こんにちは♪セルフケアカウンセラーのSARAです。

 

現在、メディカルアロマセルフケア講座講師のお仕事をしながら、栄養学を学んでいます。

 

そもそもなぜ私がこのブログを立ち上げたかというと、1冊の本との出会いからでした。

 

「うつ・パニックは鉄不足が原因だった」という藤川徳美先生の本です。

 

まるで自分の事が書かれているかのような驚きと、その明確な理論と臨床結果には、読みながら体温が上昇しているかのような興奮を覚えました。

 

先生の臨床例でも最も多く見受けられた、第二子出産後の「産後鬱」から私のパニック人生はスタートしたのです。

 

それまでの私は、自分で言うのもなんですが、順風満帆な人生を歩んできました。

仲のいい両親と姉の4人家族で、何に対しても前向きに努力を惜しまず、正しい道を突っ走ってきました。(今になって振り返ると世間知らずで、責任感が強すぎる面も大いにあったと反省点は多くありますが。)

 

受験も当時難関だった学校に合格し、就職難といわれたピークでも航空大手はすべて合格しました。

もちろんその裏では相当な努力はしてきたのですが、努力は必ず報われると信じてこれたのは運にも恵まれてきたのだと思います。

 

沢山のいい友人にも恵まれ、学生時代からの彼と25歳で結婚。28歳で第一子、30歳で第二子を出産しました。

 

世間的には順風満帆に見える形でしたが、実は27歳で妊娠した子を、5週で稽留流産し、29歳では妊娠6か月で胎児が脳が育たない無能症という病気が判明し、死産を余儀なくされました。

 

ですので、私は27歳から30歳まで約4年間、ずっと妊娠出産を継続していて、無事に第二子を産み終えたとは、もう、身も心もボロボロだったのです。

 

特に、死産は本当につらい経験で、大きくなっているお腹の子が、まだ生きているのに、おなかの中では生きていられるのに、お別れのために陣痛を起こして出産しなければいけないとわかり、それを知ってから出産までの間、気持ちをどこに持っていったらいいのか、途方にくれました。

 

まだ固く締まっている子宮口を、無理やり器具を入れて開かれていく痛みは気を失いそうで、出産3日前からその処置が行われたのですが、その痛みへの恐怖と、まだ身ごもっている母親としての気持ちがズタズタにされていくようで、体はブルブル震えて、心は壊れていくのがわかりました。

 

隣の部屋では、出産した方のところに、ご家族が嬉しそうに駆けつけてきていましたが、私はただ、怖くて痛くて辛くて主人と泣いていました。出産した子は生まれてきたときは、力強くて、温かくて、はっきりとそのぬくもりを覚えていましたが、次に私の腕の中に来た時は、儚いほど軽くて冷たかった。

 

私は、現在43歳。

長女は高校生、次女も中学生になります。

藤川先生の本を読んで、「もっと早くこの本と出会いたかった。」正直そう感じました。

 

なぜなら、赤ちゃんを産むのに鉄とタンパク質がこんなに重要だなんて、誰も教えてくれなかったから。

産婦人科医ですら、貧血を注意してくれなかったから。

死産の後も葉酸をとりましょうねー。だけだったのです。

 

貧血は、女子ならまあみんなそうよね。

そんな風潮が日本にはあります。でも、貧血は万病のもとなんです。一番見逃してはいけないサインです。

 

私は、出産だけでなく、その後もずっとパニック障害で苦しむことになります。

でも、最近やっと辿り着いた、「栄養こそすべて」「食べ物こそすべて」という結論は、私の娘二人に伝える事が出来ます。

 

そして、娘二人が妊娠する前から、栄養の大切さを伝えられるし、私と同じ苦しみを体験させることは避けられる!

そう思ったら、今までの経験が無駄ではなかったと思えたのです。

 

そしてさらに、娘に伝えたいことは、他の若い女の子たちにも伝えたいし、同世代の私と同じ苦しみを味わっている方々にも伝えたい、伝えなければいけない、という気持ちが心の深いところから湧いてきたのです。

 

そんな、思いからこのブログを立ち上げました。

将来、娘たちがこれを読んで役に立つように、そしてまた、私自身の現在進行形の貧血治療の記録として、正直に綴っていきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。