親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に、「果たして真に幸せと言えるのか? 」というフレーズが出てきたことで思い出したのですが、そういえば、ちょっと前の9月6日のお手紙で引用したページの別の箇所に、こんなくだりがあったのでした。

 

【大前提】

  • 僕たちは必ず幸せになる運命にある
  • ただし、幸せの形は一人ひとり違い、「自分だけの幸せ」がある
  • 「自分だけの幸せ」は他人は絶対に知り得ない
  • 「自分だけの幸せ」は必死で探し求めないと見つからずに死ぬ

だから、僕たちは”自分の”幸せを見つけるために必死にならないといけないんです。

「これが自分の幸せだ!」って感じたら、それに向かって決断し行動するのです。

その行動が、就職だったり結婚だったり子どもを授かることだったりするわけです。

ただし、幸せの形は一人ひとり違っています。

就職や結婚があなたにとって「自分だけの幸せ」とは限りません。

でも、就職や結婚が「自分だけの幸せ」な人ももちろん居るわけです。

だから、それでいいじゃないですか。

「自分だけの幸せ」を追い求めた結果「幸せ」だからそこに居る。

この環境に何の不満があるんですか?

誰に期待する必要があるんですか?

 

「君には期待しているよ」「お前には期待していないから」どっちも気をつけて!!

 

 この、「自分だけの幸せ」っていう視点って、それこそ、わたしの幼少時にいた目上のひとたちには、スッポリ抜け落ちてたといえるんじゃないかなあ? 

つまり、「幸せのかたちは、こうこうこういうもの! 」って決まっていて、それ以外認めない、みたいな。

だから、それを真に受けたわたしは、『こういうのが幸せというものなのだから、幸せと感じねば。そう感じられない自分はダメだ……。』っていうふうになっちゃってたのかも!? 


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