革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -2ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 まァ、そうだ。

 それは、経験してきた。

 知力と言うものは、意外に、凶器、それも諸刃の剣になる。

 知るとは、不幸なことでもある。

 けれど、知り過ぎれば、それは、幸福なことになる。

 これも、経験したことだ。

 角が取れるまで、摩耗して、知に働け、だろう。

 磨けば、それは、宝玉、違いはない。

 知るは、極めてこそ、なんぼだ。

 中途半端な知は必要じゃない。

 すべての原理が、知っているまで行けたら、それは、人間が生まれながらに知っているまで行けたら、あとは、歓喜以外残らない。

 どんなことも、繋がっているのだ、としたら、無駄がなくなるだろう。

 ゴミ、だという。

 ゴミも、色々と再利用が盛んだ。

 人間の知力の果て、ゆえ、のことだ。

 計り知れないものを計れる器を持てるか? どうか? だけの、問題になる。

 君は、底の知れない、人間になれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼滅が流行っている。世界一悲しい鬼退治、らしい。

 鬼になるほどの執着はあるか? 世界への憎しみ、恨みはあるか? 

 欲しい、欲しい病。

 恵まれないことは、人を鬼に変える。

 恵みを与える人は、鬼にも情けをかける、鬼退治のものになる。

 泣いて鬼を切り、泣いて鬼は切られる。

 人は、そこに何を見るのか? 

 鬼などなりたくない、と思っているだろう。鬼は、そんな人間がなるから、泣けるのだ。

 誰もが、鬼になる可能性がある。そして、鬼は、害悪、だ。

 恋は罪、恋は害悪、と言う言葉を思い出す。

 ああ、君の情が、悲しくなく、滑稽でもなく、綺麗で、健やかなるものであることを願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何も他に入らない。

 普通に、僕は言える。

 言えないのは、君。

 君は、色々考える。

 二人が関係を持った、その後のこと。

 その後に、付随するもののこと。

 それは、正しい、と思う。

 おかげで、僕も苦労せずに済む。

 君が、後のことを測ってくれるから、損ばかりはしない。

 僕も、得、でいられる。

 かかるのは、時間だけ。

 それと、不安。

 とは言え、約束されたものが何もない、とは言え、可能性があるだけ、全然ましだ。

 ずっと、夢は、見ていられる。

 幸せだろうな。君の指すとおり進めたら。

 永遠さえ、そこにはありそうな気がする。

 そのために生まれたのだ、としたら、恵まれ過ぎだろう。

 とは言え、望まずにはいられない。

 ただ、愛を知るための人生のようだ。

 ただ、愛すればいいだけの人生のようだ。

 ずいぶん、楽勝に感じられるのは、悲劇のもと、だろうか? 

 それとも、喜劇のもとになってくれるだろうか? 

 他人を楽しませるだけの人生でありたい。

 願いがそうだから、とても楽観視している。

 愛する、さ。

 アレを愛さないなんて、道理じゃないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他人に幸福を、それは、厳命にならない。他人を傷つけず、それも厳命にならない。不思議な世界だ。僕には、理解できない、世界だ。

 むしろ、自分の幸福にしがみつけ、であったり、自分の幸福を手に入れるために戦え、であったりが、厳命だ。厳しい、厳めしい、命令だ。

 命とは、何に燃やす花なのか? を探す旅ではなく、とにかく、消費するだけの、長旅だ。不満しかない。

 習ってきた、ことと、事実は、大きく違う。文句を言う。当然、生きるものとして、言う。愚痴になる。抗議、にはならない。抗い、にはならない。ますます、不満だ。

 上手くいくな、それのみが、ただ、神の厳命だ。

 なんて、愚昧なのだ、と普通の感性なら、感じる。しかし、事実、それが、厳命だ。

 人として、世界として、完成しようじゃないか? 僕は言っている。

 聞いてもらえる感じは、欠片もない。ただ、上手くいくな、を厳命としている。

 人の生まれた訳を知りたい。

 それは、バタつき、藻掻き、足搔く様だ。と言われる。

 そんな不毛なことに、何の価値があるのか? 聞いている。

 ただ、見ているには、それでなければ、つまらない、だろう、と言う。お前らが、楽しむために作った世界のわけがないだろう、と言う。

 相手にしていられないな。

 結論は、そうだ。

 だから、自分、で自分に厳命を与える。

 考える生き物として、その価値を考えさせられる生き物になれ。

 これが、僕の、僕としての、厳命だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前を向いているものは友だ。それでいて、他人を傷つけないように努めているものはもっと友だ。友は、永代に、誇れる仲間だ。

 後ろ向きでも、人間なら仕方がない。そんな時も、人も、種類によっては、環境によってはあるだろう。けれど、どうにかしようと、少しでも進もうと、みんなをいい方向に向かせようと、努力している人は、僕の同志で、同じ血潮を流した人間だ。人は、少しでも進歩しなきゃならないし、世界もまたそうあるべきと、信じていなければならない。

 僕は、そう信じている。

 その中で、他人を傷つけてはいけない。は、無理なことでも、当たり前に意識していなければならないことだ。それが、へりくだりに映るときもあるだろう。いいカッコしいに映るときもあるだろう。偽善と呼ばれ、調子いいと言われるかもしれない。けれど、意識して過ごしていなければ、そういつも気を使える人間にはなれない。

 常に、内省であり、回顧する、である。まめだね、でいい。小さな心臓でいい。他人を、傷つけることに鈍感になるよりはいい。そう言ったことに、敏感な人間に育ってほしい。だから、そう気を付けている人は、まさに、友だ。親友だ。戦友だ。

 この美しき星に生まれたことを、知っているに他ならない、であるだろう。

 世界には、友は幾らいるか? 

 みんな、ただの、自己中で終わるのか? 

 同じ方向を見ていれば、同じ面に、同じ景色を見られるはずだ。その景色が、少しでも、圧倒するものであるように、僕らは、働いていく。

 感動を得られるものであるとき、生きるを知る。生きるの、喜びを知る。一人きりでは、世界は何も面白くない。友がいるから、一歩一歩、地道でも、地味でも、歩んでいくことができるのだ。

 今日の一歩は、また友のため。

 明日の一歩も、また友のため。

 君は、前を向いているか? 世界で前を向いているか? 

 友よ、僕は、前しか向いていない。誇らしく笑ってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に渡さなければならない。それは、常に、今が考えること。

 と同時に、自分にとって楽である。

 背負うことは、苦痛だ。責任もある。重責。ちゃんと、しなきゃいけないし、投げやるわけにもいかない。

 だから、次代に渡すことは、楽になる。とは言え、繋いで、繋いでいくのが、世界、だ。次がなければ、何も面白くない。何も変わらない。何も進歩がない。

 それは、一番危惧すべき問題であるとともに、今の役割である。

 次が、また楽をできるほど、今は、困難を打破できたか? そうして、次に渡すことで、今度は、また、今の楽になる。結果、生きることは美しく、とても、楽しみなことだ。

 そうやって、次へ、次へ、繋いでいく。今を選ばれてあることは、それだけで、愛するに値することだ。

 次代は、何も、悔やむ必要はない。そのまんまの姿で、自分のやりたいように、世界を進めばいい。考える、になるときは、また、次に繋がなければ、と思ってからのことだ。誰にとっても、人生は、生まれた瞬間、得なのだ。生かされるとは、不運なことなのだから、逆に、存分に楽しめばいい。

 神の、思うままにはいかない。

 また、神も、そこに楽しみを見出すだろう。

 人の、思うままにもいかない、も当然だろうが。

 次代に、繋ぎたくて、枯葉に命をあげている。生命感ある言の葉にしている。

 次に繋ぐことだけを考えて生きる人生ほどの楽はない。また、理に反していることでもない。だから、笑顔で、毎日を乗り越えられる。越えた向こうには、楽しんでいられるばかりの人生だ。生まれた瞬間、どんなものでも、人の喜びは奪えない。そこで、他人を愛せば、なおのこと至福は、広がる。

 さァ、笑え。

 そして、次を笑う人を、想え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美しくなくてもいい。

 美しければいい。

 どちらだろう? 

 君の自由だ。君が決めればいいことだ。

 愛は、どっち? 

 サヨナラは寂しい。

 けれど、サヨナラには、意味があるらしい。

 出会えば、いつか別れる。

 永久とは、ずっと、離れないことじゃない。

 離れている中で、思慕を募り、絶対を覚えることだ。

 絶対、君じゃなきゃいけない。

 人喰う鬼は、執着でなるらしい。

 鬼は、人を食うから、首を落とされる。

 泣いて、この世に縋る人を、切れるか? 

 人を食うのだ、しかたがないだろ? 

 掲げた勇気は、愛なんてものじゃなくて、商品としての金になって返ってくる。

 物語も、資本主義じゃ、売れてなんぼの世界だ。

 世の中、注目を集めるのは、何億円売れた、ばかりだ。

 せめて、何を売るか? に気品を持ちたい。

 誇れる情熱を持ちたい。

 利になる、益になる、経験を与えたい。

 考える、はバカか? 

 思案するは、余計か? 

 軽く、考えるより感じろ、と言う。

 そして、商品にされる。

 思案しなきゃ、摂理としても、高等になれない。

 僕は、思考を売る者。

 さよなら、より、絶対に会いに来た者。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光の園へ行こう。

 光を全身に浴びて、闇の寂しさをぬぐおう。

 愛するとは? 

 その問いの向こうにある、と信じている。

 単純に、輝かしいは、夢を追いかけているから、夢を今果たしている、だと思う。

 光は、万人に等しく、降り注ぐだろうか? 

 なぜ、あれほど、強烈に、輝けるのか? 

 夢の実行者、だから? 

 そんな気はしない。

 夜の美しさがある。

 夜を覚え、夜に生きてきた僕には、それがよく分かる。

 黎明は、別に来なくてもよかった。

 けれど、みんな、そろそろ、光の国の話を聞きたがっている。

 誰もが、夢を果たしている今へ行きたがっている。

 神の翼持つ、光の王は、圧倒的、生きる尊さを、僕らに、教えるか? 

 そこは、きっと、君の隣りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何をするか? 問われる、人生とは、ないものをあるにすることだ。

 大きな風がぶつかる。世界を羽ばたけと、背後に吹き付ける。

 僕らは、何も決まっていない世界で、色んなことを見つけていく生命。

 大切なのは、夜を愛す心。

 どうせ、朝なんて簡単には来ないんだ。時代の黎明を見る日が、いったい、人生のいつに訪れよう。

 明日来る、かもしれない。けれど、永久に、来ないかもしれない。脅しにはならない。慣れない環境はないからだ。カミュも言っていた。

 ここへ来たことは、とりあえず、幸福だ。

 僕の人生があり、君の人生がある。学ぶことは幾らでもあるだろう。他人を傷つけないように、そうだね。大切なことだ。それでも、自分を傷つけるなんて、必要は、人間の世界ではない。

 少し、傲慢に、少し、勤勉に、少し、勇敢に。それは、優しさ、という名の、絶対使命。

 明日は、風に踊ろう。風を作れる人になろう。

 さァ、君も、空へ、飛び立つ番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに、カッコいいものを見た。あの山田が、自ら、キャプテンへの立候補だ。末っ子気質、自己中心的、マウンドにも足を運ばない。いろいろ言われていて、確かに、そんな雰囲気はあった。少なくとも、前任の青木みたいに、闘将タイプではない。青木も、メジャーへ行って、変わってきた、と言われているけれど。

 七年契約、生涯ヤクルトを誓っての、この変化、だ。応援せずにはいられない。どんな、姿勢に、どんな、タイプになって、ヤクルトを引っ張っていくのか? すごく興味がある。僕の選んだ、主人公球団。僕が好きになった理由の第一だった山田哲人。何冊も、本が書けるだろう。

 その始まりのページは、高校生からだろうが、右打者日本人最多安打を経て、トリプルスリーでMVPで優勝に貢献。それから、不振もあったが、復活して、歴代唯一の複数回トリプルスリー。これまでも、何冊もの本になった男が、また、新たなページを開いた。

 こんなに面白いものはない。生きる、とは、実に、荘厳可憐なことだ。人間の勇姿とは、実に、遠大不破なことだ。僕は、その一、証人になれることを、誇りに思う。

 正直、もう、捨て時かな? と思っていた、東京ヤクルトスワローズの、主人公球団冒険記が、ますます興味深い、壮大なものになって、アップロードされた。

 この話を、しばらく追い続けられることに、今は、幸運と、感謝を感じている。