アメリカとキューバが国交を回復し、54年ぶりに大使館を再開するとのこと。

 キューバと言えば、社会主義国であり、米国によりテロ支援国家に指定されていたため、当然 反日国家ではなくとも、経済的な交流は、さほど盛んではありません。

 人口は日本の約1/10ですが、GDPは約1/60ですから、さほど裕福とは言えませんし、事実、キューバも経済制裁を解除させるべく、必死の交渉を継続中です。


 このまま順調にいけば、すべての経済制裁の解除も目前のようですが、はたしてそれはキューバ国民にとって幸せなのでしょうか?

 確かに社会主義体制の元、人権を著しく損なう政策により移民としてアメリカに脱出する人が絶えないことは知っていますし、良い事ではありません。
 しかし、キューバの国内映像などを見ると存在する資源を大切に使い、物が壊れても大切に修理を行い使い続けるライフスタイルを持っていて、陽気な国民性と相まって、さほど不幸には見えない・・と言ったら不謹慎かもしれません。

 しかし、山本はそれよりも、今後、種々の経済制裁が解除されグローバル化の大きな波に 、この(山本からみると)宝石のようなキューバの人達の持つ価値観や国民性がさらされると思うとなにやら複雑な思いが頭をよぎるのです。

 カストロ議長は社会主義を維持すると明言していますが、米国からの民主化推進のプレッシャーは相当でしょうし、このままグローバル化が進み、世界経済のうねりの中で国際競争に勝ち残り、国内の生産性を維持し、GDPを向上させることは至難の業の様に思います。

 よほどの天然資源や技術的なアドバンテージが無い限り、もし今後、経済連携協定などを米国などから押しつけられた場合は、瞬く間にギリシャのようになってしまうと想像するのは、経済的に成功した(様に見える)日本人のおごりなのでしょうか?
 いえ、かっては同じような「もったいない」という価値観を持っていた日本人とキューバの人達のライフスタイルがどこか重なって見えるからこそ、宇日本人が失った物の大きさを痛感しているのです。

 できるならば、今のキューバの人達の国民性や物の価値観を急激に変えず、国内産業を活性化させ、国民所得を増やすような緩やかな政策がないものかと考えてしまいます。

 それがないのであれば、今後、キューバという国がグローバル化、国際競争に勝ち残り、経済的にも自立して欲しいと心から願っています。