「硫黄島からの手紙」など最も地獄に近い島だった第二次世界大戦の激戦地帯の一つ「硫黄島」の物語です。作者は津本陽氏。「薩摩夜叉雛」や「雑賀六字の城」など、スッキリした文体とエンターティメント性のあるストーリー展開で、お気に入りの作家さんの一人です。


 結論から申し上げますと、これは小説とか英雄譚ではありません。スタイルとしては、ルポルタージュに最も近いのではないでしょうか。膨大な資料から、一冊の本に纏め上げた津本先生には、惜しみない拍手をお送りしたいと思いますが、読み進めながらこれほど落ち込んだのは久しぶりです。


 まず、日米将兵の死傷者が半端な数ではありません。日本軍将兵の戦死者2万人。米軍戦死者が7千人。戦傷者は双方合わせて2万2千人。小さな市の全人口が死にあるいは負傷している・・・と考えれば吐き気を催すほどの規模です。津本先生の取材の中で、ノルマンディ上陸作戦に従軍した軍医さんの話が挿入されていますが、映画「プライベートライアン」で再現されていた悲惨な戦場でも、病院船に収容された負傷者のうち、手術を要する大怪我をした兵士は5%。硫黄島では、負傷者の90%が、手術を要する大怪我だったそうです。いかに激戦だったかを窺い知ることが出来る挿話です。


 この本、前半1/3が島の防備に従事する日本兵の姿の記録です。これが、目を覆いたくなるほど悲惨な環境です。今なお、硫黄ガスの噴出するこの島ですが、当然この時代も島全体が活火山のような状態で、まず飲料水の確保が出来ません。天水に頼るしかないのですが、4万人近く集められた将兵全員に行き渡るわけもなく、海水と硫黄と重金属の混じった通称「毒水」で渇きを癒すほかない状態。

この水で米を炊くと、化学反応で毒々しい紫色の飯が出来、それを無理やり口に詰め込んで、地熱と太陽にあぶられる作業場へと出てゆく将兵たち・・・。

 当然、中毒や下痢で体は衰弱し、『やせ細り、太ももは棒の様になり、下腹は膨らんで、目ばかりがギョロリと大きい』という姿になってしまいます。見たことありませんか?そう、『餓鬼』の姿です。


 バタバタと人が病に倒れてゆくなか、彼我の火力差3200倍という、スパルタのレオニダス王もびっくりの信じがたい戦力差で火蓋が切って落とされます。

 当時の米軍の戦術だった艦砲射撃+空爆による徹底的な破壊の後、海兵隊の上陸を行います。

地熱と火山ガスに息を詰まらせながら、ひたすらトーチカに篭り、発狂せんばかりの爆撃・砲撃の轟音と恐怖に耐える日本軍将兵の悲惨さに、しばし本を読む手を休めてしまった程です。


 映画「父親たちの星条旗」などで有名になった、星条旗を立てる米兵のシーンは、擂鉢山と名づけられた丘陵地帯での出来事です。

 各戦線ごとに、どのように全滅していったかを、津本先生は淡々と筆を進めていきます。後半に入ると、戦闘は掃討戦の様相をなし、火炎放射器による洞窟陣地の焼き払いなどが行われます。日本兵による白兵戦を、彼らは恐れていた様子。沖縄の白百合隊の悲劇も、これに起因するものだったのでしょう。

ブルドーザーなどの重機を使って、生き埋めにする・・・といった乱暴な事も行われたようです。

酸素欠乏を防ぐため、徹夜で空気穴を掘り、昼間米兵がそれを見つけて火炎放射器で焼き払った後に埋める。また工兵が掘る・・・といった生き地獄の様子も、ここには描かれています。

「もうやめてくれ!」と、心の中で悲鳴を上げながら、読了したときには、ぐったりと疲れてしまいました。


 戦後、航空自衛隊の基地があったそうですが、その将校さんの言葉です。

「ここは、島全体が墓場なのです。」

未だに、未帰還のまま島のどこかに眠る遺骨が1万2千とか・・・。


 私は、戦争を知りません。戦争中、子供だった父母も、空襲は経験しましたが、本当の戦争を知りません。

でも、ニュースでは、どこかの戦争が報道されていて、それを見ています。

つい先日の正月のニュースでも、ガザ地区がまた戦火につつまれたと報じていました。

戦争は、究極の暴力であり、醜いものです。我々日本人は(私も含めて)これほど悲惨な暴力を経験していながら、どこか他人事のように考えているのではないでしょうか。

この本で、津本先生が、あえてドラマ性を封じ、淡々とこの本を書き進めたのは、

「日本だってこういうことがあったのだぜ。わすれちゃいかんよ。」

というメッセージなのではないかと思いました。