行ってまいりました!東京へ・・・
仕入れが目的で行って来たのですが
仕入れの前にお決まりの映画鑑賞
この度の2本もお決まりの夫セレクトによる
選りすぐり、および時間の都合によるものにゃ ビミョー
1作目はコレ!

あらすじをネットより拝借!

2013年6月、元CIAおよびNSA(アメリカ国家安全保障局)職員エドワード・スノーデン(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の内部告発により、アメリカ政府がひそかに作り上げた国際的な監視プログラムの存在が明らかになる。そこに至る9年の間、国を愛する平凡な若者はテロリストばかりか民間企業や個人、同盟国までも対象とされ、全世界のメールや携帯電話での通話が監視されている現実に危機感を募らせていた。

ただただ 恐ろしい!
ITに明るくない私にも 
そうかもそういうことあり得るよね!
と思える・・・はて?
そうじゃなくって~~~!これって
実話もいいところ 本当の話なんだと気付いて今さら驚愕アアア

スノーデンがスパイとして日本に送り込まれた時期が
あったことも驚きでした
アメリカの言うことを聞かなくなったら
日本の全コンピューターシステムをダウンさせることが
できるようになっていたなんて・・・
邦画の予告で「サバイバルファミリー」と言うのを見て
ハッとしました。これはただの空想話でなく現実的な危惧なのだと。

だから日本はアメリカの言いなりだったのか・・・なるほどねカピバラ
これからどうなるんだろう トランプ大統領になったらもっと大変になるのかな?
日本でも似たような 情報収集システムを構築されるのじゃなかろうか?
今、ほとんどの人がスマホを持つ時代になり
位置情報まで特定できるというのは・・・・
実は私はボロボロになったガラケーをだましだまし使っているけれど
スマホには変えないつもりですシークレットミッションキリッ(対策は これでいいのかな?)
スノーデンはFBやgoogleにも近づかないほうが賢明と
言ってるらしいけど・・・ 

何もかも棄てて自国の機密を告発したスノーデンってすごい!
こういう人がいるんだなと感動しました
並はずれた頭脳だけじゃなく
人間としてしてはならないことをちゃんと判断することができて
良心に従う勇気を持った人です
実行力も併せ持つところが並ではないのです

ロシアに亡命したところで アメリカから
パスポートを無効にされ ロシアに留まるしか
ないなんて・・・
どうなるのかな?スノーデン氏は・・・
どうなるのかな?世界は・・・・そして日本はやられた

映画の最後のほうで スノーデン本人が登場したらしいけど
気付きませんでした
それくらい役者さんの演技に違和感がなかったのですね
いろいろと自分の不得意分野でも考えさせられる
見応えのある映画でした考える人


2作目は現代社会の問題作「スノーデン」とは対照的に
江戸初期のキリシタン弾圧と信仰がテーマの邦画です


ネットより解説を引用しました!

遠藤周作の小説「沈黙」を、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマ。17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出す。『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどのアンドリュー・ガーフィールドをはじめ窪塚洋介や浅野忠信ら日米のキャストが共演。信仰を禁じられ、苦悩する人々の姿に胸が痛む。

この原作はその昔読んだことがあります本
その時は 遠藤周作ってこういう重い小説も書くんだ・・・
という程度の感想しかなく 拷問の惨さばかりに気を取られ
辟易してしまい 内容を理解できなかったように思います
そんなこともあり 実はあまり気が進まなかったことを告白します土下座
原作の拷問ではやっと人一人入れるくらいの狭い箱(?)みたいな
スペースに閉じ込めるというのが 映画では無かったことが
妙な引っ掛かりとして残っているくらいで
他に何も思い出せませんでした白猫 げんなり

宗教というのはとてもデリケートな問題です
人の心のよりどころとなり 人として正しい道に
導く役割を持つ大切なものだと思います
一方で
これまでの歴史の中で、また現在でも世界中の争いの火種に
なっているのもまた宗教です
テロも根源は宗教観の違いによるものです
この映画の中でも同じです
外国からやって来たキリスト教の伝道師が
「唯一神」としてのキリスト教を布教します
もちろんそれが「民の幸せの為」と信じているからこそで
それを自分たちの使命と固く信じているわけです
でも 元々仏教が先に根付いている日本にとっては
文化も違い本当の意味で理解されるのは難しかったのでしょう

