親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、前回「幼児的願望」が出てきたときとくらべて、ちょっと次元? が異なっている気がする……というようなことを書いたので、それについて説明しようと思います。


なんかですね、前回(6月6日や6月7日のお手紙)の、「わがまま、自己中心性、理不尽な願望、依存性などの幼児的願望」という表現だと、ニュアンス的に、『こういうのを、どーしても実現させてくれなきゃヤダー! 』っていうような態度が感じとれる気がしちゃうんです。(もっとも、そんな駄々っ子の要望なんかきけるワケないんですケド。)


これに対して、11月23日のお手紙の、「『自分の心を理解してもらいたい』という欲求」という表現の場合。

こちらの方はというと、なにも実現が伴わなくたっていいんですよ。

まあ、そりゃ伴うにこしたことはないですけど、かんじんなのはそこじゃないんです。


じゃあ、何なのか、というと……。

その説明の前に、11月22日のお手紙に、こうありましたよね。

「『幼少期に自分が何かを望んだこと』それ自体を(親などから)責められた」ことが問題だったのでは、と。

つまり、「自分の心を理解してもらいたい」というのは、早い話が、ただ「責められたくない」、ってだけなのかも。


例によって、わかりにくい書き方でスミマセン……。

でも、この続きは、また次回以降にしますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine