0から数える
今はほとんどそんなことなくなったけど、
数年前のオイラには、時々0から数えちゃうという癖があった。
というわけで、お菓子とか数えながら、
「一個足りない・・・・」
と首をひねることも多々(笑)

で、この本を読んでいたら、同じ人発見。
ポーランドの大数学者、ヴァツワフ・シェルピンスキーは・・・・・・荷物を一つなくしてしまったのではないかと心配していた。
「そんなことないわよ、あなた!」と妻は言った。「六つともここにあるじゃないの」。「そんなはずないよ」とシェルピンスキーは言った。「何度も数えたんだ。ゼロ、一、二、三、四、五」


ちなみにオイラは、イチからちゃんと数えても、途中を飛ばして一つ多く数えてしまうことも多々ありました。
「一、二、四、五・・・・ひとつ多い!!!Σ(・ω・;|||」
コレばっかりは大数学者に真似できまい。


三阿僧祇百大劫
なんの事だか忘れてしまったけれど、この「三阿僧祇百大劫」という言葉を何度も講義で繰り返す教授がいた。
多分、とても大事な数なんだろうけど、何の数だか覚えてないから意味ないよ<オイラ

「劫」というのは時間の単位。年とか月とか日というイメージっぽい。
で、ドンだけの長さかというと大きな岩を3年に一度天女が舞い降りて一回羽衣でなで、その岩が減りつくすぐらいの時間」とか言ってた。
で、「大劫」というのはその「劫」が何個か(何百個とか何千個という単位かもしれん)集まった単位。
つことは、「三阿僧祇百大劫」てのは「百大劫」が「三阿僧祇(3×10の56乗)」集まった時間ということなんだと思う。
世の中には「3以上はいっぱい」で事足りる人たちもいたのに、
なんでこんなすごい数をおもいついたんだ、インド人。


異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)/チャールズ・サイフェ

¥903
Amazon.co.jp

異端の数字として排除し見てみぬ振りをしてきた「アリストテレス教」を信奉するヨーロッパが、数字大国インドでパワーアップして帰ってきた「ゼロ」にどんな手痛いしっぺ返しを食ったかというお話。
数式とかキライなのでその辺は読み飛ばしましたが(本当はそのあたりが一番面白いキモなんだろうけどorz)それでも面白かった。

パスカルはこう書いている。「しかし、これまで誰も、こういう・・・・・・見方をする者を見つけることができなかった。自然は真空に対して嫌悪を抱いていない、真空を避けようとはしていない、真空を難なく抵抗なく受け入れるという見方を」。アリストテレスは打倒され、科学者は無を恐れるのをやめて、無を研究しはじめた。


人間の認識というのは、不思議なもので、外部のものを「ありのまま」には見ていないようです。
「ガリレオが出現するまで、物体の落下が放物線を描いていることを知らなかった。投げたものは直線で飛び直角に落下する・・・・実際に当時の人たちは物体が飛んでいるのを観察しても、そうにしか見えなかったらすい(野球できないね(´・ω・`)」
なんて話を聞くと、現代の人たちは嗤うかも知れないけど、もしかしたら今後も、見ているようで見えていなかった「何か」が今まで認識していた世界を一変するような事があるかも知れない。
現代の我々の世界認識も、何百年後には笑いのタネになっているかもねん。

でも、新しい発見による世界と、既存の世界との相克は往々にして惨劇をもたらす・・・というのが怖いところ。

不幸なジョルダーノ・ブルーノの身に起こったのは、まさにそれだった。1580年代に、もともとドミニコ会修道士だったブルーノは、『無限、宇宙および諸世界について』を出版し、そこで、ニコラウス・クザーヌスと同じく、地球は宇宙の中心ではなく、私たちの世界と同じような世界が無限にあると唱えた。そして1600年に火あぶりにされた。



0から数えるは、プログラマーならやっちゃう人いるよね?
いないか?