占いとは? vol.13
占いには、生年月日などの変わらない要素を基にする占い「不変要素占い」と、
変わるものを基にする「可変要素占い」の2種類である、というお話をしました。
しかし、元をたどれば、すべては「可変要素占い」ではないか、
ということをお伝えしました。
それは、どういうことかというと、
たとえば、タロットや易などの「卜(ぼく)」といわれる占いは、
そのときの事象事象の意味を読み取るものですが、
それは事柄や物事は、常に移り変わるものであり、
その瞬間の意味を捉えようとしているのです。
それと同じように、
「命(めい)」といわれる占いも、
生時という瞬間の意味を捉えようとするものと、考えることができるからです。
また、「相(そう)」といわれる手相や人相などの占いも、
そのときの姿形の瞬間の意味を切り取って解釈しているものである、と考えれば、
すべては、「可変要素の占い」に通じるものといえるのです。
そもそも、占いの起源は、
さまざまな事柄、さまざまな事象の意味を捉えようとするところから始まっているわけです。
天体の運行の意味、気象変化の意味、自然現象の意味、人間の生死の意味、等々。
それは古代文明のときから存在していましたし、
いや、そのもっと以前から、
もしかすると、人類誕生のときから、存在していたのかもしれません。
私たち人間は、「意味」がないと生きていけないのかもしれませんが、
私たちは、そのときから、「意味」を求めていたのです。
そして、その「意味」を、
自然現象に求めたり、生時などの時間に求めたり、
形などの空間に求めたりしてきたのです。
そうして、そのように、さまざまなことから意味を読み取ろうとすることは、
つまりは、すべてに意味があり、
それらは無意味に存在しているのではない、ということを
認めていることになります。
波の音、頬に触れる風、自分の目の前にいる人、石ころ、花の香り、など、
すべてに意味が込められている…
無意味なものなど、一切存在していない…
もちろん、生まれた時間にも意味はあり、手の形にも意味はあり、
木々が語りかけてくる言葉にも意味がある…
それらのメッセージを読み取ろうとしているのが、「占い」なのでしょう。
イーチン・タロットを主に、占い鑑定や占いレッスン講座を
行なっています。
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占いの種類 vol.12
占いの種類って、どんなのがあるのでしょう?
占いの本によく書いてあるのは、
「命(めい)」・「卜(ぼく)」・「相(そう)」の3種類です。
まず、「命」というのは、基本的に生年月日を基に、運命を占うものです。
(さらに、生まれた時間や場所などを加味することもあります)
四柱推命や西洋占星術などがそれに該当します。
次に、「卜」は、易やタロットなどのように、そのときの事象を基に占うものです。
シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)を重視しています。
そして、「相」は、手相や人相、風水などのように、その姿や形を基に占うものです。
「命」が生年月日などの「時間」という軸を重視する立場だとするなら、
「相」は物の形などの「空間」軸を重視する側と言えるのかもしれません。
このように、占いを3つに分けるのが一般的ですが、
私は、占いは大きく2つに分けられるのではないかと考えています。
それは基本的に変わるものを基にするか、変わらないものを基にするか、ということです。
生年月日というものは変わらないものですから、「命」は「不変要素の占い」。
事象事象は刻々と変化していきますから、「卜」は「可変要素の占い」。
では、「相」は?
「相」も、手相や人相などは基本的には変わらないので、
「不変要素の占い」に分類されるかと思います。
(ですが、手相人相も長い年月では変わっていくので、
不変と可変の中間的に位置するものと言えるかもしれません)
いずれにせよ、不変要素を基にする占いなのか、それとも
可変要素を基にするものなのか、で分類できるのではないでしょうか。
しかし、こうした不変要素を基にしている占いも、
実は、「可変要素の占い」から派生してきたものではないかと考えています。
つまりは、もともと占いは
すべて「可変要素の占い」だったのではないか、ということです。
それはなぜでしょう?
そのことは、また次回に。
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占いについての疑問(6) vol.11
( 「占いについての疑問」の続きです )
同じ生年月日の人が同じ運命の道を歩むのか、という論点で、
基本的には同じ運命の道を辿る、と主張する占い師の方は多いようです。
彼らの主張は、こうです。
「 同じ生年月日、同じ運命式の人は、
同じ運命要素というものをもっているのであって、
いうならばプログラム的なもの、運勢的な流れ、可能性が同じだということ。
同じ生年月日であっても、
大富豪の家に生まれた人の運命と、貧民街で生まれた人の運命が違うのは、
その環境であったり、その人の行動であったり、その人の意思等々が
大きく影響を及ぼすから。
しかし、同じ運命式である以上、
たとえば金運が恵まれた運勢なら、大富豪の出身の方は、
何十億何百億を手に入れられる一方、
貧民街出身の方は、
普通は100円だったのがそのときは2000円になって裕福になった、
ということの差になる、ということ。
どちらも、いつもより裕福になったという運命は同じだが、
その環境により程度が違ってくるのだ。 」
一見、もっともらしい話だが、
もし本当にそうなら、
結局占いの結果なんて、どうでもいいと思う人が多いんじゃないでしょうか。
同じ運命式、同じ運勢といったって、これほど天と地ほどの差があるのなら、
これはまったく別の人生、別の運勢と言ったほうがマシでしょう。
そんなに生年月日以外の変数要素、
たとえば、環境だとか生まれだとか行動などで、こんなに大きく変動するのなら、
生年月日なんて、
決定要素の一部にもならない、無視していい要素、どうでもいい要素ということになるんじゃないでしょうか?
結局、同じ生年月日で同じ運命式を持っている人は、
同じ運命要素を持っているが、
環境や育ちや意思などで、その程度は大きく違うのだ、と主張する方は、
つまるところ、生年月日に基づく占いなんて無意味なんですよ、と自分で自分のことを否定することになってしまっているのです、皮肉的なことに。
そして、それが悲劇的でもあり、喜劇的でもあるのは、
自分で自分のことを否定していることを、
自分自身が気づいていない、ということなんです。
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