第4話


恋は不思議である。

この世には男と女しかいない。


出逢いのチャンスはいくらでもあるのに、恋に発展することは、、、

恋の始まりは、訪れた偶然に手をさしのべる勇気を持てば良いだけなのだ。



その後、しばらく夏子と慎一が逢う機会はなかった。

数日間はお互いのことをなんとなく気にはしていたのだが、名前も知らない、2度のランチで挨拶程度の会話をしただけで、よもや3度目の偶然が訪れようとは考えにおよびもしなかった。


お互いのそんな想いがいつしか心の片隅に追いやられていたある日、三度目の偶然は突然に、そして必然的に二人にやってきた。



夏子
は銀座がとても好きだ。
新宿、池袋、渋谷などと違った様相を銀座は見せる。それは碁盤の目のように張り巡らされた整然とした通りであったり、また銀座の街並みを歩く人々の大人の雰囲気のせいなのかもしれない。


しかし、そんな銀座もバブルがはじけ、ここ十数年でだいぶ様変わりをしていた。


郊外のベッドタウンにしかなかったコンビニエンスストアが出店されはじめ、コーヒーは喫茶店で飲むものという常識をくつがえすように廉価なカフェがあちらこちらに出現し、いわゆる純喫茶といわれる昔ながらの喫茶店は数えるほどになっていった。


また、バブルの頃から四丁目交差点付近をモデルクラブのスカウトマンがうろうろしていた。

これはという女性に近づいてはプロダクションの名刺を配りまくるのである。

夏子も中学生の時に銀座に来る度に、何十枚もの名刺を手にした女性のひとりであった。


身長165cmとスタイルも良く、また吸い込まれるような黒い瞳が人々を魅了し、ひときわ目立っていたからだ。


だが、夏子には美人特有のツンとしたところもなく、

夏子の天性の笑顔は、
誰をもを惹き付ける不思議な魅力を兼ね備えていた。


そのスカウトマンたちの姿も今は高額な化粧品を売り込むキャッチセールスに取って変わり、道行く女性に狙いを定めている。
夏子も声をかけられたが、無視して通り過ぎるのが常だった。


ちょっとでも立ち止まる隙を見せたなら、長~い口説き文句を聞かなければならないことを
十分承知していたからだ。


まずは
1. 視線を合わせないこと。
2. 立ち止まらないこと。
このふたつが大事であった。
しかし、敵もさるもの、
『あの~、有楽町方面はどこでしたっけ?』などと、とぼけて聞き、素直に応えるやいなや、『お肌がキレイですね。どちらの化粧品をお使いですか?』とセールスに持ち込まれ、無視することが出来ずにビルの中に案内されてしまう老若女性の多いこと多いこと!(≧∇≦)


夏子はそんな場面を何度も目の当たりにし、気の毒に思っていた。


 慎一がデスクで仕事をしていると、株式会社ディスパッチの社長である加藤氏から電話が入った。ディスパッチは銀座中央通りに面したビルの5階にオフィスを構える中堅どころの派遣会社だ。


『久しぶりにランチでもどうだ?』とのお誘いだった。


食事前に洋服が仕上がってきたのでその洋服屋で待ち合わせることになった。その店は慎一の会社からもほど近い英國屋一丁目レンガ通り店であった。

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このレンガ通り店は今年の3月末にオープンした老舗のオーダー紳士服店である。それまで銀座6丁目の並木通りに店を構えていたが耐震対策のためにビルの建て替えが始まることとなり、この銀座一丁目に移転してきたのである。場所は銀座中央通りの一丁目のみずほ銀行を有楽町方面に曲がり、広島物産館を過ぎてすぐの角地のビル。1Fと7Fの2フロアの店舗であった。


レンガ通りと柳通りが交差した英國屋レンガ通り店は、採光がよく計算された明るい店構えで、老舗にありがちな敷居の高さを感じさせない店であった。


自動ドアが開くとディスプレイを替えていたのであろう背の高い20代の若い営業マン(店員とは呼ばないらしい)が「いらっしゃいませ」と爽やかな笑顔をみせる。入り口では流行の細身のデザインスーツを着たマネキン。右側には赤やオレンジなど明るいバッグが飾られ、またその奥には高級そうな服地が一列に掛けられていた。


加藤社長の姿を捜していると、奥のカウンターから紺地に白いストライプのスーツを颯爽と着こなした中年の男性が近づいてくる。深々とお辞儀をしながら、『榊様ですね!お待ちしておりました。先ほど、加藤社長様からお電話が入り、10分ほど遅れるとのことです。榊様と待ち合わせしているのでご案内してくださいとのことでした。私、加藤社長様の担当を仰せつかってます飯塚と申します』と丁寧な挨拶をされ、名刺を差し出された。横版の名刺の肩書きにはフロアマネージャーと記されている。榊も恐縮しながら、自分の名刺を渡した。


