みなさまおひさしぶりです。こりえです。
ずいぶんとひさしぶりのブログとなってしまいましたが、頭の端に覚えていてくださった方、また読みにきてくださりとても感謝です。






事故から2年半と少しが経ちました。






今日6月18日は母の誕生日です。







生きていたら今年で52歳になっているはずのお誕生日。




50代の母を知らないので、もし生きていたらどんな感じだろうかと思いましたが、50代だからどうこうというよりは、この数年は大きくは私の方に変化があり、もし母が生きていたらきっと私との関係性の方に大きく変化があったのかもしれないと想像します。





なんとこりえ、昨年2023年の夏に結婚いたしました…!






私も私が結婚したことに、1年経ついまだに驚いていますが、母も相当驚いていることでしょう。

 

 


お相手は、東京で私が集っている教会での1つ年上の友人です。
母と彼は会ったことはないですが、実は彼と私は高校生の頃からの友人であり、もともとお互いに惹かれていたこともあって、私は何度か母との話題に彼の名前を出したことがありました。(母がそれを覚えていたかはわかりませんが…)




私たちはあまり長い交際期間を経ずに結婚しましたが、具体的に心の中で言葉にしたこともそれを相手に伝えたこともなかったのに、なぜかお互いに知らない間に長い年数惹かれあっていた私たちにとって、結婚することはとても自然なことでした。






聖書に結婚について書かれたみことばをひとつ紹介します。

……
妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
(エペソ人への手紙 5章22~24節)
……




結婚式といえば、今はクリスチャンの方でなくともキリスト教式での挙式を行う方がほとんどではないかなと思います。
その際に牧師さんがよく読まれる聖書箇所として聞いたことがある方がいるかもしれません。



妻に対して神様から命じられていることが「夫に従え」というのは、窮屈で一見、愛とはかけ離れたものではないかと思います。


しかし私は母から一度も父の悪口や不平不満を聞いたことがなく、これは私の結婚観の根幹を大きく育てたものでした。



仕事で忙しい父は家に不在のことが多く、叱られる時は必ず母からで、私にとっては母が1番怖い存在でしたが、そんな母はいつだって父に従い、家族の最終決定権は必ず父にあり、それは“本当に恐るべき存在は母ではなく父である”と思わせるものでした。




先程の聖書箇所は以下のように続きます。


……
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
(エペソ人への手紙 5章25節)
……



「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように」というのは、キリストが人間の罪のために十字架にかかって死んだのと同じように、死をもってして妻を守り抜けというとてつもない命令であり、これは妻が夫に従うことよりもはるかに重く難しいものです。




父と母はとても仲の良い夫婦でした。
そういえば小学校に上がった頃、周りの友だちから聞く両親の様子を聞くと、どうやらうちは普通ではないほど両親の仲がいいらしいということに気がつき、昨今離婚の多い世の中であまり友だちにこの類の話はしない方がいいかもしれないと子どもながらに思ったりしたものです。





実は父と母は結婚時はまだクリスチャンではなく、両親がパプデスマ(洗礼)を受けたのは私が小学校にあがってからしばらく経った頃でした。そのため、両親のこの関係性は聖書から影響を受けたというよりは、元々から自然とその形を持っていたものでもあり、それが聖書の価値観とも一致し、これこそが神様が人間に与えられた結婚のあるべき形であり、事実それを幼少期より目の当たりしてきた私にとってそれが、「結婚」というものの当たり前の形でした。








人生の大きな節目でもあり、大きな家族行事でもある結婚を通して、改めてたくさんのことを考えました。









戸籍謄本を取り寄せた時、【母】の欄に見慣れない「死亡」の2文字が印字されているのを見て、改めて現実を目の当たりにし、なんとも言えない気持ちになりました。





あたりまえにいるはずの新婦の母はどこにもいませんでした。

母が行う娘への最後の身支度とされるベールダウンはもちろんありませんから、ひとりでベールを整えました。





2年半経った今はもちろん、そしてこれからも頭に母がよぎらない日はきっとないでしょう。
むしろようやく考えることができるようになったといっても過言ではないくらい、これについて考えることは今もなお私の内にあるエネルギーを大幅に消費してしまうもので、どうしても心を守るべくそれを考えすぎないようにしてきた3年でした。






私の日常が猛スピードで過ぎようが、周りの人がどんどん忘れようが、私の中には今も何か時間が止まったような部分があります。

それでも今私は大切な夫と2人でとても幸せで穏やかな気持ちで毎日を過ごすことができています。
悲しみに心を支配されるのではなく、日々の小さな喜びに感謝する気持ちを教えてくれたのは夫でした。












今日6月18日は、母の誕生日
そして、夫の誕生日です。










母と夫が同じ誕生日であるということは本当に偶然で、それを知っててお付き合いを始めたわけではなかったので、それを知った当初は大変驚きました。そして、神様の計画とはとても崇高なものだと思わされました。





夫とは、母と入れ替わるようなタイミングで交際をはじめました。夫は結婚する時に、私の母と夫自身の誕生日が同じであること(実はそれだけではなく血液型や干支まで同じなのです)から、自分の使命は母の分も一生かけて私を愛することであると思うと伝えてくれました。










私は母が私に対してどういう気持ちや思いを持っているかがわからないまま大人になってしまい、そしてそれを聞く間もなく母は帰らぬ人となりました。



母のお友だちの方々もたくさん見ていると思うのであまり多くは語りませんが、私は母に対してどちらかといえば日々、ネガティブな思いを抱いて大人になりました。

「突然亡くした大好きなお母さんとの思い出」を涙ながらに語れるような理想的な娘でありたかったと頭では思いながら、心には母に対して持つ複雑な気持ちと長年思っていた様々なことを消化しきれない思いを抱えるために、ただ悲しむということすら上手くできず、我ながらなんてめんどくさい娘なんだろうと思います。(感情表現が苦手だからというのもあるかもしれません。)

母の私への態度から感じるそれは、家族で唯一同じ性別である娘だからかもしれませんし、そもそも顔が似ているからとか性格の部分とか、そんな、今更考えたってどうしようもないことをずっと考えてきました。今もなお考え続けていますし、きっとこれからも考えるでしょう。

でもそれは私はずっと母にただ愛されたかったゆえなんだと、俯瞰して過去の自分を理解し、なぐさめるとともに、以前よりは少しわかるようになった「愛」というものを考えるとき、決して母が私を愛していなかったわけではないということもわかるようになりました。

(母はあまり人に悩み事を話したり愚痴を言うタイプではなかったと思いますが、もし私について聞いていたことや「今だから言える話」があればいつでもお待ちしております笑)




さて、急にブログを復活したかと思えば長々と書いてしまいました。

今日は夫婦でおやすみをもらったので2人でおでかけして夫のお誕生日をお祝いする予定です。

次もこういったタイミング(おそらく命日か来年の誕生日)に近況報告がてらに現れようかと思います(?)





2024.6.18 こりえ