敗北ばかり続く人のための、英雄的プロセスを経た、勝利の歌 | 革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

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山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

  勝利しなきゃならないものは、勝利しなきゃならない。それは、英雄が、必ず、勝利するのと同じことだ。英雄にも、上手くいかないことはある。勝ってばかり、とは限らない。かのナポレオンだって、全戦全勝を繰り返す中、最後は負けて、流刑地、セントヘレナ島で、没することになる。無敵艦隊も、簡単に敗北した。曹操も、信長も、敗走の歴史はある。

 産業革命を興したイギリスも、神話的経済成長を遂げた日本も、今では、過去の話だ。

 こう考えてくると、勝利したものが、英雄で、英雄は、それから、いつまでも英雄ではいられない、というのが、真実なのかもしれない。

 一方、敗北ばかり続くものはどうだ。家康、劉備、あまり思いつかないが、必要とされるものは、その地位についている。僕の人生なんてものも、敗北続きの歴史だ。今後、どうなるか? は分からないが、舐めた苦汁の数だけ、勝利が大きなものになって、近づいてくるのも、一つの真実だろう。

 大切なことは、諦めないこと。最後まで、自分でいること、のようだ。

 いや、違うな。本物の英雄は、先の方。最初から、ずっと、最後まで、全戦全勝なんだ。勝ち続けるのが、本物の英雄なのだ。今、敗北が続いている人には、何の慰めにもならない、結論だが、きっと、そうだ。

 負ける人間には、それだけの理由がある。負けに、不思議な負けなし、だ。それを、ずっと、改善できなかったら、ずっと、負けっぱなしなのは当たり前だ。逆に、かつ続けている人間が、最後の、最後に、少し、踏み外してしまって、敗北を迎える。それが、英雄らしい、在り方だ。

 漫画だって、ゲームだってそう。基本、勝利の連続の物語だ。そして、だんだん、敵のレベルが上がっていく。そういう話になっている。敗者の永年の歴史を買った、漫画はそうない。あるだろうか? 劉備だって、もう一人の英雄、孔明が出てきてからが面白い。

 卑怯なくらい、そうなっている。そして、最後に、何かを暗示するように、非業の死を遂げるのが、普通だ。そして、物語が続く限りは、それさえない。

 ただ、スポーツ漫画だけが、最後になるまでは、あと一歩のところで、負けるのが普通になっている。完全勝利するのは、最終章だ。これは、連載、という掟があるからかもしれないが、本当のところは、どちらが正しいのだろう? 

 勝ちもすれば、負けもするのが人生か? けれど、英雄に限って言うなら、やはり、無冠の帝王、というのは珍しく、勝利を必ず収めるものが、英雄視を受けるようだ。

 勝つ理由がある人間だから、勝ち続ける、これが普通なのかもしれない。

 負けっぱなしの人間に歌う、勝利の歌は、ない、と言うことか? 少し、世知辛すぎやしないか? と思う。けれど、民衆も、負け続ける人間を英雄視して見続ける、という事実も、実際ない。

 そいつは、勝ち続けるから、注目を集めるわけだ。甲子園の英雄だってそうだ。ロナウドも、メッシも、勝つから、英雄と言われる。エランドールを受賞できる。

 俳優にしたって、負けを見ているファンは少ない、だろう。スターではないからな。堕ちたスターでは、広告塔には、なりえない。

 どんなスターにも、挫折話はつきものだ、というのは、美談好きの、酔狂か? 

 少し、題意がそれてしまった。では、負けっぱなしの人間は、負け続けろで終われ、という何の救いもない話になる。どんな、英雄にも、苦労話は必ずある、という、慰めもそれほどではない。これは、英雄賛美の話ではなくて、頑張りさえすれば、誰でも勝利を得られる、という教訓ある話でなければならない。

 それでも、君は、必ず、勝利する、英雄だ、なんて、無責任なことは言えない。英雄とは、選ばれたもののことだ、で終わりそうだ。僕の知っている中では、ただ一人、太宰治だけが、負け続けた、天才、のような気がする。ないわけじゃないけれど、死んでから、英雄の仲間入りしても仕方がない。

 敗北を知ることが、涙を流すことが、勝利への条件だ、とは、なかなか言えないのが、現実の、不完全な部分だろう。

 

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