加藤社長が到着するまで飯塚氏から店内を案内される。この店は1Fに16万~26万までのフルオーダー、またそれよりお手軽な値段で作れるパターンオーダーも取り扱っているとのこと。先ほど入り口右側に飾られていた明るめのバッグはイギリスのバッグメーカーであるザッチェル社の品で、日本ではまだ英國屋しか取り扱っていないというサッチェルという名のカジュアルバッグであること、またこの冬はイタリア製のざっくりとした網目タイプのダッフルコートが若い方に人気であるらしいことなど懇切丁寧に説明してくれた。


7Fには本格的なフルオーダーサロンがあるというのでエレベーターで案内される。エレベーターを降りるとすぐに黄金色の絨毯にまずは目を奪われる。敷き詰められた絨毯の奥には1階とはまったく違った空間がそこには拡がっていた。


7階はオーダーサロンという名にふさわしい落ち着いたマホガニー調で統一されていた。価格は26万~240万までの高額品が置かれている。


ゆったりとしたソファに腰掛けながら飯塚氏と今年の流行色などの話をしていると、加藤社長が大きな身体を揺らしながら現れた。


『いやぁ、榊くん、だいぶ待たせてしまったね。遅れてすまん!』とあごひげを撫でながら登場した加藤社長だった。


加藤社長との出会いは一本の電話だった。「今度、札幌に支店を出すことになり、ちょくちょく飛行機を利用したいのだがチケットだけでも取れるかね?」との内容だった。
もちろん、旅行会社であるのでチケットだけの予約も可能である。
慎一のセクションは法人販売課ではあったが、1枚のチケットが大きな商売に育つことを充分承知していたのである。


この札幌行きのチケットが縁で、その後ディスパッチ社からの依頼がまいこむようになり、また関連企業の法人も紹介されるようになり、加藤社長との親しいおつき合いも始まったのである。


加藤社長は学生時代に野球をやられていたということで、りっぱな体格をしている。
日焼けした顔だちからは40代前半ぐらいにしか見えないが、実際は50に手が届く年らしい。
しかし、いつもピシっとしたスーツを着こなす姿は若々しさに溢れていた。


加藤社長は服装にはかなり気を使う方であった。
人と人とが出逢う時、最初の印象は服装で決まるというのである。
もちろん、人柄が最優先はするのであるが、
しかし、どんなに人柄が良くても、服装がだらしなかったら
その人の第一印象は半減してしまう。華美さは必要ないが、服装はその人の仕事ぶりをも表すというのだ。だらしない服装はだらしない仕事に通じるというのである。

たしかに、一理あると感心したものだった。


出来上がった洋服というのは上品な光沢を放っている濃紺のカシミアコートとスモーキーなミドルグレーのスーツであった。


試着室の大きな鏡に映る加藤社長はいつにも増して、自信に満ち溢れているように見える。スーツは襟の位置が高く、ウェストが絞られ、またパンツもノータックでひざ下から細いシルエット。聞けば、英國屋のスタンダードデザインに加え、今冬からサイドラインとして展開している2015Cモデルでお客様にも評判が良いと飯塚氏が説明してくれる。またそのスーツの上に羽織られたカシミアコートもショート丈の若々しいデザインだった。


加藤社長に値段を聞いてみると、ただニヤニヤと笑ってはいたがきっと両手近いのだろう。


加藤社長は言う。
「良い洋服は最初はやや高く感じるだろうがそれは人からの信用を得ることに繋がり、また着心地良さは自分の自信に繋がる。結果、良い仕事をキッチリと後押しをしてくれる。自分への投資だな」と。


また、加藤社長は
「世の中、からだが左右対象の人間はいないらしい。特に学生時代、私は野球をやっていたので、左右の肩まわりが極端に違うらしく、また若い頃は尻がが大きいので尻に合わせてパンツ買ってましたよ。しかし、
英國屋さんの初めてオーダー服に袖を通した時、肩まわりが包まれるような感覚と、またパンツを履いた時の今まで味わったことのないこの上ないフィット感に驚き、それ以来英國屋さんのオーダー服一辺倒ですわ!ガハハ」


それはオーダー服を経験してみないとわからない着心地なのであろう。


冬のボーナスで考えてみようかな。。。と思いを慎一は思いを馳せた。


スーツとコートは飯塚氏が加藤社長の会社に届けておいてくれるというので慎一は加藤社長と英國屋銀座一丁目レンガ通り店を後にした。


10月中旬、慎一の法人販売課は二丁目にある中国料理店「敦煌」で会食をしていた。

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敦煌はレンガ通りに面したGINZA269ビルの7Fに店を構えている。2014年8月にオープンしたばかりの店で、個室&半個室スペースがあり、夜はコース4,500円~12,500円、ランチは1,080円のものから4,000円のコースまでとリーズナブルでありながら、本格的な中国料理を楽しめる。


