親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に、「もし、ほんのちょっとでも、『これって不当なんじゃないの? 』というようなことが考えられたのであれば、自己嫌悪が少しは和らいだのかもしれないのに」と書いたのですが、そういうことを到底考えるわけにはいかなかった背景には、どうしても、当時の親たち大人が、どういう意識だったか、がからんでくるんですよね。

で、その意識って、あくまで推測ではあるんですが、いわば「自分達は、ズバリ教育上、正当なことをしているんだ! 」っていうものだったんじゃないかと思うんです。

だけど、あまりに「正当だ」と思いすぎて、自省しないでいると、歯止めがきかなくなって、とんでもないところまでいっちゃったりするのでは? 

こんなことがらに関連して、「教育虐待」って概念があったりするんですよね。
例えば、次の記事のように。

 

「教育という名の虐待」が蝕む愛着障害という病 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

「教育という名の虐待」が蝕む愛着障害という病 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 | ページ 2

 

「教育という名の虐待」が蝕む愛着障害という病 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 | ページ 3


さて、これらについての自分の考えなどは、また次回以降ってことで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine