡を入れ

在宅準備

事前に話をしてあったので準備はスムーズだった


ここでおかぁやんのブログにコメントを入れる

「準備して待ってるからね」


不安だった

姫太郎とも話し合った

車の中で二人で号泣もした


二人は決意をしたんだ


おかぁやんは二人で守ろう!


 強行退院!

12月1日

とうとうおかぁやんが帰って来る

病院から

「介助タクシーを頼んである」

と連絡がくる

前日に点滴用のポートを入れる手術をした

何もかもが強行な退院だ!


主治医、看護師さん、関係しているスタッフの皆さんが一丸となっておかぁやんの退院に携わってくれた

おかぁやんはもはや医療麻薬じゃないと痛みの取れない体になっていた


退院直前!

ギリギリまで痛み止めの点滴をしている

点滴を外す!

よーいどん!で介助タクシーに乗り込む!


大してお礼もできず病院をあとにする

主治医の

「今を逃すと帰せない」

という言葉の意味がよく理解できた

それだけ進みが早いということ


国際医療センターから家まで約25分

これが外に出れるギリギリの時間なのだ


そこまでして帰してくれた主治医、看護師さんほんとにありがとうございますm(_ _)m


この日

おかぁやんが帰ってくる時間に合せて在宅医療の主治医が来てくれた

国際医療センターの主治医と連絡を取り合ってくれるという連携プレー

すぐに痛み止めをする


これから大変だ!

という実感をする


 在宅医療開始

おかぁやんは退院前

10日間くらい飲み食いができなくなっていた

飲み込めないらしい


事前にネットで色々調べてはいたのだけど

家に帰ると一時的に元気になって飲み食いできる人もいるとか


おかぁやんは入院中も

「これ食べたいあれ食べたい!

これ飲みたい!」

「最後に食べたい物飲みたい物沢山あるのに!」

とよく言っていた


もちろん我が家の準備は万全だ


あれこれの食べ物や飲み物、

財をはたいて(大袈裟)買い揃えていたし

け〜ちゃんと姫太郎の作った物も欲しがった


そして驚くことに

少量だが飲み食いできた



姫太郎の作ったオムライスを食べやすくして出す

子供のような顔で

「美味しい」


それがとても愛おしい

帰ってきてよかった


姫太郎は1月に成人式を控える20歳の女の子だ

当初おかぁやんには目標があった

成人式までは生きる!

主治医からは年は越せないと言われている

本人もそれはわかっていた


2023年12月4日

1人だけの成人式




一番泣いたのは姫太郎でしたw
いい成人式だ

痛み止めの麻薬を定期的に投与しているおかぁやんの様子が変わってきたのは、この日の夜くらいからだったと記憶している

夢と現実の境がつかなくなる
急に怒り出す

話しには聞いていたので驚きはなかった
症状には個人差もあるのだろう

おかぁやんは特に夜中
突然奇声を上げて私に怒りをぶつけてくる
「なんで蹴ったの?!」
見たこともない表情

娘と二人でなだめる

落ち着くと
「変なこと言った?ごめんなさい」
そんな時には我が家の魔法の言葉
「大丈夫だよ。問題なし!
3人一緒だからね」

緩和ケア専門クリニックのHPを舐めるように調べまくった
Youtubeも沢山見た
穏やかな余生

家にそれは当てはまらなかった
それでも我が家は在宅でよかったのだろう

一週間も過ぎるとおかぁやんは子供になっていた
それも悪くはなかったのだが

夜は錯乱する

ある夜おかぁやんが悲鳴を上げて飛び起きる
私が駆け寄る
「おかぁやん!け〜ちゃんいるから大丈夫だよ」
「怖くない!」
また夢との境がついてないのだ

おかぁやんは髄膜播種
いずれ意識障害を起こす
まぁ麻薬の量を増やせば誰でもそうなるのか
色んなことを忘れていく・・・

夜中錯乱して少し落ち着いたおかぁやんに、私は自分を指指してこう問う
「だれか覚えてる?」
薄暗い部屋での会話

即答しないおかぁやんだが

おかぁやん
け〜ちゃん
小さい声
忘れたくない・・・・

ボロっと涙が出るおじさん

ギュ~と抱きしめる

そんなこともできるのは在宅のおかげなのかもしれない

 覚悟が必要

我が家の在宅緩和ケアはとても大変だった

昼夜の区別もつかなくなっていく

とにかく夜中は何度も起きる

おかぁやんは元々あまり睡眠薬が効きづらい


多い時には20分おきくらいに怖い夢を見て起きる⇒パニック起こす

これを繰り返す


そして家族も寝不足になっていく

しかし昼間は子供の顔で愛おしいおかぁやんになる

この時のおかぁやんはほんとにかわいいw


体力のなくなっているおかぁやんにはトイレも大変だ

オムツを履かせているがそこには抵抗があるみたいだ


点滴や定期的な麻薬の管が繋がりながらのトイレは一苦労です


トイレは時間を選ばない


徐々に歩けなくなっていくがそれでもトイレは行きたい


10日間も過ぎた頃には抱えて簡易トイレに座らせていた


この頃にはおかぁやんとの会話はほとんど噛み合わなくなっていた

相変わらず家族も夜は眠れない


「もう食べ物はいらない」

この頃あたりからは食べ物も口にしなくなっていく


子供だったおかぁやんが徐々に認知症のおばぁちゃんになっていく・・・・・

たった2週間


こんなにも変わってしまう


2023年12月15日

朝から嘔吐を繰り返す

出るものは硬い痰だった

それを姫太郎と引っ張り出す!


人間の体にはこんなにも体力が必要なんだと思い知らされる


ストローで吸い上げることも痰を吐き出すこともできない


痰を切れないおかぁやんは一日中、出ない嘔吐を繰り返す


そしてどんどん衰弱する


その日

夜中まで吐き気と戦ったおかぁやんは既に身の置所もない


体力のないおかぁやんがベッド上で動き回る


姫太郎と事前に話し合っていた。

最後の薬はおかぁやんに決めさせよう


私は姫太郎に了承を得て

おかぁやんに聞く

「もう・・・・・

眠りたい?」


「・・・・・お願いします


私と姫太郎は号泣だった


夜中に緊急の訪問看護を呼ぶ


訪問看護士さんからは数日前から『最後の薬』の提案があった


その時が来てしまった

いや

もう来てたんだと思う


看護士さんが薬の準備をする

そしてもう一度

「おかぁやん!眠りたい?」

頷くおかぁやん


既に認知症状態のおかぁやんが本当に心から『眠り』を選んだのか

それは今でもわからない


でも間違いなく

本人からのお願いだった


それからのおかぁやんは穏やかだった

よく眠った


『眠り』についたおかぁやんには少しづつ最後のサインが出てくる

抗がん剤の副作用で爆上がりしていた血圧はどんどん下がってくる

呼吸が不安定になる

喉がゴロゴロする(死前喘鳴)



看護師さん

「少し体が準備を始めてきてる」


亡くなる前日には、管から出る尿の量が激減

そして手足の指先が冷たくなってくる・・・・・・


何もかも亡くなる前にはこうなりますよと渡されたマニュアル通りだった




2023年12月22日夜中の1時48分

私と姫太郎が見守る中、おかぁやんは旅立った

45歳


私よりも6歳も下の、

楽しくふざけてばかりのおかぁやんは逝ってしまった


 最初で最後のわがまま

彼女は家族に迷惑をかけることをいつも避けてきた

精神疾患と戦ってる時もそうだった

その彼女の最初で最後のわがまま

「最期の時は家で迎えたい」


その最後のわがままを言ってくれたおかぁやんに感謝の気持ちでいっぱいだ


三人で乗り越えたね


今までいつもけーちゃんと姫太郎の一番の味方でいてくれてありがとう


約束通り!

ブログ書いたからね


ちゃんと見てくれてるかな


け〜ちゃんも一生懸命頑張って生き抜いて、いつかそちらに逝きます!

必ずお迎えきなさいよね!


それまで

待っててね!


ありがとね

かお