親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「『自分なりに精一杯考え抜いたあげく』のものが反対される」と「『まただ……。』って感じで、つくづく悲しく情けなくなっちゃう」と書きましたが、ふと、『これって、相手の立場からみたら、どうなんだろう?  』と思えてきました。


ここでの「相手」って、まあ、親たちのことなんですがね。

もしかしたら、こんなふうに感じるんじゃないかな、と思うんです。


自分たちの子ども(つまり、わたしのことね)が、「生きづらいから」とかなんとか言って、なんか怪しい(?)ものに手を出そうとしている。

だけどその、理由としている「生きづらい」っていうのは到底認めるわけにはいかない。何故なら、そうしてしまうと、今まで親である自分たちがずっと良かれと思ってせっせとやってきたことが、ダメだった、ってことになってしまうから。

だからこそ、頭ごなしに反対してしまう、と、


……なんか、こうしてみてみると、『そりゃ反対されるワケだ』とも思えてきますよね。

ここでちょっと気づいたのですが、自分も親も、なんか否定の応酬みたいなことをしてんのかな、なんて。

これって、果たして功を奏するようなものなのかしら? 


ちょっと、考えてみることにしますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine