Twitterに、#ブームに抗議します。と打って、幾つか、ツイートした。このSNSの使い方に、疑問を感じたからだ。今後、SNS経済は、主流になる。誰もが、SNSを使いこなせなければ、時代の波に乗っていけないだろう。と言うより、それだけの、力が秘められているツールだ。
結果は、予めの予想通り、無反応に近いものだった。いいねもなければ、拡散もされない。見てくれた人の数は、ブログと大して変わらないぐらい。全然、真意は、伝わっていない。
僕は、そこで、個人主義、と言うワードをあげている。これから、日本が、個の時代、個人主義の時代になるために、個人がメディアを持てる、SNS、ブログ、YouTubeなどは、必要なのだ、と。今後、日本には、この社会には、漱石が明治時代に行った、私の個人主義的な、時代が、来なければならない。日本人は、直ぐ大衆化しやすい民族だ。集団になり、個の持ちうる、能力を、他人のだけではなく、自分のさえ、押し潰してしまう民族だ。そこには、そんな大昔から、懸念される部分があった。そこからの脱却のために、SNSが、個人でメディアを持つと言うことが、極めて、奇跡的な、貴重なこと、だったのだ。
一つ、文明開化の、黒船が来た、と言ってもいいくらいの変化だ。
僕は、ブログを始めて、四か月、アメブロね、また、Twitterは、十数日だが、十分に、その持っている可能性は分かった。YouTubeや、Instagram、などもそうだろう。個人で撮影した映画を全国に流すことだって可能だ。写真家は、個展を開かなくても、ネット上に個展を開ける。音楽家だって、自分のバンド演奏を、YouTubeで、流すことができる。しかも、利潤もちゃんとある。無論、それは、本格的に、監督、専門家になるための、土台、だろうけれど、表現を、一般人が、その気になれば、いつでも、世界に向けて発信する場所ができた、と言うだけで、画期的すぎる変化だ。
これが、個人主義になり、個を満たす媒体になれば、自然、社会の、ストレス軽減へとつながる。より、豊かな、表現社会が、できてくるだろう。まさに、個人が、世界に対する、武器、利器を、手にした、と言えることだ。
#に抗議します。は、ノーイジィマイノリティー(うるさい少数派)が、騒ぎ立てているだけのように映る。もし、マジョリティーであるなら、その方がもっと、問題だ、と思うが、これは、まるで、テレビの文化が、移ってきたようで、個人主義を堕落させる、大衆化させる、最悪な結果を生みかねない、と僕には映った。だから、反応がないのが分かっていても、情報を発信したのだ。今、発言しておくことは、とても重要なことだと思ったから。
ブームであるなら、去るだろうから、とも書いたが、SNSの正しい使い方を、今後の社会において、どうあるべきか? も踏まえて、理解していってほしい。いや、これこそ、曲がることなく、成熟させていかなければならない文化、だ。
誹謗中傷も、酷いことだが、もっと、危険な要素ならあることを、微力なその力で、世界に、述べたい。正しい、を追っているもの、ゆえの、発言だと、理解してほしい。