妥協なき機能回復の始まりは、、、
私は生まれつき重度の難聴であり、アトピーや蕁麻疹など肌がとても弱く、かつ貧しい生活だった事が相まって、この世は所詮弱肉強食の世界だと言う事を幼い頃から経験した事で、生きるための知恵をごく自然に振り絞る生活が当たり前だった。その事が根底を作る大いなる基盤となっている。
その中で野球と出会い、野球に没頭する中で、不運にも怪我で苦しむ青春時代を送った事によって、
怪我で苦しむ人達を救いたいという気持ちで、理学療法士の学校に引き寄せられ奇跡的に入学、
当初はスポーツに携わりたい気持ちオンリーで入学するも、
学生最初の臨床体験実習で、片麻痺の患者さんとALSの患者さんを担当した時に、あまりに杜撰な回復状況に絶句する。
20年前から、いまなお続く片麻痺の改善回復とは、装具でガチガチに固めたぶん回し歩行と、ほとんど実用性はないカマキリのような麻痺手。これが回復と言われているのだ。
20年前の学生だった知識も経験もない私が強く感じたのは。【こんなものを、私の大切な家族、親戚、友人に胸を張って回復改善と言えるか?絶対に言えない。】だった。
私は、かつてのリハビリテーション、現代のリハビリテーションがそれを改善、回復と呼ぶ事は別にどうでもいいのである。それぞれの人が何かを信じて人生を歩む事に何も言うつもりもない。
私が絶対に受け入れられないのは、
私にとって、大切な家族、親戚、友人が、片麻痺やALSだけでなく、股関節、膝、肩の問題、障害で、そのようなリハビリテーションを受ける事になったとして、胸を張ってそれが回復、改善だと言えるか?と言う事なのだ。
胸を張ってこの国のリハビリテーションだと言えるか?これが、科学であり、エビデンスだと言えるか?
【絶対言えない。】だったのである。
そこで、私は即座に決めました。
どんなに治らないと言われている全ての病、後遺症を根本から再生させる究極の治療法を作ると。
それから学生の4年間はひたすら図書館にこもり研究、病院に就職してからも、残業を1日2時間を8年間続け、30歳である程度の理論完成に至ったので独立開業、妥協なき機能回復が生まれる。