先週末


いくつかの用があり上京しました


この機会にと中学のクラスメートのお見舞いにも行きました


末期の肺癌で、全ての治療を止めて


緩和ケアをしているとのことで


正直なところどれだけ悲壮感の漂った状況なのかと


腰が引けてしまい やっぱり行くのはよそうかと


ずいぶん悩みましたが 訳あって今現在


身寄りもなくなり 見舞客も少ないとのこと


思い切って知らせてくれた級友に同行しました


ドキドキしながら病室に入ってびっくり


私のイメージではたくさんの管につながれ


酸素マスクをして昏睡状態にある姿でした・・・ところが


彼はベッドに半身を起こしてニコニコ笑いながら


コーヒー(しかもブラック)なんかを飲んでいました


一瞬、人違いじゃないかと思ったくらいです


抗ガン治療も放射線治療もせず、


痛みをコントロールするためのモルヒネと酸素を


入れているだけだということでした


肺の機能が衰えているせいか


かすれた小さな声しか出せないのですが


意識は清明で 自分から積極的に話してくれました


疲れさせはしないかと ハラハラしましたが、


ほとんど病人が話している時間が一番多く


気が付けば2時間も経っていました




途中、食事が運ばれてきましたが


あまり食欲はなさそうで


さかんに米粒が喉につっかえるとぼやいていました


しまいには冷蔵庫から缶ビールを出して


飲み始めたのには驚きました


あっけにとられている私に


「別に禁止されてはいないんだよ」とニヤリ


そして・・・「ああ、いい気分」とリラックスした様子です


おそらく状況が変わったわけではないはずなのに


もしかしたら 大した病気じゃなかったんじゃないかと


勘違いしてしまいそうになりました


手術も治療もできなくても 耐えがたい痛みだけコントロールできれば


こうして だましだまし癌と共存し


この先穏やかに語り合ったり笑ったり 


人間らしく過ごせるのではないかと


気持が軽くなりました



とはいえ 容体が急変する可能性は十分にあるとのこと


別れ際にテーブルに載っていた文庫本について尋ねると


宗教(曹洞宗)の本でした


自分の人生の総括をしているのかのように見えました


明るく穏やかにそして静かに・・・



でも考えてみたら特別病気ではなくても



不慮の事故や天災ということもあります



いつどこでどんな目に遭うかなんて誰にも分かりません



ましていつかは必ず誰にも死は訪れます



そういう意味ではみんな同じ条件です



普通人間は自分を守るために死を意識せずに



生きているのだと思いますが



死を意識せざるを得ない状況に迫られたときに



今度は生を意識し人生の意味を深く考えるのだと思います



ああ、私もちゃんと人生考えないといけないな~と


猛烈に反省した次第です


ちょっとシリアスなブログでした・・・