革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -20ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 なんでもない文章も、時に革命を興す。辞書からの抜粋で、言葉を遊んでみた。

 ambition 野心、大望。

 It was his secret ambition to become a singer. 歌手になることが彼の秘かな夢だった。

 すべては、そこから始まった物語。なれない、と分かったとき、物語は終わる。なれなかった、後の物語はない。第二章なんて、初めから、想像していない。自分は、歌い手である、としか認識していない。この傲慢が、他人を癒すことがあるのか? 他人を癒す歌を歌えもしないで、何が歌い手だ。僕は、心を持った、マイクに、命懸けで、なる、つもりだ。野心ならある。天下が、同じ方向を見て、同じ歌を歌い始める、と言う。野心ならある。僕の名が、そのうち、石碑に刻まれるという。ただ、家族の肖像は、碑よりも重い、と歌ったのは、僕だ。

 borm うまれながらの。

 a born leader and a borm liar 生まれながらの指導者にして、天性の嘘つき

 僕は指導者にはならない。僕は、あくまで、一市民だ。だから、この後のことをよく考えよう。僕は、まず、人は、社会に貢献することを、考えるのが当たり前な、普通と言える、認識に、世俗の認識に変えていかなければならないと思うんだ。それじゃないと、社会は一向に、人を中心にしない社会のままだ。人が、人で、社会を動かすには、人が、社会に対する、人の取り組み方を、変えるしかない。そのことを、ずっと、訴えていこう、と思う。

 さて、今日の美女のほほえみは、どんなものか? ずいぶん、楽しみだ。

 courage 勇気。

 a man of great courage 非常に勇気のある人。

 保身から、一番離れた状態が、勇敢なる戦士の立ち位置だ。どれだけ、自分を勘定にいれず、戦うべきと思った場所で、なにもの恐れず、いや、恐れても、言うべきだと思ったことを、口にできるか? を問われている。後ろを見てはならない。前だけを見て突き進むしかない。正しい、と思うなら、それを行うしかない。不可は、見つめさえしないだろう。

 depth 深さ。

 What is the depth of this lake ? この湖の深さはどれくらいですか? 

 感情の湖がある。その湖の底には何があるのか? 深さを潜るしかない。見つけたものは、海底神殿。ここに、人は歴史を持っていた。人々の想い。この人間の想い。深さは、愛の深さ。一番底に沈んでいるのは、愛と言う音。ここの深さが、君の愛の深さだ。海底、何マイル? リバイアサンのいる海底? そうか、君の愛は、測れるような、奥深さ、なんてものではなかったんだな。

 entertain 楽しませる。

 entertain a child with fairy tales おとぎ話をして子供を楽しませる。

 シンデレラは、一生懸命、可哀そうな境遇に耐えたから、王子様に見初められるほどの美しい女性になれたんだ。みにくいアヒルの子は、ずっと、自分を、他と毛色の違う、醜い存在だと思っていた。けれど、その実は、他のどの子よりも美しく、圧倒的に、優美な、白鳥と言う鳥だった。だから、他と自分が違う、と言うことを恐れてはいけない。オオカミ少年は、いつも、狼が来るぞ、狼が来るぞと、嘘ばかりついていた。その結果、本当に狼が来た時、誰も助けられない、と言う最悪の事態に陥る。英雄は、本当のこと以外は、むやみに、口に出したりしないものだ。

 

 ただの単語から、辞書と言うありふれた品から、何かを生み出す、根幹は、すでに意思を持っているだけに、探し出すのは、難しいことではない。

 言葉とは、有限の箱だが、意味を持った箱だ。そこに入れられる想いは、本物なら、他にはない、付加価値を、見出すことも、探し当てることも、可能なことだ。僕らは、この、嘘も多分に含む、言葉を、ambition を持って、bromの資質のまま、courage ある決断で、depth のある、entertain できるだろうか? 

 

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 溜まりに、溜まった、新表現が、一息に、壁をぶち破って、ブレイクスルーする。そんな夢を見ている。世界では、どんな、表現力が、蓄えられているだろう。ネオ新感覚派は、今か、今か、と、その爪を研いでいる。立体的文章表現、革命的文章表現、僕は、この二つしか知らない。世界には、もっと、もっと、奥深さがあるはずだ。眠れる音が、潜んでいるはずだ。

 誰が、その音に、聞き耳を澄まし、先に、解放するか? 作家の矜持の問題である。世界を言葉で表そうと心掛けるもの、みんな、心していなければならない。君にしかない、君の音、それだけでも、掴めるだろうか? 僕は、僕なりの言葉の表し方を知った。ずっと、ずっと、探していたものだ。

 気づくのは、単に、自分の声で、語ればよかった、と言うことだ。自分が、いつも日常で使う声を使えばよかったんだ、と言うことだ。何も気取る必要はない。僕の表現は、すでに、僕の会話に宿っていた。僕は、僕の言葉だけで、世界を表していく。それが、僕が、僕であることの証明。僕が、ここまで、自分の足で歩いてきた、と言うことの証明。

 上手い言葉ではなく、僕の見つけた、僕にしか行けなかった場所で、見た、聞いた言葉。それを、社会の風に混ぜて、流布する。それが、新緑の風になり、新たな芽を芽吹かせる種になる。

 さて、創作家は、その技巧を競うべきか? より高め合い、より高度な世界へ行くことは、人間の宿命かもしれない。なぜ山に登る、そこに山があるからさ、でいい。

 技術は、鍛錬によってなされるものと、瞬間的瞬発力によってうまれるものがある。その両方を、僕らは、競わなければならない。戦いに出るのは、辛い。厳しい。家で、大人しく、丸まっていたい。けれど、売り物にするなら、その勝負を観衆に示すのは当たり前のことだ。逃げられることではない。

 詩のボクシング、と言うのをやっていた。まさに、そんなときもあるだろう。思想のボクシングを求める。表現の最高達点を、求める。やらなきゃ始まらない。やるから、始まるんだ。

 機微に書け。

 我、短冊の元、啓示、と書く。

 神、それに、傲慢なる王、と呼ぶ。

 ただ、人間の可能性が知りたいだけだ。どこまで、踏み込めるか? が知りたいだけだ。赤点をもらいに来たわけじゃない。優秀と言われに来たのだ。

 雨の日だった。泣けない僕の代わりに、最近は、やたら、空が泣く。その理由は、僕が離れていくのではないか? と危惧する、女の涙、だった。

 晴れた日、蒼天の日、一人の貴婦人にあった。ああ、愛をあげよう。

 つかの間の永遠は、扉のこちら側のこと。扉を開けば、そこは、真の永遠。恐れるものもなく、永遠に向って、一斉に、その想い想いの翼を広げ、飛び立っていく。

 あれは、大志の翼。自由のままに、大空に、その弧を描くだろう。

 色んなものと、戦っていかなければならない。新規開拓とは、前住民との戦いだ。また、革命とは、前支配者との戦いだ。僕らの世界にするために、古き悪を追い払うために、僕らは、ここへ来た。

 望む、望まないじゃなく、単に、望むだけのことでしかない。抵抗はあるだろう。けれど、それは、古い鎖だ。水さえとどめて、世界を腐らせていく、ただの、束縛でしかない。自由の翼を持った、自由の民は、新しい新地でこそ、光を浴びて、輝けるんだ。僕は、僕らの世界の前へ来たことを、来れたことを、誇りに思い、僕の翼を、ネオ新感覚の翼を、緩やかに、大きく、広げる。

 さァ、いよいよ、僕らの時代の始まりだ。恐れることなく、信念のみで、羽ばたいていけ。羽ばたいてみせる。僕らの、僕らだけの新大陸を馳せる白銀の大鳥として。つがいである、炎の鳥、火の鳥を、探し求めながら。

 永遠、その言葉で始まった物語の、終焉を求める旅にするために。

 

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 ・はーになり交わった。互いに高め合うことを信じて、どこまでも、その階段を、駆け上っていくつもりだった。けれど、その三つのうちの一つが、欠けた。

「なぜ、カインが死ななければならなかったのだろう?」

 その疑問は、山より大きく、山さえ動かしそうだった。理解できないものは、理解できない。神様は、ちゃんと見ているのか? そう、神様は、ちゃんと見ていた。そして、そう判断したのだ。つけあがるな、人間、と。

「善は、神のものである」

 そう言う、ことじゃないか? もう一人の同志、サンは言う。以外に、理由なんて、見つからない。まだ、神様を、直に信じていても、奇妙がられない時代だ。この世界では、まだ、人は、月には行けていない。

「そんな馬鹿な話があるか? 人間は、悪だけを行っていろ、と言うのか? ありえない」

 タイシは、単に思った。そうだな、と、サンもうなずく。埋葬を終えた、墓場でのことだ。他人が去っていく中、彼らと、家族だけが、ずっと、残っていた。

「死んだな。僕の一つは、死んだ」

 タイシは言う。

「大丈夫だ。人間には、三つの命があるから」

 サンは言った。それは、今流行っている本に書かれていたことだった。

「そんなもの、何の慰めにもならない。本当だとしても、一度死んだものは生き返らない」

 タイシは、涙を流していた。小雨の降る日だった。その中で、さめざめと泣いている。

「死を前にした、人間の無力さ、と言ったらないな。カインは、これからの時代に、絶対生きていなきゃならない、存在だった。どうして、その意志を、取り戻すことができよう」

 サンは、泣いてはいなかったが、悲嘆しているのは変わらない。生きていなきゃならない人間が死んで、どうでもいいような奴が生きている。そんな、暴言も脳裏に浮かぶ。

「科学の進歩は、数十年、いや、下手したら、世紀単位で、遅れるな」

 カインへの、世辞もあったのだろう、タイシは、そんな言葉を残した。これだけ、ひたむきな、情熱溢れる科学の徒も少ない。いや、彼以外には、いないだろう。そう思えるから、でもある。

「代償は、何だったのだろうな?」

 サンは、ダッフルコートのポケットに手を突っ込みながら、その雨空を見上げながら言った。

「そんなもの、あるだろうか?」

 替えのきくものなどないように、思え、タイシは、まだ、涙を、ぬぐわなかった。

「最後会ったとき、学問の徒が、学問をしている最中に、いなくなったら、意味がないな。まだ、オレは、世界に、何も残していない、と言っていた。最後まで、学ぶことに純粋だった人間だった」

 思い返しながら、サンは言った。肥えた豚になるな。痩せた馬になれ。が口癖の人間だった。そして、その言葉の通り、毎日、懸命に、勉学にいそしんでいた。誇れる友人だ。

「学ぶことを止めるか? 意味がないこと、と思うか?」

 同じ志のサンに、改めて、ここで、聞いてみたくなった。タイシは、心決めている。

「運命の問題じゃないよ。なりたいものがあるから、そこへ進む。それだけのことだ。それに、こんな生き方しか、オレらは、できない、だろう?」

 サンは、少しもぶれることなく言う。世界の役に立つ人間になりたかった。それに近しい立場に自分はいる。だから、それを無駄にすることなく、思った自分になれるよう、今まで通り、学術し、自分を、研磨していくだけだ、と思っている。

 タイシは、その言葉に微笑んだ。

「そうだな。意味のないことなんてない。それを捨てたら、オレらは、オレらの、存在価値さえ、なくしてしまうものな。カインの死に意味を持たせることができるのか? もオレらしだいだものな」

 タイシが、そう決意すると、いつの間にか、空は、晴れ間を見せ始めていた。神は、ここを、どんな目で、見ていたのだろう? 

 

                    続きます。

 

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 男と女が呼び合っている。世界は、男と女の物語だ。唇を求め、体を求め、心を求める。これを、他人は、愛と呼ぶ。けれど、愛は、一つじゃない。特に男はそうだけれど、女も違う、とは言えない。それで、手痛い目にもあった。まァ、自分にも責任はあるのだけれど。

 それが、世の中の争いの素。男女の物語だけに、男女間の、違う、そうだ、は酷い。みんな、幸せになりたい。その幸せは誰がくれるのか? と言われれば、大概は、異性だ。なのに、裏切っては、不幸せを作り上げてしまう。まったく、懲りない連中だ、バカは死ななきゃ治らない、と、神様が見ているのか? は知らない。ひょっとすれば、楽しんでみているかもしれないし、純愛を捧げれば、微笑ましく思うどころか? 人間には、贅沢だ、と、怒りや、嫉妬の感情を抱くかもしれない。

 それは何とも言えない。もともと、いないや、興味ないもあるだろう。経験上は、嫌がらせ主体、の気がするが。

 恐れる男と、恐れない女、と言う文句を書いたことがある。夏目漱石の言葉だ。これから、男は、感覚の弱い女をバカにする。女は、感覚に弱い男をバカにする、と書いた。すべての男女間の煩悶の、要因は、ここにある、と。

 女に怒られるかもな。ただ、単に、あちこち、しっぽを振りまくる男が悪いのでしょ、って。それは、確かに、そうだから、文句は言えない。

「僕が悪いんじゃない。女の魅力が悪いんだ。逆らえるわけないじゃないか?」

 何て、言い訳しても、聞いてもくれないんだろうな。当然、と言えば、当然だ。けれど、世の中で一番難しいのは、純愛なのだ。いつか、そんな時代があったそうな、と語られているといいな、と思う。

 恐れる男を、未来に生きる男、と、恐れない女を、今に生きる女、と、書き換えた。確かな変換だ、と思ったのだが、今僕は、時間には、今と過去しかない、と言う言葉に傾倒している。YouTubeで英語を教えている、がっちゃん、と言う人の言葉だ。巧みな話をする、聞いてみて損はないから、聞いてみるといい、と思う。そうなると、未来に生きるから、怯えが生まれる、と言う言葉はなくなる。そう、ないものに怯えていたのが、男なのだろう。

 Pity's akin to love. 「可哀そうとは愛している、と言うことだ」は名文だ。そう、慈愛こそ、愛、なのだ。可哀そう、と本気で思える人に、人は、愛を感じているんだ。以外に、愛なんて、あるわけないだろ? のはずだ。以外は、ただの、自己愛に過ぎない。自分しか愛せないなんて、哀れな、生き物でもあるのだが。

 互いの幸せな顔をどうして喜べないのか? ずっと昔、それは、ほほ笑みと言って、最愛の象徴だった。最愛があるから、人は人生を尊び、勇気をもって、戦えた。日常の生活に向えた。の、どの辺りが不満なのか? かつて、好きだった、好きでたまらなかった人の顔も、見るのも嫌なくらいになる。

