うちのゼミもまた、理念や価値観がはっきりしている組織。
今まで所属してきたバスケ部とも英語會とも違うものを感じる。
どっちが正解という事も無いんだろうけど。


一言で言えば【出る杭】が認められる場。


まず論文もゼミ運営も、全てに疑う姿勢を持つ事を教えられる。
それが現状を変える行動力を生み出すから。


係とか決まってはいるけれど、やるべき事を考えられる人が動いてゼミを回していく。
そのやり方に反対だったら意見を言えばいいし、自分が仕事を奪えばいい。

やらなかったら自己責任。

考え方の基盤は経済学の競争原理。
ゼミ員の効用最大化の為に、一人ひとりが適材適所で働く。
競争の中で、その仕事をこなすのに最も能力のある者が選択されていく。


これが、いわばうちのゼミの理念。


ゼミで3年生が三田祭論文を発表する時も、指摘をする人が特に決まってる訳じゃない。
学年も関係ない。指摘出来る人が指摘する。


旅行の企画も、OB会の準備も、皆で行くOB訪問のアポ取りも、ゼミ後の机を並べる事でさえ、誰がやるかは決まってない。

自分から仕事をしてゼミに貢献しろ、何かを「与えられる」んじゃなく「残せ」と言われてきました。

この価値観に関しては理解できるし、納得できるんだ。

結局は、社会に出たら、こうやって自分から動ける人が組織のリーダーシップを取っていくんだと思うから。
出る杭になるべく組織を俯瞰し、行動を起こす事の何と難しい事か。


と同時に、出る杭に忘れて欲しくないこともあって。

この価値観に染められたゼミ員に言っても無駄だと思ったから、伝えられなかった。


全員が仕事を奪い合っていても運営出来ないという事。

出る杭が出ていられるのは、普通の杭が出る杭に共感してくれているからだという事。


個人的に、2年間のゼミ生活で実感したのは、出る杭になれる人の少なさと共に、
出る杭と一緒に仕事をする時に妥協点を見出だす難しさでした。


自分の意見が間違っているのなら、正しい意見の人に仕事を任せる事がゼミ員の効用最大化になる。
だから、出る杭の価値観が、なかなかぶれない。
仕事を明け渡すことが、そんなに怖いんだと思った事もあった。

指摘を受け入れることは、敗北を意味する訳ではないのに。


もちろん出る杭の行動力は、ゼミの運営に必要だし、

自分から動いていける人の事は素直に凄いと思うんだけどね。


現状は、仕事をしている人は周りが動いてくれないと思っているし、周りにいる人は言っても伝わらないと思ってるんじゃないかな。
そういう風に作用するくらいなら、仕事を挙げて役割分担した方が良いと思ってた。

競争原理のもとで全てを回していて、完全に回れば良いけれど、

それは理想論じゃないかって。
それを指摘出来なかったのは、私の妥協でした。

だから本来は、こんな文句を言う権利さえ無いんです。



今まで、仕事を任せるのは、無関心にならなければ、信頼している証だと思ってた。
けどここで仕事を任せてばかりだと負け組になっていく。だから、奪い合ってる。


なんで任せるじゃなく、奪うっていう価値観なんだろう、なんて、
それが文化なんだから仕方ないんだけど。
そこが変えたくて、変えられないところでした。
私がゼミに行くのに辛くなっていたのは、それに気づけてなかった時。
何か違和感があったけど、何が分からないのか分からなかった。


みんな良い意味でプライドは高い。

やるべき事を競争の中で勝ち取っている。
社会は学生が思うほど甘いもんじゃないと思うから、ここで鍛えられたのは私の財産。

けどここまで頭を整理出来るようになるには、1年半かかりました。





全ての判断を、正解か不正解かに振り分ける人に出会った。
その判断は、その人自身の価値観に基づいているってことを、忘れがち。


そういう人は、新たな価値観に出会った時、それをどう理解するんだろう。
理解しないままで自分の価値観を曲げないんだろうか。
これから先も、苦労するだろうなと思います。
いや、苦労している事にさえ気づけていないかな。


Wrongじゃなく、Differentで、物事を見ていきたい。
相手が自分の思うとおりに動いてくれない時は、きっと、
その人が間違ってるからじゃない。

その人の価値観が、自分の価値観と違うからなんだ。


きっと、自分でやってしまえば、何倍も楽。

その我慢を理解して欲しいなんて、それは私の傲慢。

相手に任せる時、無関心になってしまったら、本末転倒なんだと思います。