さて、前回の続きから。

前回↓

前々回↓
悲しくはない。でも、寂しくはある。①


6日の告別式での
もう一つの役割
孫代表としての挨拶

その役割を任され、
どんなことを話そうか
考えたとき

祖母が
2月20日に危篤から
一時的に復活したのは

会いたいと思う人たちに
そのチャンスをくれるため
だったのではないか

ふと、そんな思いが浮かんだのでした。

思い返せば

私がお見舞いに訪ねていくと
祖母はいつも
こちらのことを
気遣ってくれていました。

どう考えても、自分の方が
しんどいはずなのに‥‥。

そしてそれは
私に対してだけでなく

いつも、誰に対しても
そうだったのです。


私の挨拶のあと、
お坊様の説法がありました。

祖母の家の菩提寺は
歩いて30秒くらいの
本当に目の前にあるお寺で

今回お弔いしてくださった
ご住職とも
もちろん懇意で。

というか、そのご住職も
祖母からお年玉をもらっていた
くらいの関係で(笑)
(ほぼ孫!)

昨年
先代が急逝され、まだ三十代の若さで
跡を継がれて

今回の祖母の葬儀が
住職になって初の
お仕事になったとのこと。

説法の中で、
私がした話↓
「2月20日危篤から復活した話」

に触れられ、
この、ご住職がまだもっと若くて
祖母もまだ元気な頃

ご住職:「おれが住職になるまでは
生きててけろな。」

祖母:「わがった、わがった(笑)」

本気半分、冗談半分で
そんな茶飲み話をよく
していたそうなんですね。


そして実際
住職になったとき

本山から、認定書というものが
送られてくるそうなのですが

その日付が
平成31年2月20日
祖母が危篤から復活した日
だったのです。

なので、そのことを
私の挨拶で知り

「ああ、おれが住職になるまで
生きててくれという約束を
ばあちゃんは守ってくれたんだな」

そう思ったと
お話ししてくださいました。


偶然かもしれないけれど
すごい話だな、と思いました。

できすぎじゃないか、と(笑)


でも、
この話を聞いて

わあ、すごい奇跡みたい!

とかは
全く思わなくて

ああ、いかにもばあちゃんらしいや

と妙に納得してしまったのでした。

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タイトルにもなっている

『心は同じ  花のうてな』

という言葉

葬儀中唱えられていた
お経の中に

何度も出てきたので、
気になって
あとから調べてみました。

浄土宗の開祖
法然上人の歌にも
ある言葉のようで

『この世でのお別れが
すべてではなく

(念仏を唱えれば)
また、極楽浄土で
再会することができますよ』

という考えだそうです。

すごく
素敵な言葉だと思いました。


正直、あの世のことはわからないですし

私はどちらかというと
輪廻転生を信じているので

再会する前に
違う命になるのかも

と思っているので

極楽浄土での
再会はしないかも
しれないけれど

本当に
お別れ、という意識は無くて

心は、同じ花のうてな(台)

思い出せば
いつだって一緒にいる

そんなふうに思えたのでした。

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今日も最後まで
お付き合いいただき
ありがとうございます。

それでは、また。