さて、マーサさんによるヒーリング体験の続きです。

今回のヒーリングの目的は・・・

・まずは手術後のグラウンディング
(麻酔をかけるため、そして不安や恐怖のため、意識が身体から少し離れてしまう
=ズレてしまうような感覚になったり、ものをつかもうとした時によく落としたり
つまづいたり転んだりが多くなる。または日常でも空想癖が濃くでてきては仕事へ
の集中力が欠けてしまったり。人によっては座っている際にも足が軽く地から浮いて
いるように、どっしりと足の裏を地面につけていないような感覚に陥ったりも。
そのような"Out of body"的な感覚を矯正し、意識を肉体にしっかりと戻すことを
「グラウンディングする・させる」と言います)

・そして tie cutting
タイ・カッティングというのはいわば「縁切り」なのですが、ちょっと日本語の
「縁切り」とはニュアンスが違うかもしれません。
もちろん、物理的な縁切り=距離的にも遠のく  を指すこともありますが
相手もしくは自分の精神的な依存や執着心を解き放つことも含まれます。
私の場合は職業柄、お客様に必要以上に依存されるケースが非常に多いので
依存=いわば「念」から自分を守ると同時に、お客様側の「依存せずにはいられない」という「自分自身に対する信頼を失った状態」を癒すためのタイ・カッティングを
重視しています。
ですので、半年から8ヶ月に1度マーサさんのところにうかがう時は
これをお願いしていますが、もちろんその必要がない時もあります。
また、日常における人間関係の問題(たとえば、ご近所や親戚縁者、同僚、上司
などに嫉妬されたり、理不尽に扱われたり、嫌がらせをされたり・・・などなど。
そんな問題もこの tie cutting の対象に含まれます。パワハラやストーカー行為
一切含めての負の人間関係を正すことと考えてよいでしょう。
「相手の自分への関心を少しでもリリース(解放)する」ことは
「相手にとっても依存や執着、卑屈な思いや憎悪、恐れからの解放」を
意味することになります。
それがTie=縛っているもの を切ることを意味するのです。
よって、このセラピーにより、相手と絶縁などするまでもなく、よりよい関係が
築けるケースもあります。

・それからマーサさんの得意分野である「浄霊」
これも他人の死霊なり、生霊なり、エネルギー(念)なり、または
「過去生の自分自身の霊」なり(時空を超えて存在する=影響を及ぼす場合は
あるそうです)土地の霊、精霊、その他もろもろの負の影響を与えている霊的な存在
やその波動を浄化・成仏させてもらうことですが、常に必要なわけではありません。
その必要がある時だけこちらが黙っていても時間内1時間~2時間でマーサさんが
やってくれます。

ヒーリングはこちらがベッドに横になり、マーサさんサイドは呼吸を調整したり
イメージを抱いたりするような多少の指示は出しますが、基本的にはほとんど
会話はありません。
ヒーリングが済んだあとにマーサさんの受けた感覚やどのような施術をほどこしたか
(身体に触れる時も触れない時もあります)何か憑いていたかどうか
チャクラを活性化した場合にはそのようなこと、それ意外の問題点を解消したので
あればその内容についての説明が約10分ほどあります。
その間に私たち施術を受ける側が受けている間の感想を話したり、質問をしたり
今後の注意点を訊いたりすることができます。

ですので、英国で言うところのヒーレングとは霊能者からアドバイスを聞くことや
カウンセリング、または悩み相談のたぐいとはまったく異なります。

人によっては途中で寝てしまったり、感情的なゆらぎを感じたり、ヴィジョンを
視たりするかもしれません。
その人により感じ方は違いますし、まったく何も感じないという人もいるでしょう。
ただ、私の今までの体験+私がマーサさんのお客様と接する機会があった折に
彼らから聞いた話の共通点は「施術が終わって椅子に座った時に足が重く
しっかりと地面に足の裏がついているような感じがした。地球=地面に引っ張られて
いるような感覚で、感情的にも安堵感や自信を感じた」というものでした。
ようするにグラウンディングを自覚できた、ということなのでしょうね。

霊的なことにまったく無関心・・・どころか否定派のうちの夫でさえ
「彼女はホンモノだ!すごくリラックスできて、まるっきり生き返ったようだった」
と話していました。
コンピュータ・エンジニアというものは意外に地に足がついていないものなの
でしょうか。
現実とは少し離れた画面の世界を見続け、言語を構築するという
思考の海の中に身を置いているせいかもしれませんね。
集中力はあるものの、それとはまた別の部分でグラウンディングできていないのかも
しれません。
たとえば、私たちも仕事をしながら軽食で済ませたりすると「今ここにいる」という
感覚がどこかにいってしまい、味覚や食感など物質的なものをきちんと体験すること
ができなくなってしまいます。
それと同じようなことなのだと思います。

それでは、この続きはまた次のブログ記事にでも。
次回はいよいよ私自身の今回の体験談です。

なるべく早く書くよう、努力いたしますので、続読くださいね♡