個を重んじることと同時に個が責任を負う西洋と
個よりも集団の和を重んじ連帯責任というのか
責任の所在が個ではない文化の違いがあります
長崎奉行が宣教師に「日本人はキリスト教を本当に理解してはいない。
形を変えて拝んでいるだけだ。日本にはキリスト教は根付かない」と
説得するのになるほどと思いましたおしらす
信徒たちに崇拝する対象となる物質的なものを
せがまれて戸惑う神父の姿が印象に残ります
「死んで天国に行けば楽になれるのか」という
信徒の問いもあまりに単純で幼稚ではなかったでしょうか

現代では日本人も西洋文化の影響を受け
個人を重んじるように変容してきたとは思いますが
一方で集団の空気を重んじ、人の目を気にするなどの
慣習は根強く残っています(学校でのいじめ問題の原因でもあるのでは?)
だからと言って それが悪いというばかりでもなく
日本の風土や人々の気質には個よりも和を重んじることが
何より しっくり馴染んでいたからだと思えるのです
日本式が悪いとばかりも言えず
集団の中で多少窮屈な思いをしながらも
守ってもらい 一人前になれるよう
道筋も立ててもらい たいがいの人は
その中で安定して一生を終えられたのだと思います

でも時代は移り変わり 戦後は西洋の文化が
次々に押し寄せ 未消化なまま日本人は
それを受け入れてきたのです
 個人主義が都合よく解釈され
責任も伴わない個人主義 すなわち我儘、勝手気まま
に置き換えられた妙なものが取り入れられたため
いろいろとその問題点が浮き彫りにされているように思います

今、日本は過渡期にあると思えるのです
一人一人が お上に任せるとかではなく
どこへ向かわなければならないのか
自分は果たしてどんな行動を起こすべきなのか
を自問自答する時ではないでしょうか
日本独自の文化を再構築していく時なのだと思います

そのためにも 文学でも音楽でも芸術でも
自分の目で確かめ 心で感じ
真実を求め続ける事が大切だと思います
若者たちよ!スマホを捨て 本を読もう!
群れることをやめ 一人で考え行動せよ!と言いたいです。
もちろん頑張ってる若者たちもたくさんいると思うけど
選挙とかも行って欲しいです選挙1票

さて、話を宗教に戻すと 自分が固く信じているものを
否定され 新しいものをいきなり
「これが本物です」と言われて
簡単に改宗できるものではないということです

人知の及ばない力というのは確かにあると思います
それを神と呼ぶのなら神は存在するのだろうと思います
でもそれが○○教と決めつけることが疑問です
もしかしたら神は一つかもしれません
でもそれは一人一人の人間の心の中にあるのであって
地球上に様々な人種がある分
形を変え根付いているのではないでしょうか
でもきっと 形が違っても根底のエネルギーのようなものは
同じではないのかと最近では思っています

神の存在は
自然の中にも 例えば草花や小川のせせらぎや
太陽の光や夜空の星の数々の中にも
見つけることができるのだと思います
それを感じ取って表したのが芸術と呼べるものなのでしょう

もしかしたらそれは
世間一般の常識や価値観を超えたところに
あるのかもしれません
映画の中でも
拷問に遭っている信徒たちを
神父がいくら祈っても 救ってくれない神に
何故奇跡を起こしてくださらないのかと
失望するシーンが出て来ますが
やがて 自分が棄教し信徒を救うことが
神のみ心に適うことと気付き
自分が命がけで守りたかった信仰を棄てることを
決意し信徒を救います
それでも神は見放さないと確信したからです
神は自分といつも一緒にいてくれると安堵したのです
それが神の本質なのだと思いました

映画の中では雑念に近い感想もあり
例えば江戸時代にこれだけの英会話力を持つ
人々がいたんだという ジェラシーに近い驚きがーん
人の国に来て布教するつもりなら
しっかり日本語勉強して来いや~みたいな言いがかりとか
最後に神父が信徒を救うために
踏み絵を踏む瞬間 鶏が「コケコッコー」と鳴いたのは
キリストの弟子ペテロがキリストを裏切る事を予言した
時のキリストの言葉の中にそういうのがあったなぁ・・・とか
何度も踏み絵を踏んでは生き延びるキチジローが実は
一番自分に近いかもしれないとか
キチジロー(窪塚洋介)はあの時代の人にしては
足が長すぎとか・・・いろいろ思ったこともここに告白しておきます土下座


この度は時代も違えば 洋画と邦画で
全然違う映画を2本観たと思っていましたが
ハタと気付きました!
テーマはもしかしたら同じなんじゃないかと
人間として大事なことは何か?
そう問われたように思いました

この映画があまりに重かったからか
その後 体調を崩し
感染性胃腸炎になって寝込んでしまったことも
ここに告白しますダウン (それこそ言いがかりですねへへへへ