初めに申し上げますが、山本の思想は右でも左でもなく、自分では極めてニュートラルだと考えており、保守ではありますが守旧ではなく、革命は望みませんが悪いところは改める(改革する)というスタンスで日々活動しております。

 そのうえで、敗戦に思いをはせるこの時期に、毎々考えさせられるのが、昭和天皇の玉音放送の存在であり、とりわけよく耳にする「『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ』がもしなかったら」、または、「『負けてしまったのだから』 や 『降伏しましょう』 のような別の表現」 だったなら、日本はどうなっていたのだろう?・・と言う事に対してなのです。

惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
思えば、今後 日本の受けるべき苦難は尋常なことではないだろう。
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
国民の真の心も私はよく理解している。
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
しかし、私は時の巡り合せに逆らわず、耐えがたきを耐え、また忍びがたきを忍び、もって未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思う。



 半藤一利氏のノンフィクション 『日本のいちばん長い日』(昭和40年) でも描写されいましたが、敗戦直前の日本は一部の軍部に見られたようにポツダム宣言受諾に対して武力による阻止のため暴発寸前でした。一般国民の中にも 「これだけ(戦争を)やって、『負けました』はないだろう!」 という怒りに似た気持ちも有ったと思います。
 一歩間違えると、災害時に海外で見るような暴動や強奪が発生したり、内戦状態になっていても不思議では無い状況だったと想像できます。

 そこで、天皇陛下ご自身が 耐えがたきを耐え、また忍びがたきを忍び、もって未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思う。」 と国民にメッセージを出されたのですから、軍人も民間人も天皇陛下の御心を超えてまで暴発することはしなかったのだと思うのです。

 米国の記録映画 「Emperor」 2012 では、(近衛文麿だったか木戸 幸一だったかは失念しましたが) 天皇陛下に大東亜戦争 開戦の責任があるかは分からない。しかし、戦争を終わらせたのは、間違いなく天皇陛下だ。」 という主旨の台詞があった様に記憶しています。

 戦争終結の決断をした昭和天皇の判断と、国民が敗戦を受け入れ、戦後の復興に邁進する心のよりどころとなった玉音放送の上記の一文が無かったら、もしくは玉音放送自体が妨害されていたら・・・日本は今頃、共産主義勢力に蹂躙されていたかも知れない、旧ドイツの様に東西で二分されていたかも知れない等と思うと、当時の日本には奇跡的な事象が連続して起こっていたのだ・・・と率直に思わずにはいられないのです。

 敗戦後71年を経て、安寧な秩序を保つ日本国で生活できる我々は、これらの奇跡と、耐えて忍びながらも日本の反映を支えてきた先人の英知と労苦の果実を大切にし、未来につなげて行かなければならないと思うのです。

 ※上記はあくまでも、現時点での山本個人の考察・感想ですから今後、また異なる意見を表明することも有ると思います。
 また、歴史認識には様々な視点による考察もあるでしょうから、今回の山本の感想に反論されるご意見があったとしても、(検証作業の繁雑さを懸念し)あえて対応しないこともあります。 悪しからずご了承下さいませ。