今日は、朝からばたばた。家を行ったり来たり、家に帰って靴を置いたり。
急いで置いてきて、佐野さんにお会いする。
学んだこと。興味のないことに、瞳孔は開かない。
動じてしまったらそれは伝わる。
はっきり勉強して望まなきゃいけない。
今日よかった事、自分の姿勢を一切変えずに偽らなかったこと。
これで蹴られてもいいと、自分自身で勝負する度胸がついた事。
不安になった。先行きなんか、不安になった。
けど、挑むしかない。自分が成し遂げたいことは、低い山じゃない。
そのあと。
呼吸をためて、のどでかえす、押し出す感覚が分かってきた
筋肉で返す
顔の位置、きをつけなければならない
あごのひだりしたみぎしたにちからはいれつづけなければいけない
そこを固定したままであまりちからいれすぎないよう いとうのだんをきをつける
苦手などからみをいとうでやるとよいね
一日一件。
今日は筋トレ怠らず。
けど、通ればよいな
素敵な場所だったからな
佐野さん素敵でチャーミングな方でした。
包容力があるというか、惚れかけますね。
かっこよくみえるんですよ。
隣にいさせてください

the birthday / rollers romanctics
久しぶりに。
初めて聞いたときに、彼らの本気を見た、と思った。
さかのぼること、ミッシェルガンエレファント。僕にとって直球で好きではなかったバンド。
ずっとBlankey Jet Cityが好きだった自分にはなんつうか、凄い気負いみたいなのが好きになれなかった。
Blankeyは自然体のバンドだったから、個人的には対照的。
Blankeyは誰も知らないような店で、ウイスキー飲みながら時にふっと笑うような会話を音に繰り広げるようなバンド。
ミッシェルは、何処にいたって、今日はパーティだって騒ぎ立てるバンド。
変にませてる自分には合わなかった。
ということで、戻ってThe birthday。
本気の泥臭い叫びだって思ったんですよ。
もう、何でもいいや俺なんかこの先何があったって変わんねーからさらけだしてやれみたいな。
終始ミドルテンポのロックンロール。過度に走ることなく、バラードっぽい曲も独特の覚悟伝わる肝の据わったリズムにどっちともいえない、それをバンドとしてのグルーブって判断していいんだよね。うん。
全て聞き終えた後、残るのは、愛する物だけ。不純物はディストーションに抹消。
一曲のシャチ。
この曲のイントロのリフ。何年か僕の中でのリフ大賞でした。
ボトムがシンプルに上から下に流れる。
上の音はかすれてる。ウイスキーに3日浸り続けた喉が起きたばかりに出した声。
きっとどんなギターで同じ音表現しても、この年輪は出せない。
このバンドは、続けることの美しさを教えてくれる。
灰になっても、埋もれそうになっても、大事なものはある。
別に他人に共有なんかしようとしない。自分たちで探して歩いてく。
誰も歩んだことのない道を照らし始める。
そして、今現在も進み続けている稀有な存在。
最近引っ越しを考えていて、そろそろもうちょっとあげてもよろしいかな、と。
いま、ここに引っ越したり理由である親友も離れたところにいるしねぇ。
隣町の彼女とも離れたしねぇ。
知り合いの傍に行きたいですね。
ま、物件にはめどたっているんですけども。予算上がるだけで選べる幅が増えて楽しい。
ま、相も変わらず。
なんか、年相応に考えも変わってくるんでしょうね。
本を読んでいて、耳の老化は25歳から始まっていると。ショックでしたね。老化のかべにさしかかっているわけで。
みみはだいじ。
音楽をとらえる脳は国によって違うようだ。
歌詞がどうこううるさい国ははっきりいって日本だけだ。
私はそんなに気にならない。音の響きとしてチョイスおかしかったら気になるくらいで
言葉を左脳でとらえてしまうのは日本人だけらしい。
ゆえに、言葉と音を分離して考えらえない。から、歌詞がどうこうていう発想が生まれるんだとか。
景色に四季聴を連想してしまうっていう、いいとこでもあり、こだわりすぎると本来の目的から逸脱してしまうというまた日本らしい例。
右脳は直観だという人はいるけど、直観とは違うと思う。
感覚というものは経験で養われるもので、直観も同じもの。
直観はあくまで左脳で判断する物。感覚も、経験則、事例、などから連想する物。
右脳自慢するひとは、それが多少回転早いくらいなんじゃないかな。
感覚型。難しいですけども、バランスではありますよね。
どっちに偏ってもしょうがない。
言葉も大事、音も大事、だが、どっちかにとらわれるとそもそもの目的がわからなくなる。
話をもどそう。
四季聴は色聴とかけている。
そう、言葉を何かに形容したくなる、連想してしまうのが日本人、らしい
何かを発するとき、相手の気持ちを考えてしまうから言いたいこと全部は言わないって経験だれでもあるとおもうけれど、
外人は違う。全部言いたいこと言う。でも、日本人は言葉に感情連想するから言えない。
わたしは、実に日本人の感覚を持っていると思った最近です。
でも、音楽に触れることで全部取っ払ってしまうこともある気もする。
この普通の感覚と、普通を解き放つ感覚のバランスを自分で分かっていることが大事なんだよね。
いま、ここに引っ越したり理由である親友も離れたところにいるしねぇ。
隣町の彼女とも離れたしねぇ。
知り合いの傍に行きたいですね。
ま、物件にはめどたっているんですけども。予算上がるだけで選べる幅が増えて楽しい。
ま、相も変わらず。
なんか、年相応に考えも変わってくるんでしょうね。
本を読んでいて、耳の老化は25歳から始まっていると。ショックでしたね。老化のかべにさしかかっているわけで。
みみはだいじ。
音楽をとらえる脳は国によって違うようだ。
歌詞がどうこううるさい国ははっきりいって日本だけだ。
私はそんなに気にならない。音の響きとしてチョイスおかしかったら気になるくらいで
言葉を左脳でとらえてしまうのは日本人だけらしい。
ゆえに、言葉と音を分離して考えらえない。から、歌詞がどうこうていう発想が生まれるんだとか。
景色に四季聴を連想してしまうっていう、いいとこでもあり、こだわりすぎると本来の目的から逸脱してしまうというまた日本らしい例。
右脳は直観だという人はいるけど、直観とは違うと思う。
感覚というものは経験で養われるもので、直観も同じもの。
直観はあくまで左脳で判断する物。感覚も、経験則、事例、などから連想する物。
右脳自慢するひとは、それが多少回転早いくらいなんじゃないかな。
感覚型。難しいですけども、バランスではありますよね。
どっちに偏ってもしょうがない。
言葉も大事、音も大事、だが、どっちかにとらわれるとそもそもの目的がわからなくなる。
話をもどそう。
四季聴は色聴とかけている。
そう、言葉を何かに形容したくなる、連想してしまうのが日本人、らしい
何かを発するとき、相手の気持ちを考えてしまうから言いたいこと全部は言わないって経験だれでもあるとおもうけれど、
外人は違う。全部言いたいこと言う。でも、日本人は言葉に感情連想するから言えない。
わたしは、実に日本人の感覚を持っていると思った最近です。
でも、音楽に触れることで全部取っ払ってしまうこともある気もする。
この普通の感覚と、普通を解き放つ感覚のバランスを自分で分かっていることが大事なんだよね。
