親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、たしかこんなことを書いたんじゃないかと思います。

「幼少時に信奉していたような教えというのは、いわば『たたき台』なのだから、これから変えていくというのが本来の在り方であってしかるべきなのに、自分の場合それが機能していなかったんじゃないか」、と。


これ、いったいどうしてなのか、しばらく考えてみたんですけど、なかなか決定的な要因というのが思いつかないんですよねー。


もっとも、この場合に限らず、いわゆる「昔のものを変えていく」ということって、概して難しいものなのかも。

その理由はというと、いわば「因果率」という発想があるからかもしれないな、と思いつきました。つまり、「原因があり、結果がある。ということは、過去と未来とは連続していて、いきなり急激に変えられない」、みたいな……? 


まあ、今回はちょっとした思いつきにすぎなかったりするのですが、もう少し、考えてみることにしようと思います。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine