スロヴェニアのリュブリャーナからボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボへ向かう夜行バスに乗り込んだ。
乗ってみてびっくり、こんなボロくてホントに走るのか?というほどスロヴェニアやクロアチアに比べると天と地の差である。
画像ではよく分からないかもしれないが、もはやアフリカやアジアレベルに近いバスだ。
国の経済状況で顕著に変わるバスの質だが、ボスニア・ヘルツェゴビナの現状を表しているかのようである。
ボロいバスに切り替わっていくほど、その国は貧しくなり、治安も悪くなる。
休憩所のトイレも洋式水洗からボットンに様変わり!
そしておんぼろバスはサラエボに向かって夜道を順調に走っていたのだが…
なんと暖房が全く入らない!
マイナス15度の状態で暖房が入らないとこんなにも寒いものだろうか?
隙間風がビュービュー入り込み、体を常に動かしていないと凍結してしまいそうだ。
寝たら最後、翌朝フローズンリエコの出来上がり…
マジでそんな状態になることが予想される寒さ。
寝ちゃいけない、寝ちゃいけない…
すると1人のボスニア青年が前の座席からしきりにウインクを飛ばしてくる。
俺が温めてやろうか的な完全なるエロ目だ。笑
余計寒さが増したので運動してみることにした。
とにかく足が凍りつきそうなのでエアー自転車漕ぎをチョイス。
ちょっとは温まるが非常に疲れるし、虚しい。。
こんなことを夜通ししなければいけないバスって一体…。泣
やがてボスニア国境に到着し、バスを一旦降りてパスポートコントロールを通過。
そしてバスに再び乗ると、警官?みたいな係員が私のパスポートだけ持っていって何やら長い時間チェックしている。
どうやら外国人は私だけらしい。
ガイドブックによると、外国人だけ降ろされて色々質問されるかもしれないと書いてあったが、あっさり何の質問もされないままパスポートは戻ってきた。
そして、再びフローズンバスが走り始めたのだが…あれだけ眠っちゃダメ!と思ってたのにうっかり眠りこけてしまう…
と、突然バスの乗客に起こされる。
「このバスは不良品だから違うバスに乗り換えるよ!」
おお!暖房つきのバスに乗り換えられるのか!?
喜びながらもすかさずバックパックをバスのトランクから出し、すぐさま寝袋とチョコレートを取り出した。
マジで寝袋持ってきて良かった。。
そして母が出発前に持たせてくれたチョコレートを食べる。
これだけ寒いと体が心底カロリーを必要とするもんだなあ。。
不良品バスからまともなバスに乗り換え、フローズンリエコはこれにて終了!
と、そうは問屋が卸さない。笑
なんと暖房バスからは3時間程で降ろされ、暖房の入らないミニバスに乗り換えになったのだ。
これで3台目のバス。一体何回乗り換えるんだ?
こうして再びフローズンリエコの逆戻りである。
でも今度は寝袋付バージョンだからちょっとはマシ。↓
しかもボスニア国境を越えると途端に英語が通じにくくなり、トイレやユーロという言葉さえ通じない。
こうしてリュブリャーナを出発してから13時間…朝方ボスニアに着いたのである。
アフリカの移動と比べると屁でもない楽さだが、やはりフローズンバスはしんどかったな。。
バスでずっと言葉通じないのに仲良しだったおばさんともお別れ!
治安がかなり悪いというボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側バスターミナルに着いたが、バスの運転手が私の旦那さんのフリをしてずっと付き添ってくれた。
腕を組んでしばらく歩いていたが、どうみてもアジア系旅行者とボスニア人バス運転手である。。
ジプシーたちもジッと見ていたが、あまりの変な組み合わせに近づいてはこない。
そして、バスターミナルからサラエボ中心地に向かう途中、早速こんな光景が飛び込んできた。
おびただしいほどの銃弾の痕跡。
デイドン和平合意から10年以上過ぎたという今でも死者1万人を越えた泥沼戦争の蹄がはっきりと残っている。
戦争が遠い過去ではないことを物語っているように感じたサラエボの朝だった。
では、ここでQ.12。
2002年に日本のNGO団体がサラエボ冬季五輪施設と墓地にある苗木を600本植えた。
その苗木とは?
①桜
②銀杏
③梅
前回の正解は…①の日本語を教えるためでした!