誤解されるのを覚悟で申し上げますが、山本は「はだしのゲン」が嫌いです。・・・というか、戦争や原爆の悲惨さ、憎しみだけをことさら描写するこの手の作品を好きになれないのです。

 なぜか?

 それは、悲惨さや悲しみ、さらには自国の権力者や戦争相手国への憎しみ・恨みをことさら強調するだけの内容には未来が無いと感じるからであり、さらに言うと 戦争や原爆による被害を知らずに育った我々がそれらの悲惨さを学ぶ事は大切ですが、それだけではダメだと言っているのです。

 我々は、悲惨さだけでなく、その悲惨な状況が発生した原因や、「何故 その様な状況になったのか?」 また、「何をするべきだったのか?」 を学ばなければなりません。

 「はだしのゲン」を学校図書館に置くことの是非が争われたことは記憶に新しいですが、この点においてや、 特定のイデオロギーにとらわれている事から、資料としても学びの参考書としても失格・不十分だと考えていますし、ことさら恨みを表現する手法には「子どもに読ませたくない。」との判断が働くことも自然な感情です。

 日本国は戦後70年間、自国では戦争に参加してきませんでした。
 これは事実です。
 しかし、これからは、これまでの70年とは異なります。「憲法9条があるから」 といった理由で戦争に巻き込まれない保障などありません。

 では、どうするのか?・・先の大戦を引き起こし、敗戦に至る経緯を学び、どうすれば同じような状況にならなかったのかを学ぶべきなのです。

 「なぜ、日本は敗戦したのか?」
 「なぜ、敗戦が色濃くなった状況で原爆を落とされたのか?」
 「なぜ、ミッドウェー海戦で敗北したのか?」
 「なぜ、アメリカと戦わなければなら無くなったのか?」
 「なぜ、三国同盟を進めざるをえなくなったのか?」
 「なぜ、日英同盟を解消しなくてはならなかったのか?」
 「なぜ、日中戦争は泥沼化したのか?」
 「なぜ、支那事変がおきたのか?」
さらに、さかのぼって
 「なぜ、日ロ戦争はおきたのか?」
 等々。

 原爆による悲惨な状況を二度と繰り返してはいけない!強くこの様に思うからこそ、戦後70年目の原爆の日の今日、この様な事を申し上げました。




 また、同じ意味合いを持つと思うのでもう一言付け加えておきますが、
 平和記念式典で日本国の総理大臣に対して、「戦争法案を撤回しろ!」 等のヤジが飛ぶようでは、何ら物事の解決につながらないだけでなく、かえって未来に対して事態を悪化させているだけの愚かな行為でしかない。
 と申し上げなければならないとも思いました。