この世界は、ほんと、に、理不尽で、
しかし、理不尽だからこそ、
僕のような妥協のない人間が生まれた。
理不尽がなければ、僕はここまで、走れなかった。だから、結果、良かったのだが、
何を変えたいか。
それは、自分の、あらゆる事、色々な、別の問題などで、
上手くいかなったからと、相手のせいにする、理不尽さだ。
例えば、クライアントの病を改善させたり、再生させたりする、
しかし、クライアントの仕事が上手く行かず、
家族関係、友人関係が上手く行かず、
心が荒んでしまった場合、
身体も心も、良くなって、結果は出していたとしても、
彼ら、彼女らは、
それを、セラピストのせいにするのだ。
この、凄まじく難しいが、
理不尽の極みである問題を、
この俺の人生を賭けて、
絶対に終わりにしてみせる。
俺は、とにかく、これが、大嫌いだ。
目の前の問題が原因で、今の、何かしらの、努力とか、成果、効果が、
下げられているにも、関わらず、
それを、認識しようとしない。
契約は、身体を治す事であっても、
多くは、それを、混合する。
混合するのだ。
身体の問題を治す。
それは、人生全てを治す事だろう?
私の仕事が上手く行かないのは、
このセラピストのせいだ。
私の人間関係が上手く行かないのは、このセラピスト、治療家のせいだ。
と、
彼ら、
彼女らは、
言うのだ。
気持ちは分かる。
だが、
変えたい。
この理不尽な世界を。
変えたい。
気持ちは、分かる。
人は生死に関わってくると、
理性を失い、
道徳を失う、
それは、分かる。生物だから。
だが、俺は、絶対に、
それを、やらない。
だから、俺には、変える、と言う、権利がある。
なぜなら、それを、絶対にやらないからだ。
そいつらが、俺に何を言おうとも、
俺は、
人のせいには、絶対にしない。
上手く行かないのは、全て、自分の責任だからだ。
それを、人に、悟られるような事すらしない。
イライラする事もない。
それを、悟れる事すらもだ。
機嫌の悪さを人に悟られる事すらしない。
人は、
人は、己のミスに、
関係がない。
機嫌すら、触れさせない。
俺の機嫌すら、
相手に影響を与えるものか。
俺は、影響を与えない。
自分の責任を
無差別に、
相手にぶつけてくる理不尽な世界を
俺は変えたい。