 愛がなければ、僕らは誕生さえしていないのに、世界には、人の数だけの愛の数があったはずなのに。単純なことを、単純なことから、忘れていってしまう。

 リンダ・リンダ・リンダ、愛じゃなくても、恋じゃなくても、君を離しはしない。

 ダーリン、そろそろ迎えに来てくれ、うるさい奴らが多くて困っている。

 愛の歌は、星の数ほどあるが、愛を裏切る現実が、それにもましてある。人間の、成長のなさは、実に、奇妙だ。自ら、幸福を手放す。浮気をして、恐れるがないのか? 男は、頭が悪くなった。倫理的にして、初めて芸術的、と言う漱石の言葉だから、もともと、あまり、男っぽくなかったのかもしれないが、野蛮であれば、男である、と言う考えは、好きくない。

 やはり、慎重な、丁寧な、繊細さを併せ持った、心優しき、紳士でありたいものだ。

 何にせよ、この男と女の物語の結末は、愛と言うハッピーエンドで終われるのか? この先の行方が、楽しみだ。僕くらいは、最後まで、信じていたい、と思う。

 

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 コロナのネタから、直ぐに、今日書くはずだったネタに移る。

 自分を王様、と打ってみた、と言う話だ。

 そうなれば、ただ、ひたすら、善政をするだろう。それだけに頭を使う毎日、だと思う。以外には、考えられない。他に、何をすることがあるだろうか? 考えつかない。身分は保証されている。地位は、最高位だ。善政を施せば、国民に慕われ、称賛まで受けられる。それ以外の、計算なんて、立たない。

 酷く簡単なこと。他に、選択肢なんて、どこにもない。

 それなのに、王様になると、ひどく自分勝手になる、と考える人がいる。王様、と言う言葉は、否定の言葉なのだ。考えが、浅くて、嫌になる。もちろん、僕は、一市民だ。これからも、ずっと、王様になんてなることはない。けれど、王様、イコール、独裁者、と言う発想しか持てないのは、教育の、酷さ、だと思う。もっと、理想的な王様像を、賢王像を、一般的な概念として、持たせておくべきだったのではないか? と思う。

 そう、市民が教育されていないから、王様が、嫌厭されてしまう。それは、莫大な、損失だ、と思う。理想がないから、そう言う人間が生まれない。そう言う人間になろう、とする人間が生まれない。

 実際、今の王様はどうだ、と言うことになったとき、内閣総理大臣が一番近いのだろうが、それは、王様とは、また少し違う。けれど、善政に最善を尽くせば、自分にとって、いいことばかりであることは変わらず、それをしないことが、実に、意味が分からない。何を持って、その地位につこうと思ったのか? 

 最近、日本も、大統領制にすべきだ、と思っているが、強いリーダーシップや、賢明な判断力や、社会へのなすべきかたちのプランや、理想がないなら、ならなきゃいいのに、と思うのに、なってしまう。そんなに善政をするのは難しいことか? 分からないなら、意見を聞けばいい。国民を巻き込めばいい。メディアや、テレビの使い方を考えればいい。ブログだって、使おうと思えば、使えるだろう。週一度、理想や、理念を述べるだけだ。

 批判も、理念がないから、伝わっていないから、起きるのだろう。ちゃんと説明すれば、単純に、伝わっていくことばかりのはずだ。内々に、処理しなきゃならない、事情でもあるのだろうか? おそらく、これは、ずっと、僕が死ぬまでは少なくとも、変わることなく、続いていくだろう。情けない、とか以前に、問題外な、ことだ。

 どうして、いい国になったらいけないんだ? どうして、理想が、形になっていったらいけないんだ。どうして、社会に、国の在り方に、理想を持つ世代の知性は、誕生しないのだ。なぜ、内閣総理大臣は、いつまでも、国民の、エキストラとしての存在から、脱却することができないんだ。

 批判をすべて、内閣総理大臣に向ければいい、と言うのは、危険な発想だ、と思う。結局、自分は、何もやっていない、何の理想も持っていない、のだからだ。他人を批判していればいい、と言う時代は、もう過ぎた。と言うより、そんな時代があったのが、信じられない。

 意見があるなら、行動に移すべき時代だ。動かないやつは、意見がないのと同じ、ことだ、とみなされる時代だ。それも、ただ、口で喋っていればいい、と言うヤツじゃない。中には、僕みたいに、まるで、政治のこと何て、関心がなく、勉強してこなかった人間もいるだろう。

 けれど、少なくとも、国政は、討論が目的なのではなく、実行が目的なのだから、それに携わるもの、それをどうこう言うものも、本気で勉学してほしい。より有能な施策を、実行に移してほしい。一度や、二度の失敗は許されるだろう。それ以上の貢献を幾度となく、果たしているのであれば。完全無欠なんてない、と歌っている。とうぜん、人間なんて、そんなものだろう。

 ただ、志だけは、人間、完全無欠になれる。状況に、気圧されない、勇気を、求めたい、ところだ。

 

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 対策がなければ、と言う話だが、とんでもないことになったのは、確かなことだ。四十二万と言えば、熊本市が七十四万人で、県内で二番目に多い、八代市になると、十三万になる。つまり、政令指定都市の半分を越え、地方の市の何倍もの数になる人数だ。街が、一気に、何個も消える、と言うのと同じ数になる。けれど、多くの国民は、その事態に、鈍感に暮らしている。

 僕だって、十万円入るか? と言うことで、喜んでさえいるぐらいだ。生活苦がある。障碍者年金で暮らしている。エンゲル係数が高く、十万あれば、しばらくは、ましな食事ができるのだ。書くことで、生業を立てたいと思っているが、そうも上手くいかない。賞に応募しては、落ちるし、企画出版に応募しても、いくらか負担をしてもらえないか? と言う話になる。自信ばかりは、他人に恥じない作品を作っていることばかりは、ちゃんとあるのだが。有益な文句、有能な機転、優秀な思想。だが、一般は、通らない。

 けれど、死が目の前にある、状況を、こうも楽観視していられるか? と思う。それぐらい、自分は幸福だ、とか言っている。『全人類の恒久的幸福』、まず、目の前の災害もしのげないで、夢も何もあったものじゃない。人間の横暴さ、以外の何物でもないだろう。咳で眠れない患者さんもいるとのことだ。僕の喘息持ちだから、その苦しさの三分の一くらいは分かる。アレは、本当に堪らない。

 どうしてこうなった? と言っても、分からない、ことばかりだ。

 精進さんだっけ、同じブログで書いていた。地獄の人間は、誰一人として感謝をしないと。まさに、僕のことだ。地獄に連れてこられて、久しい。僕に、下手な慣れを、それは与えた。けれど、感謝できていない人は、僕ばかりじゃないようだ。彼らもまた、地獄にいるのかもしれない。いつも、不満たらたらで、自分の恵まれていることに気づくゆとりもない。

 精進さんの言葉は、きっと、毛嫌いが起きるほど、清潔な言葉だったが、その爪の垢を煎じて飲ませたい、とは、まさに、彼らのことだろう。僕も含めて。それでも、相変わらずは、相変わらずのまま、なのだが。

 あまりにも、自分がすべきことにさえ、気づいていなさすぎだ。この緊急事態、みんなで、意識しあわなければ、乗り越えていくことはできないのだ。明日奪われるのは、あなたの命かもしれないし、あなたの大切な人の命かもしれない。僕にも家族がいて、親は、高齢で、病院から抜け出られない状態だから、クラスターでも起きれば、ひとたまりもなく、命を落としてしまう。あれだけ、社会を愛した人が、それでは、あんまりだ。僕は、そのことをよく理解しなければいけない。ただ一人の、支えである兄が、被害を被れば、僕は、明日の行方さえ、見えなくなる。

 それなのに、呑気に、少しも、緊張感もなく、日々を、過ごしている。それは、これまでの経緯で、色々あって、慣れて、どうしようもなくなった、と言う点はあるだろうが、せめて、感謝ぐらいは、できるはずだ。心しろ、と言っても、心は酷く鈍い。

 本当に、自分が、あるいは、自分の周りの他人が、生きていられるだけで、とても恵まれたことであることは確かだ。危機感に怯えるのは、僕の場合、心の病があるので、できるだけ、リラックスしていなければならないのは、確かなことなのだが、これ以上、感染が広まって、未曾有の大惨事には、なってほしくない。くれぐれも、余計な外出は、他人との接触は、控えて、自分の身と、自分の大切な人の身を、まずは、自分で守ってほしい。

 何も気の利いたことは言えないが、今は、それぞれが、その意識だけでも持っているのが、大切なことだ、と思うから、ここで、書いておくことにした。最低、まずは、自分の身を、自分で守ろう。それが、社会のためにもなる、訳だから。

 さすがに、少しは、全体の意識も、高まってきた感じがあるが、何とか、つい何か月前の状態に戻ってほしいものだ。願うぐらいしかできないが、せめて意識だけは、持って行こう。それだけは、僕にできることとして、伝えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして、よくしようと思うの? そんなの、他人任せにしていればいいのに」

 アンキは、宿舎に戻る、タイシに足並みをそろえるように、小走りについていきながら、言った。色々、不思議なことはある。そんなに深く考えなけば、もっと、楽に、みんなも楽に、生活していけるんじゃないか? と思うことはある。

「カッコいい言い方をすれば、他人の笑顔を見たいのに、理由はないな、かな」

 タイシは、そう、何気ない顔をして言った。確かに、カッコいい。けれど、本当に、それだけの理由で、動いているのか? と言う疑問はある。自分は、毛色が違うのだろうか? と思う。

