こんにちは☆

 

  11日の夕方から、14日の朝まで、高知におりました。

 

  9日に実父が亡くなったとの報告を受け、13日に葬儀ということで、急いで帰ったのです。

 

  本当に『急死』という言葉が似合うほど、いきなりだったので心の準備が出来ず、また母や妹が心配で。

 

  高知に帰ったすぐの日は父に会えませんでしたが、母や妹と父の話をして何故か盛り上がり。

  母が見たことのない父や、私が見て来なかった父の話、妹から見た父の話と、どうしてこうなったのかの話を、母や妹から聞き及んで、本人が死ぬ気はなかったのにと思っているだろうねという結論に至りました。

 

  父は本当に母が大好きで、いつも「(母)ちゃん、(母)ちゃん」と側にいるような人でした。

  何をしてもそれほど怒らず、色んなものを引き出しては娘(私)にくれるような人で、よく行った所の話をしてくれました。

  母の言葉は絶対で、自分が買ったものであろうと母がいいよといえばくれるような、そんな人(笑)

 

  去年久し振りに休みが取れるから帰ろうかと、そういう話をして、無理をしてでも行って良かったかと思っています。

  虫の報せとでもいうのでしょうかね。それとも、これが最後だから(と誰もが思っていなくても)会っておけと誰かがお膳立てをしてくれたのか(神様というものは信じてはいませんが)

 

  久し振りに会う父は、本当に寝ているだけのような姿で。

  弔問に訪れた誰もが、まだ生きてるのではないのか、声をかけたら起き上がるのではないのか、まだ生きる言いよったじゃないかとか、そう言って父の頬を叩き、または撫で、最後に愛おしそうに挨拶をして、母に声をかけて参列席に座ると、そういった感じでした。

 

  家族だけでと思っていたのに、新聞に載った父の訃報を知った友人や知り合いが続々と訪れ、父も驚いたでしょうね。

  誰からも愛されるような、そんな人でした。

 

  お骨になるのを待つ間の、家族のやり取りは、随分と変わってしまったすぐ下の弟の質問から、父の従妹の話、末の弟と長兄との話やら色々として、私の息子の話(長男も次男も加わって)など、色々と話をしました。

  父の母(祖母)がそれはそれは美人で(写真が残っていたのです。もう『美人』という言葉しか出て来なかった)、若かりしときの写真をスマホの中に入れていると見せてくれたのですが(父の従妹が)、もう祖父も「男前」としか言いようがなく。

 

  そんな取り留めのない話を、お骨上げまで話して(末の弟と本の話で盛り上がりはしましたが)

 

  私は、父の遺骨を見ていません。

  妹が拒否したのと、ちらっと見えた父の遺骨を見て半分取り乱していたのもあるにはあるのです。

  妹が取り乱したのを幸い(というのも変でしょうが)に、宥めるという大義名分が出来ると、妹と待合室に残りました。

  お骨を拾っている間の時間は、泣き止んだ妹と「ミイラ」や「即身仏」の話、それに「人体の不思議展」に行ったけど気持ち悪かったという話をして(笑)

 

  妹の言うように、父はまだ生きているのだと、そう信じていたい気持ちもあるのです。

  もう骨になってしまったのは分かっているけれど、分かっているけれど認めたくなくて、やはり2人で泣いてしまいました。

 

  でもね、父の気配は実家にないのです。

  夢にも出て来てくれなくて、どこに行ってしまったのやら。

  『放浪癖のある父らしい』と、母も呆れていましたけれど、こんな時こそ母の側にいるべきではないのかと、娘たちは呆れてしまって。生きてる時はいつも側にいたのに、と文句を言い合っていました。

 

  旦那や息子達は「出掛ける」と言って外に出て行ってしまったので、私は母や妹と父の思い出話に浸れることができ。

  探していた『骨」も見付けて(父が死んだらくれると、そう言っていたのですよ。まさか死んでから見付かるとは思いもしませんでした。最期まで父らしいドッキリをしかけて、と笑い合ってましたよ)、死の直前まで被っていた帽子ももらって、帰って来たのです。

  随分と派手なので(赤い、龍の字が書かれているものです)、洗って飾っておこうかと思っています。

  

  妹は父の骨を「海に散骨するつもり」だと言っていて、先祖代々の墓には入れないつもりなのだそうです。

  父を嫌っていた祖母が眠るその墓に、入りたくはないと常々言っていたのもあるのでしょう。

  戒名も何も付けていないので、放浪癖のある父にはそれが相応しいと、実家の墓も墓じまいして終わらせるつもりのようです。母が旅立ってしまえば、あの家は妹のものでしょうし、妹のやりたいようにさせようと思っています。

 

  ところで、父はずっと高知で生まれ育ったのだと思っていましたが、満州の奉天で生まれたのだと聞かされて驚いております。そりゃあ、確かに戦時中ですし帰って来れないでしょうけど、そうだったのかと。

  3歳まで奉天にいて、贅沢な暮らしをしていたと自伝(のようなもの)には書いてましたけどねぇ。

 

  最期の旅は、その生まれ故郷を見る旅だったそうです。

  随分と変わってしまったけれど、それでも見たかったのでしょうか。

  「ゴビ砂漠で死にたい」とよく言っていた父は、今はその辺りに行っているのでしょうか。

  娘としては、帰って来いよと思いますけどね(夢にも出て来やせん)

 

  何にせよ、父らしい幕の引き方よと、家族は皆思ったのです(次兄だけが参列できなかったのが心残りでしょうが)

 

 

  ところで、お骨上げの時に妹の側についていたのを見た末弟が、妹に「ごめんね、りぐさんもらっちゃって」って謝ったそうなんですが、末弟は「りぐさんは、ぱぱさんの遺骨、拾いたくなかったんでしょ」って答えたそうで。

  何でバレてるんですか。どうして君は姉の心境を見抜いているのだ、という話になりましてね。

  重度のシスコン怖い、という話に(笑)

  姉っ子でしたし、姉が結婚するのを反対していた()人ですし(最後は渋々認めたとはいえ)、10年離れていても分かるのはどうして、というか、見ていればきっと分かるといいそうですけれど、シスコン怖いと思った瞬間でした。

  あっ、もちろんLINEの交換はしてきました(そう連絡は取らないけれど、何かあった時のために)

  

  49日には高知に行けませんが、散骨の時には呼んでいただきたいと思う娘もここにいるのです。

  

  帰ってきて思い出して泣いてしまうけれど、それでも父は許してくれるのでしょうか……。

  妹のように取り乱して「まだいっぱい話をしたかったよ」と、取りすがれば良かったのか。

  私には、まだ実感が湧かないので、どうすればいいのか分かりません。