3年位前に 1年3か月引きこもっていた
借金をしながらの 生活だった
生きる気力を 失っていた
そのどん底の生活の中で
深い至福が 訪れた
悟りのような 経験だった
すると その快感を追い求める自分を
発見した
ああ こうやって 人は
「悟りごっこ」 に ハマっていくんだな と思った
このような 「至福感」 は
もともと 誰にも普通にあると思った
人は 「すでに誰でも悟っている」
と言われているのは このことだと思った
だから 「悟るための修行」 は
要らないんだよね
ただただ 「生活」 を
丁寧に 味わいつくせばいい
「至福」 を 追い求めるのは やめた
だって 「普通に在る」 のだから
ずっと 「幸福感」 には
「至福」 と 「快楽」 があって
「至福」 は 「高尚」 で
「快楽」 は 「下品」 なことだと思っていた
「快楽」 を 追い求めることは
「人として下品」 だと思っていた
しかし 人生がどん詰まった
ああ この生き方は マチガイであったと
ようやく 気づいた
マチガイに気づいたら
「真逆」 を生きればいいのだ
ゴッホ「じゃが芋を食べる人たち」
わたしは 「食う 寝る」 という
「人間の基本的な欲求」 という 「快楽」 を 生き始めた
「正解」 だった
日一日と ゆっくりゆっくり
「わたしの命」 は 息を吹き返していった
「快楽」 を 生き始めたら
そこに 「至福」 が 在った
な~んだ
こういうこと だったのか
わたしは 思いっきり
チカラが 抜けた
「至福」 と 「快楽」 は
どちらが 上でもなく
等しく人の 「幸福」 に
必要なもの なんだね
この 「両輪」 で
人は 「進化」 して行くって わかった
