あの日を忘れない・・・ | カピバラのマイブック

カピバラのマイブック

ブログの説明を入力します。

2011年3月11日

もう5年・・・

私は、そう思う。



電気が止まり、防寒着を着て
懐にワンコを入れ
2晩過ごしたあの日。

その間、強い余震が数回。



取り敢えず、家も家族全員も無事。

ホッとしながらも、山田町に
住んでいる叔母が心配になった。

叔母は、私の父の姉で
かなりの高齢者。

息子・・・つまり私の従兄と
従兄の奥さんと3人暮らし。

従兄の一人娘は、そこから
そんなに遠くない所に嫁いでいる。


無事だと連絡が入って、ひと安心。


落ち着いた頃、叔母の家を訪問。

途中、TVに映し出される光景と
同じものがずっと続いていた。

瓦礫の山、崩壊寸前の建物
グニャグニャに曲がった川沿いの手すり
等など・・・



従兄から、その時の話を聞いた。

その日従兄は、夜勤の為
家にいた。

地震発生。

従兄
「これは、逃げた方がいいな。」

でも、奥さんと叔母は、
「まさか津波がここまで
来ないでしょ。」

海から叔母の家までは、7~8kmほど
あるらしい。

普段、もの静かで無口な従兄は、
強い口調で
「いいから!早く車に乗れ!」と。

一人娘の嫁ぎ先に避難。



戻って来て見ると1階は、全滅。

車庫には、何処からか流されて来た
車が入ってたらしい。



幸い奥さんの兄が大工さんで
家は、早目に修復してもらえた。


「それなりに補助金は、出たんでしょ?」

従兄
「少しな…」



玄関の壁には、敢えて残した
津波の跡。

私の首くらいの高さ。

奥さんが私より背が低いし
叔母は、少し腰が曲がってる。

もし避難してなかったら・・・



叔母
「もうこの歳だし、死んでも
良かったんだけどね。」


「こんなに大事にされてて勿体無いでしょ。
黙っててもお迎えが来るんだから
それまで生きていなくちゃね。」

と、従兄の奥さんと顔を見合わせて
笑った。

あれから5年・・・

毎年、米を持って行ったり
行けない時は、送ったり。

せっかく助かった命だもん。

長生きしてね。。



いまだにガソリンスタンドを見ると
当時の事を思い出す。

長い行列。

お1人様10Lまで。



不便な数日間だった。

だった・・・

今でも不便な生活を余儀なくされている
仮設住宅の方々。

今日の特番で、近い将来に
希望を持っている方の言葉を
聞いて少しホッとした。



犠牲になられた方の御冥福と
いまだ見つかっていない方の発見を
心よりお祈り致します。。

そして被災地で頑張っている皆さんへ
『明日が今日より少しでも
いい日になりますように。。。』