もう5年・・・
私は、そう思う。
電気が止まり、防寒着を着て
懐にワンコを入れ
2晩過ごしたあの日。
その間、強い余震が数回。
取り敢えず、家も家族全員も無事。
ホッとしながらも、山田町に
住んでいる叔母が心配になった。
叔母は、私の父の姉で
かなりの高齢者。
息子・・・つまり私の従兄と
従兄の奥さんと3人暮らし。
従兄の一人娘は、そこから
そんなに遠くない所に嫁いでいる。
無事だと連絡が入って、ひと安心。
落ち着いた頃、叔母の家を訪問。
途中、TVに映し出される光景と
同じものがずっと続いていた。
瓦礫の山、崩壊寸前の建物
グニャグニャに曲がった川沿いの手すり
等など・・・
従兄から、その時の話を聞いた。
その日従兄は、夜勤の為
家にいた。
地震発生。
従兄
「これは、逃げた方がいいな。」
でも、奥さんと叔母は、
「まさか津波がここまで
来ないでしょ。」
海から叔母の家までは、7~8kmほど
あるらしい。
普段、もの静かで無口な従兄は、
強い口調で
「いいから!早く車に乗れ!」と。
一人娘の嫁ぎ先に避難。
戻って来て見ると1階は、全滅。
車庫には、何処からか流されて来た
車が入ってたらしい。
幸い奥さんの兄が大工さんで
家は、早目に修復してもらえた。
私
「それなりに補助金は、出たんでしょ?」
従兄
「少しな…」
玄関の壁には、敢えて残した
津波の跡。
私の首くらいの高さ。
奥さんが私より背が低いし
叔母は、少し腰が曲がってる。
もし避難してなかったら・・・
叔母
「もうこの歳だし、死んでも
良かったんだけどね。」
私
「こんなに大事にされてて勿体無いでしょ。
黙っててもお迎えが来るんだから
それまで生きていなくちゃね。」
と、従兄の奥さんと顔を見合わせて
笑った。
あれから5年・・・
毎年、米を持って行ったり
行けない時は、送ったり。
せっかく助かった命だもん。
長生きしてね。。
いまだにガソリンスタンドを見ると
当時の事を思い出す。
長い行列。
お1人様10Lまで。
不便な数日間だった。
だった・・・
今でも不便な生活を余儀なくされている
仮設住宅の方々。
今日の特番で、近い将来に
希望を持っている方の言葉を
聞いて少しホッとした。
犠牲になられた方の御冥福と
いまだ見つかっていない方の発見を
心よりお祈り致します。。
そして被災地で頑張っている皆さんへ
『明日が今日より少しでも
いい日になりますように。。。』
