自分で言うのもなんですが、精神的にも体調的にも経済的にも満身創痍に陥っているため、湯治にまいっております。


 湯治の場所は山本が20代のころから決まっていて、西郷隆盛 南洲翁もいらしていたという日当山温泉郷の中の一泉です。

 さて、ここまで来ると 「再稼働が始まった 川内原発 に取材に行ってみるか?」 とも思ったのですが、熟考の末 今回はやめました。
 理由は、「現有原発稼働に付いての是非」 について自分の中で結論を出せていないから・・・です。

 現状では新規の原発をつくるべきでは無いと考えていますし、放射能・放射性廃棄物の処理や管理・コントロール技術が十分で無い以上、「脱原発」 の考えであることは代わりません。
 
 問題は、前述した 「現有原発稼働に付いての是非」 なのです。
数千億円の建設費を投じ、さらに 再稼働のためにすでに数百億円から数千億円を投じている、または 投じようとしている原発が 17箇所(40機以上)あります。
 これらのほとんどは、現在休止しているわけですが、その為に国内の老朽化した火力発電所を動かし、電力を補っています。
※太陽光発電などの自然エネルギーはその発電安定性を担保するために火力発電でバックアップをし続けなくてはならず、技術的に「未完の発電」と言った理由から、いま、これらを推奨することは致しません。
 
 それによって生まれてくるジレンマ
・高額の建設、維持、新安全基準に係るコスト償却についての考え方
・高額な化石燃料を輸入するために、日本の富が海外に流出
・しかし、(川内原発などでは)安全性に対する配慮が不十分
・低コストな国産化石燃料開発は?
・低コスト、高効率火力発電所の建設は?
等々への議論と情報が決定的に自分の中で不足しているのです。

 薩摩川内市に取材に行けば、市民の生の声が聞けるのは間違えありません。(実際、昨年は新安全基準工事中の川内原発と周辺を取材させて頂きました。) しかし、それらの多くは 感情論 に終始する事も簡単に予想できます。 
 山本的には、現時点では感情論で 「現有原発稼働に付いての是非」 を判断したくはありませんし、それが正しいとも思えません。

 これが、現地取材を取りやめた理由です。

 どちらにしても、発電、エネルギー問題については、論理的な議論によって代換え案が提案されることを望んでいます。

 日当山の温泉につかりながら、「西郷隆盛 南洲翁が川内原発を見たらどう思うかな?」などと思いを馳せている今日この頃です。