「私は、そんなこと考えない。そんな風には、行動できない。私は変なのかな?」

 だから、素直に、聞いてみた。人間と言うものには、本当に、そんな血が流れているのか? 彼女には、重大な問いだ。

「幸福、を知れば分かるよ。まだ、アンキは、本当の幸福を知らないんだ。ただ、それだけのことだ。幸せは、他人を幸せにしたい気持ちに繋がる。自分だけ、幸せなら、幸せ、なんてないだろ? それなら、分かるかい?」

 信号のところで立ち止まって、左右に人を見ながら、その人ごみの中で、タイシは、はにかんだ。こうしていると、彼もまた、人波の一種だ。周りの誰とも違わない。けれど、そんな、大志を持っている。人とは違うタイシだ。周りの他人に対して、特に、何かを言うわけでもないタイシは、同じ人であり、同じ人ではない。それが、当たり前のような、そうでないようにも、映る。

「幸せが飛び出ちゃったんだね? 私は、私が幸せなら、幸せ。でも、タイシは、自分の幸せが、外に飛び出ちゃったんだ。だから、他人も、って思う。私は、経験がないからかもしれないからかもしれない。確かに、そこまで、めいっぱい幸せになったら、幸せがこらえきれなくなって、飛び出ちゃうかもしれない」

 タイシは、アンキの言葉に、驚いた。自分も、自分との、周りの違いが、分からない、ところがあったからだ。それを指摘されて、確かに、そんな気がする。

「よく、分かったなァ。確かに、そんな感じだな。愛しかなかった少年時代が、僕の許容量オーバーだった。この幸せは、僕だけではもったいない、って、単純に感じていた。それが、僕を動かしている、原点、かもしれない」

 昔を思い出すと、いつも、その気持ちに溢れる。それが、二度死んでも、また、自分に歩みをもたらす、原動力としてある。そんな単純な動機で動いていて、複雑な、社会構造に、立ち返る。どこをどうすればいいのか? を考えていても、飽きないのは、まだ、前向きになれるのは、アンキの言う通りのことなんだろう。

「そう考えると、不思議。私も、他人に、幸せを分けたくなっちゃった。タイシといて、だいぶ、幸せな感じを、感じられるようになったからかな?」

 そう、アンキは、はしゃぐように、前へ走りながら、女の子らしく、舞った。他人の不幸を願うものは、それだけで不幸だ。人間の、タイプの違い、だとは思わない。世界は、一色で塗られている。最近、思うことだ。カラフル、ではなく、どちらか? と言えば、濁った、薄曇りの、灰色だ。

 闇の黒ほど、髪の毛の黒ほど、純粋、でもない。

「だといいけどな」

 タイシは、微笑ましく、先をかける少女を見守る。美しい世界は、美しく、高層の建物が並ぶ中でも、見える蒼天に、ここから駆け出して、昇っていく心境かな? そう感じた。ひたむきに、空にかけていく少年がいる。

 翼もないのにどこへ行く? 

 感覚の丘さ。感覚の丘に、すべてのフィーリングを手にしに行くんだ。

 今なら、笑顔で、言えるよ。

 

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 他人を笑うようになっても、終わりじゃない。本気で、バカにする笑いをするようになったら、僕は終わりだけど。世界は、終わりじゃない。世界は、幾つも、他人を嘲って、進められている。僕は、それは、危険だよ、と言うけれど、神様は、それを許してらっしゃる。その程度の世界だ。

 僕は、一度、そんな神を見て、腹を抱えて笑った。もちろん、嘲ったのだ。オレに、そんな感性はねェ、と笑ったのだ。神は、悔しがっていた。バカは、バカだな、と改めて思った。そう言うところが、僕が、神様から嫌われる原因。よく分かるよ。人の子だからね。と、また、まったく分からないことを、皮肉で言って、嘲る。お似合いとは、お似合いだ。

 けれど、じゃァ、何が終わりか? と言うと、腹を抱えて笑えなくなったら、終わり、だそうだ。分かるような、分からないようなこと。確かに、笑える、と言うのは、ゆとりではある。また、人間性、でもある。笑わない人間より、笑う人間の方が、好感を持たれるだろう。時に、優しい、真面目な人間より、好感を持たれる。世界は、変質者の集まりか? 奇妙なところは、多々ある。

 純文学や、哲学書より、世にも奇妙な物語や、ミステリー小説の方が、もてはやされる。

「間違っているぞ、それ」と、訂正しても、誰も気にも留めないだろう。ああ、もったいない。純粋な血が、軽薄な血に劣っている。と、僕は、諦める。わけにはいかないから、新しい、ものの見方を提示して、新しい、世界の、創造を、見抜いてもらおうとする。ここは、発見と、発想の街

https://ameblo.jp/rightown/entry-12572075488.html

 、だ。新世界が、現実のものになったら、少しは、真面な人間も増えるだろう。いつまでも、世にも奇妙な物語では、何が、本質か? 本当のことか? 本物か? が分からなくなる。

 腹を抱えて笑えなくなったら、終わり。それは、それでいいだろう。何も、他人がバカをやって、それを笑うばかりが人間ではない。人がやった、痛快に、英雄的痛快に、大笑いすることもある。