実は先日、加藤社長とランチをした店であった。高級感溢れる店の雰囲気とスタッフの笑顔でいっぺんにこの敦煌を気に入った慎一は法人販売課の夜の打ち合わせと称した宴を思いたったのである。


半個室のテーブル席を予約し、おいしい料理とお酒に囲まれながら、慎一も上機嫌であった。打ち合わせの宴も終盤に近づき、会計をしにカウンターに向かおうと慎一は半個室を出た瞬間、一人の女性とぶつかりそうになった。


『ごめんなさい!』『失礼しました!』と同時に叫び、ゆっくりと視線が交差する。

そこには夏子が立っていた。

『あっ、こんばんは!』
『こんばんは、お久しぶりですね!』
懐かしい友達に会った時のように言葉が自然に出た2人だった。


『お元気でした?』
『えぇ。あなたは?』
『元気ですよ。よくお会いしますね。お近くなんですか?』
『えぇ。晴海通りを渡ってすぐの5丁目に勤めています』
『そうなんですか。僕はこの近くなんですよ』
     

他愛もない会話が続き、
お互いがお互いを意識しはじた頃、
『夏子~!どうしたの?酔っ払っちゃったの?次の料理が来ているわよ~』と
奥の個室から典子の声が聞こえてきた。


きょうは典子と、他に2人を加えた社内の仲良し4人がここ敦煌で、銀座の夜景を楽しめる席を予約しての女子会だったのだ。


『お友達が呼んでますね。良かったら、メールでもください!』
と、慎一は一枚の名刺を渡しながら、カウンターの会計に向かった。


その後ろ姿を追いながら、個室に入ろうとすると典子がニヤニヤしながら『あれ~?夏子!この間の人じゃない。いつから、親しくなったのよ。隅に置けないわねェ~』
『ただの偶然よ。』
『本当に偶然?あやしいなぁ~。そうかなぁ~! 。あら、前も偶然って言っていたわよね?!もしかして今日で3度目?
これはひょっとしたら、ひょっとするかもね』
『なにを言ってるのよ! 典子!食べよ食べよ!』
自分の席に戻り、美味しい料理に舌鼓を打ちながら女子会は続いていたが、
夏子はポケットにしまい込んだ一枚の名刺が気になっていた。


女子会を終え、エレベーターに向かう夏子の視線はおのずと慎一を捜していた。


半個室のテーブルには慎一らしい後ろ姿はなかった。
きっと、夏子たちよりもはやめに切り上げたのだろう。


敦煌を出た4人は銀座通りを4丁目交差点方向に歩く。
夜のネオンと客待ちのタクシーが銀座通りを埋め尽くしていた。


『ねぇねぇ、みんな、これからどうする?』
『ファゼンダでもいって、カラオケでもする?』
ファゼンダは5丁目のみゆき通りにある夏子たち御用達のカラオケルームだった。
8階建てのビルすべてのフロアがカラオケルームという24時間営業のカラオケ店であった。
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都営浅草東銀座駅23:49分。
これが夏子を横浜の家に連れてかえってくれる最終電車の時刻だった。


最終電車はいつも混んでいた。
夏子は電車の窓に映る自分の姿を見ながら、ポケットの中にある名刺をそっと取り出した。

榊 慎一/ Shimichi Sakaki
 携帯:090-885-8○○○○
 bmw@・・・.ne.jp

シンプルな個人用の名刺だった。


慎一は俗にいうアフター5には会社の名刺は持たないことにしていた。
プライベートと仕事は切り離して考える主義である。


25時近く、ようやく家にたどり着き、自分の部屋に入った夏子はパソコンの前に慎一の名刺を置いた。


そして、お風呂に向かい湯船に疲れた身体を沈めた。


お風呂から出て、濡れた髪をドライヤーで乾かしていると、
鏡に映った自分にいつしか問いかけていた。
「夏子、偶然ってあるものね~。」
「夏子!恋の予感?もうそろそろ、次の恋もいいんじゃない?!」
「夏子、どうする?恋は偶然から始まるものよ。そしてその偶然に手を差し出すだけ、、、」


その後、しばらくは
慎一の名刺はドレッサーの上にあった。

                              To be continued...



この物語に登場する人物の名称・設定はたぶん、架空のものです。
夏子と慎一の銀座をあなたも歩いてみませんか?