親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「自分の場合、ことはそう単純じゃないみたい」と書いていたのですが、どういうことなのか、説明しようと思います。

えっと、昨日のお手紙では、どうやら自分はすっかり「『気まぐれで当てにならないもの』だと思われて」て、基本的信頼とは無縁だったにちがいない、というようなことを書いたんですよね。
ただ、それだけでは、言いきれてない気がするんです。

そこで、ヒントになるのが、2019年5月23日のお手紙のこと。
あのなかでわたしは、かつて「妹たちからおもちゃを横取りされて困った。それと同じように、親もきっと、自分が言うことを聞かないと困るんじゃないか? と思えてしまうんだ」、という、「板挟み」構造について触れたんですね。

これを、現在話題にしていることがらに置き換えると、こんなふうになるんじゃないでしょうか。
「おもちゃを横取りするような困った妹たちなんて、『気まぐれで当てにならないもの』だから、『基本的信頼』なんてできっこない。そして自分にも、そういう『気まぐれで当てにならない』、『基本的信頼』に欠ける要素なんて、到底ゆるすわけにはいかない。」……みたいな。

つまり、なんていうか、「自分で自分の首をしめる」ような感じにになっていたのかなー、と、思ったりするのですよ。

さて、今回のところは、このへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine