耕地にできる土地が少なかったギリシア人は深刻な穀物不足に悩まされましたが、雨が少ないので、果物はよく育ちました。
そこで彼らはブドウ酒(ワインに近いものです)オリーブなどを輸出し、代わりに穀物を輸入することで生計を成り立たせていました。
主に穀物を生産していたのは黒海北岸、シチリア島の2つ。
ギリシア人はこれらを結ぶ交易のライン上に数々の植民市を築いて行きました。
主な植民市は黒海入口のビザンティオン(現在のイスタンブル)・南イタリアのシラクサ・ネアポリス(ナポリ)・南フランスのマッサリア(マルセイユ)
それからもう1つ、フェニキア人の植民市として有名なのが、北アフリカのカルタゴ。
カルタゴは、古代ローマについての解説で再び触れます。
さて、いよいよポリスの形成なのですが、征服を免れた一部のアカイア人は、方言によって、アテネを建設したイオニア人とテーベを建設したアイオリス人に分かれました。
この他にドーリア人のポリスも存在し、これまたスパルタという強大なポリスでした。
さて、ポリスでは城山(アクロポリス)と呼ばれるものを中心に、集住(シノイキスモス)が行われていました。
重要事項はアゴラと呼ばれる広場で民会を開き、多数決で決められた。
成人"男子市民"が全員参加する直接民主制で、女性や子供、奴隷はそれに参加することはありませんでした。
しかし、ドーリア人のスパルタにはアクロポリスも城壁も存在しませんでした。
彼らは武闘派だったので、そんなものは必要なかったのでしょう。
さて、今回は短いですが、次回はアテネ、スパルタについて詳しく解説していきます。
あしからず