 それに、腹を抱えて笑われるのが見たくて、喜劇をやるのが、チャップリンだ。知性と、機略の王だ。有能とは、他人を楽しませることにおいて、有能、と言う意味だ。間違っても、他人をバカにすることに長けている人間を、有能、と言うわけじゃない。

 笑われて、笑われて、成長する、といるわけないじゃん、と言われる、神様は言う。じゃァ、他人を笑って、笑って、育ってきた人間は、何に成長したんだ? 哀れな、他人の心が分からない、一歩間違えば、犯罪者、か? それでは、全体として、成長、とは言えないな。世界としては、二流の世界、と言うことになるな。僕が、腹を抱えて、笑うだけのことはあるものだ。

 バカが、バカを作っている。一番バカなのが誰なのか? 答えるまでもない。堪えているだろうか? よほどの、図太さ、とみえる。

 と、同時に、天才が、天才を作る。僕の論理での天才だ。

https://ameblo.jp/rightown/entry-12580069486.html

 有益とは、世界にとって、有益でしかない。

 さて、求められているものは何だ? 人生の充実。いい答えだ。確かに、それはあるかもしれない。充実させるには、よく笑うことか? 実は、笑うことじゃなくて、笑わせることだ、と僕なら答える。笑わせることほど、無罪に笑えることはない。それを知っているからだ。能ある鷹は爪を隠すで、子供の頃、ボケをやって、笑いをとっていた。最近は、いい爪切りが、売ってあるらしいが、それの紹介は、何の笑いだ? 低俗は、低俗でしかない。自分のレベルを下げるだけの所業だ。それで、悪人正機なんて言われたら、たまったものじゃない。

 腹を抱えて笑えなくなったら、終わり。腹を抱えて笑うには、そんな、純粋な、世界まで、行くことだ。それ以外に、世界の救済は、ありえない。バカじゃないなら、理解しろ。僕は、楽園まで、この地上で、行きたいんだ。

 

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 忘れてはいけない場所。自分の数値を表す、座標平面の発祥の地。

 僕にとってそれは、他人にもらった喜びだ。他人を楽しませた。それによって、他人から、求められる、と言う心地よさをもらった。最高に、幸福な日々だった。僕はそれを、幼いころに経験している。頭でっかちだった僕は、小学生のころに、他人を楽しませる術に特化していた。だから、他人から必要とされる感激を、与えられていたのだ。

 それが、僕の原点だ。始まりの章にして、最後まで、フラッグの立っている章。

 と、もう一つあるのが、謙虚さ、だ。他人を許し、自分なんて、と思う気持ちだ。

 間違っても、傲慢になってはいけない。世界を広げようとしてもいけない。どんなにいいことでも、世界全体に、なんて、広げ方をしてはいけない。あくまで、自分は、他人を盛り上げる、役割で、楽しむのは、他人だ。さっきの記事と逆のことを言っているが、原点、と言う話をするなら、こちらが、本当だ。楽しんだもの勝ちは、進みに、進んだ結果でしかない。

 もっと、進めば、価値観は変わるかもしれないし、原点に戻れ、と言われたときは、ここに戻ることになる。『全人類の恒久的幸福』にしても一緒だ。これは、初めの方の原点から進みに、進んだらしい解だが、こちらの原点から行けば、広げすぎるのは、傲慢だ。譲り、渡す気持ちは大事になる。神様が、そうしていないのには、そうあってはいけない、訳があるからだ。それは、理解しなければならない。

 原点を持っていれば、その後の人生は、それに則るだけのことだ。難しくなくなる。原点に返りさえすれば、今自分が何をやっているのか? どうして、そんなところで、まごまごしているのか? これから、どう方向性をとればいいのか? そう言うものが、ちゃんと、理解として、捕まえることができる。下手に悩まず、自分を見失わず、いられる。

 原点は一つだろう、と言うなら、前者の原点が、僕の原点だろう。だから、『全人類の恒久的幸福』も、ある意味、線上のことで、追い求めても悪くない、と言うことになる。

 迷ったら、素直に、原点に返ることだ。見えなかった世界も、また、開けてくる。行ける場所が、行きたい場所が、もう一度、取り戻せる。

 君の原点は何だい? 一度、足元を見返してみて、言葉に代えてみたらどうかな? はっきり、させておくと、後々、自分の選択が、どれであるのか? 今に続くものが見えてくるはずだよ。健全な自分ができあがる。

 下手な自分にならずに済む。たとえ、それが、他人から見て、あまり、格好のよくないものでも、自分の原点からの出発であることだと認識できるなら、納得いく。気にならなくなる。そのまま続けていこうと思える。だいたい、それしかない。

 原点から、遠く離れた場所で、直線上でない場所に自分がいて、そこで何か? をやっていることを知ると、自分はいったい、何をやっているんだ、と言うことになる。それを、失望、と言うんだ。自分で、自分に、幻滅しないためにも、原点からの直線上を、行っているのか? どうか? は、重要なことになる。それだけに、常に、原点を、自分の中に、持ち合わせて行動している人間は、強い、と言うことになる。

