こんにちは!ゆうこです



では早速、前回の続きで、内面的な浄化&変容&抵抗について。



日常のある程度の失敗や凹むようなネガティブな出来事に対しては、これまでの日々の訓練の成果もあって、冷静に客観視して対処(癒して学びに変えること)できるようになってきました。

一瞬、一部のパーソナリティやエゴイズムに陥る(乗っ取られる)ことがあっても、以前より格段に気付きや立て直しが早くなりました。

だから、以前ほど、長期間大きく揺さぶられることがほとんどない今日この頃でした。(訓練の賜物です)



が、しか〜し!!
人間、『決める』とお試しがやってくる。
私にもそれはやって来ました。



絶好の『自分責め』の機会が訪れたのです。

中の子的には、まさに『(社会的、もしくは、実際に)殺される』事態がやってきました。

そして、久々にがっつり恐れに乗っ取られました



何があっても無くても、何が出来ても出来なくても、どんな自分であっても、自分が自分の一番の理解者であり、応援者であり、指導者であり、味方であること。
だから、大丈夫なんだということ、絶対に絶対に見捨てたり見離したりしないし、全て受け入れるということ。
それを実際に私自身が私(中の子)に示し、寄り添い、癒していく。そして、学びに変えていく。



それを、伝えるのだけれど、いかんせん恐怖心が絶大で、しまいには、社会的に抹殺される恐怖に怯えました。

まさに乗っ取られまくりで、悪い方悪い方に考えてしまうし、自分自身で自らその恐怖心を煽る行為に走ってしまうし。

おかげで、はじめは小さな恐れだったものが、自分の全てを飲み込んでしまうかのような、もうどデカイ恐怖の塊に取り込まれてしまいました。



しかし、それは事実とは異なること。
事実だけを見れば、他の人からすれば何てことはないこと(たぶん)。
だけど、私は乗っ取られまくりだったから、強大な恐れとなって、それにのまれていたのです。



別の視点からもみてみると、私には1つの物事に対し、あらゆる視点から考察し、細かいことまで色々なありとあらゆる可能性を考えつく、というような癖というか、性質があります。

それは良くも悪くもない、私のただの性質です。

それがポジティブに働けば、例えば仕事などの時は、ある要素に対して考えられる色んな可能性を思い付き、目を向け、気付くことができる。


その物事の綻びや未完成な部分に気付くことができるため、危機管理や危機回避、あるいはより良いものにしていくことに、とても役立っていると思います。




しかし、それがひとたびネガティブな方向に働くと、1の不安を10倍にし、現実にはまだ起こっていない、ありもしない、事実ではない幻の大きな恐怖を生み出してしまうことがあります。


その10倍に膨れ上がった恐怖は確かにあらゆる可能性としては考えられるかもしれないけど、今現時点でいえば、事実とは異なり、あくまで可能性でしかなく、事実はただ1なのです。


そのため、あくまでも可能性は可能性として置いておき、何が事実なのかを見極める必要がある。

ただそこにある事実を事実として、そのまま、ありのままに受け止めて見極めていくことが私にとってはとても大事になってくるのです。


その性質がネガティブに働いた時は、特にです。


通常の私ならば冷静に判断して客観的に見極めることができるその事実に対しても、エゴイズムに乗っ取られてしまえば、たちまち事実とそれに付随する可能性の境目が曖昧となり、ありもしない幻の恐怖が大きく膨れ上がってしまいます。


今回はその私が持つ性質が、ネガティブに作用してしまった結果、私が持つ『完璧でなければ、間違ってしまったら、殺される。大事な人達が離れていく』という恐怖(信念)と結びつき、恐怖をより大きなものに育て上げてしまったようです。




それにしても、まあ、本当にあそこまでのまれたのは、すごく久しぶり。
数日ご飯が食べられなくなるほどでした
お腹も壊しました。。
吐き気ももよおしました。。



けれどもね。



恐れにのまれているから、乗っ取られているから、自分の良き理解者で応援者で指導者に全然なれてはいないんだけど、むしろ自分責め・自分を追い込むドMでド変態(笑)になっていたわけだけど、それでもその恐れに完全降伏することはありませんでした。

パーセンテージ的には恐れの方が大きいけど、それでもそれを客観視して、愛のベクトルで寄り添い、励まし、癒し、伝えて示していくことを行なっていきました。

それはまさに、恐れと理性(愛)のせめぎ合い。
苦しいのなんのって。
キツイのなんのって。
辛すぎて逃げたくなった。ほんとに。


生死や存在意義、自己信頼に関わる根幹の深い深い部分だと思われるから仕方ないけれども、これも実はありがたいことなのです。
(ここまで書いてて、アプリが急に落ちました。よっぽど触れられたくないのかい?苦笑)



ようやくその子たちが出てきてくれて、癒して学びに変えていく機会を与えてくれたのだから。

本当の本来の自分で生きていくためには、その信念は必ず立ちはだかるものだから。

そのために私は繰り返し向き合い、学び、癒し、生きてきたのだから。

それならば、覚悟を決めて、向き合わなければ私に対して失礼。
ここで逃げたら、中の子に愛を証明してあげられないもの。
それは、私自身を裏切る行為となってしまうもの。



そうして諦めずに客観視しながら理性を働かせ、寄り添い癒していく中で、時間という癒しも手伝って、大きく膨れ上がったエゴイズムは落ち着いていきました。



そして今回私は、もう一つハードルを越えた。
それは、不安を家族に打ち明けること。
これは私の課題の一つでもあることで、長くなったので詳しくは省略するけれど、家族に対してのみ自分の感情を伝えるのが苦手です。

だから、何があっても自分自身で折り合いを付けたり、親しい友人に打ち明けて乗り越えてきたけれど、今回はこれもお試しだと、チャンスを与えられたと感じたので、それに従いました。
そこもだいぶ葛藤したけどね。

そうすることで癒され、安心を与えられたことも今回の出来事を乗り越えていくための大きな愛をもらったように思います。


今回は、理性(愛)を働かせること、理性(愛)を保つことの重要さと大変さ、そして自分自身を愛し癒していくことの大事さと大変さを再確認できた貴重な時間でした。


{1AB4B986-7FCE-45F1-99FA-56E350ABF01E}