 それは、本当に、周囲からの評価のいい、悪いじゃなくなる。たとえ、悪いに見られていても、それが、原点から、直線的に進んだ自分の結果なら、それが、自分と言う、自分なのだ。悪、と呼ばれようが、原点から進んだ自分なら、それは、自分だから、自分以外の何物でもないわけだから、最良な自分だろう。以外にない。

 原点を持って進むことの大切さは、原点を失ったものがよく分かるはずだ。自分は、今、何をしているのだろう? その失望は、未来を閉ざす。逆に、原点にそって生きてきた人間なら、どんな結果でも、満足していられる。

 それが、自然なことだ、と思う。だから、原点をはっきりさせていることと、常に、意識の中に持っていることが、人生を生きるうえで、一番見失ってはいけないことだ、と思う。

 

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 楽しんだもの勝ち、とよく言う。その度に、反論していた気がする。他人は、他人の考えだ、と言う意識がありながら、やはり、どこか、抵抗を感じていたのだろう。人生は、その生きる意味がなければ、価値がない、と。それは、今生限りの人生だ、としても。一度きりの人生が、当たり前だとしても。それでも、抵抗感はあった。

 楽しむよりも、もっと、大切なものはあるだろう、と。そして、その役割を果たすのが、人間の、生まれてきた使命、だとか、大義だとか。今、そんな風に考え、感じる人間は、どのくらいいるだろうか? 少なくとも、僕はそうだった。だから、楽しむ以外の、価値を求めて、苦難な道を選び、歩んできたのだ。

 けれど、最近は、それは、そんなに、抵抗感や、違和感はない。楽しんだもの勝ちでいいのじゃないか? と思う。これは、敗北、だろうか? かもしれない。僕は、それまでの、考えを、覆したのだから。それでも、楽しんだもの勝ちで、いい、と思う。誰かに気を使って、何かの引け目を感じて、楽しまない、なんて、別に選ばなくていい。一番上が、言っているんだから。素直に、それに従えばいい。

 反骨心も、反抗期も起きない。ただ、楽しめばいい。他人が不幸でも、楽しめばいい。何だか、安っぽいけれど、それでいい。だろ? それでいいんだろ? 神様。さんざん、そればかりを言ってきたよな。僕は、一人、違う、人生には、果たさなきゃならない使命がある、と言い続けていたけれど。その使命を与えているはずの、神様が、一番バカにしていた。

 なら、そうだ。間違いない、ってやつだ。井の中の蛙では、しかたないからな。素直に受け入れて、素直に宣伝していくよ。「バカだなァ。一度きりの人生、楽しまないでどうするんだよ」って。難しいことは置いておけ、他人を出し抜いても、自分が楽しめ。そう、言われたとおりに、伝えていくよ。どうなっても、知ったこっちゃないが。上の選択だ。批判するような状況じゃない。

 これからは、他人を出し抜く、百の方法、でも、考えていくか? 

 一に、先に、好ポジションを確保することだろう。先に、中央に近い、場所を有無を言わせず確保していれば、誰も、文句を言えなくなる。

 二に、そのポジションを、維持するために、バックグラウンドを利用するなり、ポジションが危なくなるようなバレる醜聞は起こさないこと、もし起こしてしまったら、早めに、冗談で逃げる。後は、バレなきゃ、どんな楽しみ方をしても、楽しんだだけ、勝利だ。

 三に、力関係は大切だ。上にへつらい、下に厳しく。上には、忠実な犬をやりつつ、その腹いせを下でする。

 この三つを守っていれば、地位は確保でき、楽しみまくれる土台はできるわけだ。まずは、ポジションを上手く手にするところからだろう。下手をしたり、下手にした手に出たりして、機を逃がしてはいけない。空いているうちに、さっと入る。これが肝心だ。

 それって、面白いか? と、前の僕なら言っていた。正直、面白いとは感じない。だが、そんなものは、成果報酬しだいだ。男から、金銭はもちろん、いい女とも付き合いたい。人生は、この二つだ。間違っても、意義のある仕事と、永遠を約束できる女、ではない。そこを履き違えると、まったく、逆の選択になりかねないから、注意が必要だ。

 甘い汁を逃さないことだけを考えていればいい。だんだん、気色悪くなってきた。が、それは、実質的な、儲けがないから思うことであって、実質的儲けがあれば、誰も思わないことなのだ。くれぐれも、この選択に、変な落ちをつけようとか、考えだしたらいけない。やりたいことがあれば、手間の空いた、余暇、でやればいいだけなのだから。まずは、儲けることから考えよう。そして、力さえ手に入れれば、誰も、文句は言えなくなる。

 伝統として、そう、続いてきているのだから、その伝統にしたがえばいい、だけのことだ。気楽いやれよ。凡人は、凡人なのだから。

 

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